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いい人とか優しい人とか

そういう言葉がどーしても苦手だ。
烏滸がましいかもしれんが自分が言われたくないので、極力自分も人に言わないようにしている。

なんか、誰かから「いい人」「優しい人」認定をされてしまうと、ずっとそういう振る舞いをし続けなければならないんじゃないかという強迫観念がある。

人への評価って、どうしても相対的なものになるので、いい人が悪いことをすれば心象が悪くなるし、悪い人がいいことをすれば心象が良くなる。
なので自分がいい人と誰かから思われてしまったら、何かの折に失言をしてしまったりやらかした場合、かなり幻滅されてしまうだろう。

個人的には何勝手に期待しとんねん、とは思ってしまうが、人の心理なんてそんなもんだと考えている。
悪いやつぶりたくはないんだけど、そんなにいい人然ともしたくない。

だからこのnoteでも好きなようなことを書いている。
自分の中の性格が悪い部分も含めて書かないとバランスが取れないし、他者の心象に左右されて自分のやりたいように出来なくなってしまのは本意ではない。
誰かの期待に応える為、忖度する為に生きている訳じゃないんだ。

今やもうネットで有名になっているが、こち亀の不良が更生する回で両津勘吉が「悪いやつがいいことをしてやっとマイナスからゼロになっただけで何も褒められるようなことはしてない、普段から真面目にやっている奴こそが評価されるべきだ」という旨を発言していて、それはマジでその通りだと思う。

ヤンキーが花壇に水をやったり猫にご飯をあげてるだけで「実は優しい奴」みたいな扱いを受けるのはなんなん?
それで校舎裏でタバコ吸ったり誰かに暴力を振るっていた過去が帳消しにならんぞ。確かに何かの為になる行為をしていること自体はきちんと褒めて然るべきだとは思うが、それは免罪符にはならんよ。
評価軸が違う、評価軸が。

逆に自分のことを悪い人じゃないみたいな自称をしてる人は疑ってしまうなぁ。自分の事を優しいと自分で言っている奴は100%優しくないと持論を持っている。あと普段全く怒らないって自負している人も。そういう人と何人か関わったことがあるけど、例外なく全員短気だったぜ。恐ろしい。

ただ、自分で優しくないと自称するのも難点があって、なんか逆張りの斜に構えた捻くれオタクくんみたいに思われる。

それはまぁ、事実だからいっか。


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