言葉

私たち人間の最大の武器(強みという意味も含め)は、
やはり言葉だろうか

人生の節目節目で親や恩人に感謝を伝えるときも
大好きな人に一世一代の大告白をするときも
自分のせいで傷つけてしまった人に謝るときも
大切な仲間と大喧嘩したときも また仲直りのときも

そこには必ず、自分の思いや考えを相手に伝える為の言
葉が存在する。

では私たちは、自分の伝えたいことを伝えたいままに言
葉に出来ているだろうか。
またそれ以上に、相手は自分の言葉を100%その
ままに受け取ってくれているだろうか。
残念だが私はそうはいかないと思っている。

私には私の語彙力, 知識, 価値観, 触れてきた文化,
考え方, ものの見方がある。
もちろんこれは全ての人に同じことが言える。
だが、その中身が自分と同じ人なんてこの世に存在しないであろう。
それはそうだ。当たり前だ。心が成熟している人はだからこそ面白いのだと言うかもしれない。

だが、少なくとも私にとってはこれがとても迷惑で厄介なのだ。
自分と相手とでは頭の中にある世界が違う。別世界だ。伝えたいことを100%完全に言葉にして伝えられたと思っても、ちゃんと伝わるのはそこに確認
できる事実だけで、それを取り巻く思いや考えは、相手に言葉として届いた瞬間に自分が伝えたかったことから多少変換されてしまうだろう。

これが本当に嫌だ。このせいで辛い思いをしたことが何度もある。そして最近自分ではなく身近で、
言葉の行き違いによってお互いに嫌な気持ちに
なっている人を見た。自分の事のように辛かった。仕方ないことなのは百も承知だ。だが虚しくて悲しかった。お互いが相手を大切に思っていることを私は知っている。それが言葉によって捻れて裂かれて
いくのが見えたような気がして苦しかった。

この世界に言葉があるせいで傷付けてしまったことがたくさんあるし、傷付いたことがたくさんある。
でもその傷を修復したのも言葉だった。

私を形成しているのは言葉があるおかげで出会えたたくさんの感情, 人, 景色, 音楽, 本だ。
これは紛れもない事実で、やはり私にとって言葉は必要不可欠な存在だ。

今は毎日ひとつひとつの言葉に一喜一憂しているが、私の心が成熟したら、言葉に翻弄される人生を
楽しめるだろうか。どうかそうであって欲しい。

今この瞬間も、世界中で誰かが誰かに伝えたいことを言葉に託して届けているのだろう。
私が伝えたかったことを託した言葉は、どれだけ
あなたに届いただろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?