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葦津珍彦「時の流れ」を読み解く(6)「時局展望」第6回「二外電の教訓 英の石炭飢饉と中国のインフレ」

「時局展望」第6回(神社新報昭和22年3月3日)

 前回は葦津が神社新報紙上で連載したコラム「時の流れ」の前身である「時局展望」第5回「政党と総選挙=資金、人物の問題=」を取り上げた。
 今回は昭和22年3月3日発行の神社新報第35号の1面に掲載された「時局展望」第6回「二外電の教訓 英の石炭飢饉と中国のインフレ」を取り上げる。なお本コラムの署名は「矢嶋生」となっている。

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 本コラムでは、このころもたらされた二つの外電、すなわち英国の石炭危機と中国のインフレについて取り上げ、日本への影響や対策の必要性について論じられている。

英国の石炭危機

 英国はもともと化石燃料資源に恵まれた国であり、なかでも葦津が本コラムで「豊富なる石炭資源のおかげで、西欧の孤島たる英国は『世界の工場』として繁栄することが出来たのだと云はれてゐた」というように、英国にとって豊富に産出される石炭は産業革命以来のエネルギー源であり、英国の発展・繁栄・成長を支える鍵であった。
 しかし、詳細はよくわからないのだが、このころどうも何らかの事情により英国で石炭の産出が減少したようで、発電に支障が出るなど「石炭飢饉」が発生したようである。
 葦津はこの問題について、

生産力の恢復のために石炭重点第一主義の主張されてゐる日本、社会主義経済政策是非の論がやかましく論議されてゐる日本にとつて、労働党内閣の英国に発生した石炭恐慌の外電は様々の反響を及ぼすものと思はれる。

としている。このころの日本は、いわゆる傾斜生産方式によって石炭の産出に力を入れ、工業を回復させる経済政策をとっていた。そうしたなかで英国の「石炭飢饉」は、今後の日本にとって注視しておくべき問題であったことは当然である。
 また、このころの英国は労働党政権であり、この「石炭飢饉」は、炭鉱の国有化という労働党による社会主義的な政策が進められているなかでの出来事であった。他方、このころの日本も社会主義・共産主義を求める声が高まっているところ、労働党による社会主義的な政策がこの事態を招いたのか、そして労働はこの事態をどう打開するのか、これもまた注視しておくべきだと葦津はいう。

 今を去る二十数年前一九二四年一月、マクドナルドが初めて労働党内閣を組織してから、英国労働党は幾度か政権の地位に就き或は野党となり一歩一歩前進してその基礎を固め一昨年の春アトリー内閣の成立以来既に二年近くの間政権を維持し来つて、今日この難局に直面してゐるのである。社会主義経済制度の樹立もなかなかの困難事と知るべきである。少なくとも社会主義政権が誕生しさへすれば一朝にして新天地が開け、あらゆる難事を忽ちに解決し得るかの如くに空想してゐる日本の社会主義学一年生の若い人々に対して、英国の石炭危機は貴重な研究課題を提供してゐるものと云へよう。

中国のインフレ

 中国のインフレについてはどうだろうか。葦津は次のように中国のインフレと経済状況を紹介する。

 永年の抗日戦争と対共産軍内戦のために、赤字財政を続けて来た中国では、通貨の増発は極度に達し、インフレの進行は停止する所を知らず、対米ドル相揚は急カーブをついて下落し、一ドル三千三百五十元の公定レートは全く無視せられ二月十一日には遂に法幣相揚は一時間に二千元も下落するといふ恐慌状況を現出し、一ドル一万八千元の新記録を出現するに至った。そのため上海では法幣を品物に換へようとする群衆が金銀商、宝石商を始めあらゆる商店に殺到し、商人は殆ど店を閉じてしまつた。翌十二日には米倉庫が群衆に襲撃せられる様な事件まで持ち上つたと伝へられてゐる。

 日本の敗戦により、中国では国民党と共産党の協調による統一政府が模索されたが、そこで日本統治により分断された国内市場の統合のための通貨の再統一がはかられたが、その失敗により、中国は経済的に大混乱した。
 すなわち戦時中、国民党が実効支配する地域では法幣といわれる通貨が流通し、日本軍支配地域の華北では連銀券が、華中・華南では汪兆銘政権による儲備銀券が流通していたわけだが、終戦間もない昭和20 年11月、国民党は旧日本軍支配地域で流通していた連銀券と儲備銀券の流通を禁止し、それらを法幣に回収する政策を実施した。しかし、この法幣との交換レートがずさんに設定され、大きな混乱を招いたのである。
 それとともに、すでにこのころには第二次国共内戦がはじまっていた。そのため国民党は資金確保のため法幣を乱発したこともあり、大変なインフレが起きたそうである。
 葦津は本コラムを次のように結ぶ。

 今や中国は敗戦国たる日本よりも一歩先にインフレの破滅的段階に突入した。中国のインフレがこの後如何に進展して行くが、中国が如何にしてこの破局を切り抜けて行くか、これは日本にとつても貫重なる「明日の教訓」として刮目すべき重大意義を有するものであらう。

「時の流れ」と国際情勢

 本コラムは国際情勢、しかも経済問題を取り上げている。葦津と国際情勢や経済問題などはあまり結びつくイメージがないかもしれないが、けしてそんなことはない。葦津はコラム「時の流れ」の連載終了にあたり、次のように振り返っている。

「時の流れ」には存外に国際評論が多い。語学力が乏しくて外国資料の勉強も外人との往来も少なかったに拘らず、国際評論の多かったのは、前に記した宮川社長の希望によったとも云ひ得るかと思ふ。

 宮川社長とは神社新報創立者の宮川宗徳のことであり、宮川の希望とは、

神道指令下の神社人は、国際情勢や社会文化の問題についても、今までより新しい知識を要する。本紙としての社説・論説には自然の限界があるので、別に一欄を設けて自由に時事を解明し論評して、読者に問題を提起してくれ。

というコラムの連載開始にあたっての葦津への希望のことである。こうしたいきさつから「時の流れ」では国際情勢がたびたび取り上げられており、経済問題も少なからず話題となっている。本コラムは、いわばそうした「時の流れ」が今後取り上げていく国際情勢、葦津のいう「国際評論」の一番はじめなのである。

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