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葦津珍彦「時の流れ」を読み解く(2)「時局展望」第2回「自信なき各派 連立政権工作の挫折」

「時局展望」(昭和22年1月27日)第2回

 前回は葦津珍彦が昭和22年から33年もの長きにわたって神社新報で連載したコラム「時の流れ」について紹介するとともに、「時の流れ」を舞台とした葦津の神道ジャーナリズムについて振り返り、「時の流れ」第1回(当初は「時局展望」とのコラム名であった)「神器と大嘗祭の規定なき新しき皇室典範の成立」をみていった。
 今回は昭和22年1月27日発行の神社新報第30号の1面に掲載された「時局展望」第2回を見ていきたい。論題は「自信なき各派 連立政権工作の挫折」 。署名は「矢嶋生」。矢嶋というのは葦津のペンネームの一つ「矢嶋(矢島)三郎」の矢嶋であろう。

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昭和22年1月27日発行神社新報コラム「時局展望」

 本コラムでは、このころ進んでいた第一次吉田内閣の挙国一致連立政権構想が取り上げられている。
 幣原喜重郎内閣が瓦解し、次期総理と目されていた自由党総裁鳩山一郎が公職追放をうけると、予期せぬかたちで吉田茂が自由党総裁に就任し、第一次吉田内閣が成立する。しかし、自由党の議席は過半数に達しておらず、第一次吉田内閣は自由党と進歩党の連立政権であった。そこで吉田は自進連立政権に社会党を加えた挙国一致連立政権を模索し、昭和22年1月13日にその構想を明らかにした。
 吉田の連立政権構想をうけて三党の党首会談などが行われたが、当時の報道を見ると早くも1月15日には「難関」「連立の成否半々」といった報道がなされ、16日の報道では悲観的な見方が広まっていった。結局17日、社会党は自進連立政権への参加を拒否し、連立政権構想は破綻した。
 葦津は本コラムにおいて、こうした連立政権構想について、

吉田内閣(自進両党)も野党たる社会党も何れも現下の日本の政治を担当するだけの自信がないといふ事を暴露したものと解することが出来る。

と分析し、厳しい経済情勢や労働組合の活発な闘争など政情不安に直面しながら、これを乗り切る「自信がない」ような政府・与党は「心細い限り」と厳しく批判する。
 それでは野党たる社会党に「自信がない」というのはどういうことか。
 葦津は、そもそも連立政権というのは、議会政治・政党政治の変則論であり、本来ならば社会党は吉田内閣に総辞職せよ、社会党が政権を引き受ける、というべきではないかという。
 それではなぜ社会党は、変則である連立政権構想を断らなかったのか。葦津はその点について、社会党は外交面での自信がなかったのだという。

 野党側の社会党の方でも「変則は認めぬ、総退却せよ、後は万事一切我が党の責任で美事にやつてみせる」とはいはぬ。社会党の右派は固よりのこと左派と雖も(連立政権の首班は─引用者註)「社会党首班」を強調するけれども、連立そのものを否定するのではない。社会党側としても独力で政局を担当するの自信がない。(社会党─引用者註)西尾書記長は「この難局が一党一派で乗り切れるとは考へぬ。挙国体制の要請は日増しにつのらう」と率直に述べてゐる。
 これは社会党の側における自信の欠乏を告白するものである、それは社会党に特に外交についての自信のないことを示すのであらう。

 幣原が総理大臣に就任するのも、また、その後に紆余曲折ありながらも吉田が総理大臣に就任するのも、実に外交力を買われてのことだと葦津は見抜く。
 確かに当時の日本にとって最重要政治課題が講和条約であったことはいうまでもない。
 その意味において、講和条約の時期や内容がこれからの日本の将来を決するのであり、経済問題や労働問題の見通しも、結局は講和条約がどのようなかたちで締結されるかにかかっている。
 しかし、社会党は幣原-吉田ラインに比肩する外交力のある政治家はおらず、そうした重要な外交の局面を乗り切る自信がないのだろというわけである。

 かくて現在の日本に於ては、内政に対する自信喪失党と、外政に対する自信欠乏党との連立工作が起り、それも亦破産したといふ悲惨な場面が展開されてゐる現実政治のこの暗黒の中から国民は果して何を学びとるべきであらうか。

 葦津にとってこのたびの連立政権構想は、「内政に対する自信喪失党」「外政に対する自信欠乏党」の連立政権構想であり、そこに葦津は「現実政治の暗黒」を見るのであった。
 連立政権構想が破綻した直後の4月、衆議院選挙と参議院選挙が立て続けに行われ、比較第一党となった社会党片山哲委員長を首班とする片山内閣が成立していくことになるが、こちらの政権運営も安定せず、長期政権とはならなかった。
 こうして政治の混迷が続き、国際情勢が激しく動くなかで、葦津は引き続き神道ジャーナリストとして時評を展開し、現実政治の暗黒を糾問していくのである。
 なお、政権担当能力を有し、それを有権者にきちんと示し、しっかりと政権獲得を狙って行動していくという葦津が求めた政党像は、現在の与野党の政争のなかで期待される政党像ともいえる。ここでも前回に続き葦津の先見性を見る。

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