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「限界」「独身」「アラサー」みたいな言葉がすっげぇ苦手

他者からそう思われる分には仕方ないとは思う。
それを本人に伝えてしまってはただの悪口になるが、その人の主観としてそう感じているんならそれを否定する権利なんて誰にもない。

ただ、それを自称している人は本当に自分でそう思って発しているのか? と疑問に思ってしまう。自身を卑下しているように感じてしまってどうしても苦手だ。本当に主観でそう思っているなら何も言えないが、それをジョークめかして発言するのは如何なもんだろうか。

そもそもどういう心理でそういう言葉を発しているんだろう。
その背景に「順風満帆な生活を送らなければならない」「伴侶がいなければならない」「出来るだけ若年で何か事をなしておかなければならない」みたいな世間の声や強迫観念があるからなのか?
だからこそ自ら発することで共感を集めやすかったり、防衛機制の役割が果たされているのだろうか。

だとしたらそんな集合意識なんてクソでしかない。
社会で上手く生きていけないから、伴侶がいないから、年齢を重ねていっているからなんなんだよ。めちゃくちゃ腹立つんだよな。

別に罪を犯している訳じゃないのに、何故自分の事をそう表現しなければならないのか。
確かに自慢ともとれる尊大な自己紹介が鼻について不愉快に思う人もいるかもしれないが、それも別に悪いことじゃないだろう。謙虚であろうとする人に好感が持てるのも共感できるけど表題のそれは度が過ぎている。そんなのは謙遜じゃない、ただの自傷だ。

そもそも「限界」という言葉がそんなにカジュアルに使われていいものなのか?
本当に限界なら救いの手が差し伸べられるべきだし、それがユーモラスな自己紹介と捉えられるなら問題でしかないだろ。

まぁ、最早そういう事を発していないとやってられないみたいな社会になっているんだろうな。
昔知人から社畜の日常をポップなイラストで表現したLINEスタンプを貰った事があるが、こんなのが”面白”として扱われている社会異常すぎるだろと思ってしまった。

表題の発言もその延長で生まれたものなのかもしれない。
だが「限界」に関しては別の問題が生じているものの、独身であることや年齢が10代や20代でないことは悪いことでもなんでもない。

結婚していることや若いことに価値を感じないでくれ、と長い間ずっと思っている。他者からどうこう思われるのはもう仕方のないことだが、自分がこれでいいと思う人生ならそれで良い筈なんだ。

だから私はこの先家庭を持つ事がなくても悪いとは思わないし、何歳になっても自分の事を価値のない存在とも思わないつもりだ。
内心の自由は誰しもにある筈なので、他者に迷惑さえかけなければ何を思っても問題ない。だったら自分の都合のいいように自分を評価した方が得じゃないか。

多分人によってはこの意見は綺麗事と思われるかもしれないし、私自身綺麗事とも思っている。そんな都合のいい世界は簡単に生まれない。
でもさ、思う分にはいいじゃない。
それこそ内心の自由なので声を大にして告げたい。

皆も自分にとって都合のいい自分であってくれ!! それが私の願いじゃい!!!


おわり!!!


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