結論:芦田愛菜さん流石です

私が尊敬する方の中に、ある一面についてだけしか知らない人がいて、でもその部分にはすごく憧れるし純粋に凄いなあと思っているから「尊敬している方」のカテゴリーに迷いなく入れさせてもらってるんだけど、その方はどうやらあまり良くないことを常習的に行っている一面があって、それを知った時の気持ちとその仲間たちについて書きたいと思う。

その方とは直接会ったこともないし向こうは多分私を知らないんだけど、私が大好きなものをその方も大好きだと知って色々見ていくうちに、その方の考え方に惹かれたし、その方から色んなことを知った。だから、自然とその方を尊敬し始めたし、正直今も尊敬と失望でギリ尊敬が勝っている気がする。

そんな私の純粋無垢な尊敬に最初の影が差したのは、今年の"そろそろ梅雨明けて欲しすぎ"シーズン、
私は自意識過剰なので身バレ?相手バレ?防止のために内容は伏せるが、とにかく強めの「おやっ?」が出るくらいの出来事があった。
他人としてそれを見ていただけだったのだが、心がぐーっと縦に押し潰されてるような気がした。

そんな事が!?私の知っているあの方と同じ方!?ガビーン…

とまあライトに言えばそんな感じ。2,3日引きずった。でも、この時はまだ「ちょっとミスっちゃったのかなあ にんげんだもの」とそんな調子で考えていた。

だが、今年の"どんぐりってもう公園に落ちてるかな?"シーズン、また似たようなことがあった。前回は受動的に知ったのだが、その時は自分から知りに行ってしまった。もちろんそんなつもりは全くなかった。だからか、前回より一段とショックだった。

なんで?どういうこと?これがあの方にとってはもはや当たり前なの…?

とまあレフトに言えばそんな感じ。これは今でもたまに思い出すくらいダメージがあった。更に心がぐーっと縦に押し潰されてるような気がした。

そしてつい先日、近所のバカ紅葉の木が紅い葉を通り越してほぼ全ての葉を落としてしまった頃、その方は「二度あることは三度ある」を体現してしまったのだ。この時私はあろう事か

はあ…私はこの方に裏切られたのかも。あんなに尊敬していたけど、それも間違いなのかも。

と、別にその方となんの約束を交わしたわけでもないのに裏切られた気持ちになり深く落ち込んだのだ。

そしてついさっき、ある言葉を思い出した。
まずは以下にそのまま引用させてもらう。

『「その人のことを信じようと思います」って結構使うと思うんですけど、それってどういう意味か考えた時に、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていることなのかなと感じます。だからこそ人は「裏切られた」とか「期待していたのに」とか言うけれど、それはその人が裏切ったわけではなくて、その人の見えなかった部分が見えただけ。

その見えなかった部分が見えた時に、「それもその人なんだ」と受け止められる揺るがない自分がいるというのが【信じること】なのかなって思います。

でも、揺るがない自分の軸を持つのってすごく難しいじゃないですか。だからこそ人は「信じる」って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかと思いました。』一芦田愛菜

これ、凄すぎる。何回読んでも凄すぎる。

夕方のニュース番組で初めて聞いた時から何度も思い出しているが、今日ほど強く思い出したことは無い。今の私にピッタリすぎる言葉だと思った。

そうなのだ。1番最初に書いたように、私はその方のたった一面しか知らなかった。そしてその一面こそがその方の全てを表していると信じて疑わなかったのだ。だからこそ、その一面とあまりにもギャップのある別な一面を見てしまった時、私は私が思い描いたその方に呆気なく裏切られたのだ。

あまりにも自分勝手だ。でもそれくらいショックだったし、この件でもっと直接的に傷付いた方がいるのも知っている。
それでも、私はその方を、私が思い描き願ったその方を、尊敬し続けるだろう。そしてまた裏切られることもあるのだろう。その度にまた芦田愛菜の言葉を思い出すのだろう。
そうやって自分の愚かさを嘲笑するとともにきっとこう思うのだ。

「芦田愛菜さん流石です」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?