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葦津珍彦「時の流れ」を読み解く(8)「時局展望」第8回「国際情勢の進展 米国外交政策の決意」

「時局展望」第8回(神社新報 昭和22年4月7日)

 前回は葦津珍彦が神社新報で連載したコラム「時の流れ」の前身である「時局展望」第7回「貴重な教訓提供 後半期に入る東京裁判」を取り上げた。
 今回は昭和22年4月7日発行の神社新報第40号の1面に掲載された「時局展望」第8回「国際情勢の進展 米国外交政策の決意」を取り上げる。本コラムの署名は「矢嶋生」となっている。

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 本コラムでは、トルーマン大統領が昭和22年3月12日、米議会での演説で発表したいわゆる「トルーマン・ドクトリン」について論じられているとともに、マッカーサーが同月17日に外国人記者との会見において述べた対日講和条約の早急な締結と占領軍の撤退、いわゆるマッカーサー声明について論じている。

トルーマン・ドクトリンについて

 トルーマンは昭和22年3月12日、米議会で特別教書演説をおこなう。そこでトルーマンはギリシアとトルコへの経済援助を表明し、「米国は自由な諸国民を援助する」と宣言するのであった。

私は、武装した少数者や外部の圧力による征服の試みに抵抗しようとしている自由な諸国民を支援することが、合衆国の政策でなければならないと信じるものである。私は、自らの運命を自らの方法で開拓しようとする自由な諸国民を、われわれが援助するべきだと信じるものである。( 木戸蓊「ギリシアの内戦─トルーマン・ドクトリンの背景─」より)

 このトルーマンの宣言こそトルーマン・ドクトリンであるが、トルーマン・ドクトリン発出の背景には、このころのギリシアがナチス・ドイツ占領下からレジスタンスを展開していた共産ゲリラと政府軍との内戦状態にあったが、その内戦に介入しギリシア政府を支援していたイギリスがその負担をまかないきれなくなったこと、および同じくイギリスがトルコへの援助を継続できなくなったという国際情勢がある。
 トルーマンはこうした国際情勢のなかで、ギリシアの共産ゲリラが内戦に勝利し、またトルコが独立を維持できず共産化することをおそれ、自由な諸国民のために支援すると述べたのである。トルーマン・ドクトリンは、いわば社会主義陣営に対する宣戦布告であり、東西冷戦を決定づけるとともに、今後の国際情勢の緊張を示すものであった。
 葦津は本コラムで、以上のようなトルーマン・ドクトリンの内容を確認し、こうした米国の外交政策は今後ハンガリーや朝鮮半島にもおよぶであろうという専門家の指摘を紹介しつつ、次のようにいう。

大戦後久しく論議されて来たところの米英的民主々義体制と蘇連的共産主義体制との対立は、今や何人の目にも明瞭なる姿をもつて示されるに至つた。このトルーマンの演説が今後の世界の動向に対して投げかけた波紋はすこぶる大きい。米国議会に於てもこの大統領の演説は、真球湾攻撃直後に対日宣戦布告が発せられて以来の緊張と深い印象を与へたと報ぜられてゐる。以てこの米国新外交政策の重大なる決意とその意義とが察せられるであらう。

 真珠湾攻撃以来の緊張という報道への葦津の着目はもっともであり、そもそも遠いヨーロッパの紛争に介入したり、そこに多額の援助をすることは、米国民も乗り気ではない。そうしたなかでトルーマンが以上のような外交政策を推進していくには、自由主義陣営対社会主義陣営という二つの陣営の対決構造を描き、危機意識をあおる必要もあったといわれる。それはまさしくトルーマンにとって米国民に真珠湾攻撃、そして第二次世界大戦を想起させるものでなければならなかったはずだからである。

マッカーサーの講和・独立への言及について

 本コラムではトルーマン・ドクトリン発出から5日後の17日、マッカーサーが東京で外国人記者とおこなった会見の内容についても論じられている。マッカーサーはこの日、記者団に対日講和を速やかに締結し、占領軍の撤退について語った。いわゆるマッカーサー声明である。
 葦津は本コラムでマッカーサー声明のポイントを抜き出している。葦津の問題意識が見て取れるものであり、以下確認したい。

一、平和条約締結後日本の軍事占領は終り、連合軍最高司令部も直ちに解消さるべきである。今や対日平和条約締結の準備を開給する客観情勢は十分熟してゐる。条約締結後は条約履行の監視は国際連合に委ねるべきである。

一、一平方フィートの土地当りの日本の農業生産は恐らく世界最大であらう。しかしこれでも戦後のせまい日本に密集した数千万の国民を養ふには決して十分でない。かくて日本は世界貿易参加を許さるべきであり、しかもこの貿易は民間企業のシステムで行はれねばならない云々。

一、日本をある期間、できれば五十年ほど経済的に孤立させるべきだといふ説が外国で行はれてゐるのは遺憾なことである。現在の日本の「経済的絞首」は数百万の日本人に餓死を宣告すると同様である。賠償については日本は満州、朝鮮、台湾を失つたことによつてすでに巨額の支出をしたことを指摘したい云々

一、日本民主主義の発展については特に強調したい(中略)日本に於ける民主主義は根を張ると信ずる。キリスト教とともに民主主義は世界において大きな影響力成長の素地を見出した云々

 マッカーサー声明は、トルーマン・ドクトリン後に出されたものだが、声明が出されたことそのものはトルーマン・ドクトリンとは直接関連がないといわれる。しかし、声明は実現しなかった。その理由はまさにトルーマン・ドクトリンで決定づけられた東西冷戦に求められる。
 というのも、マッカーサー声明は今の私たちにとって内容的に何も問題ないように見えるが、当時の混乱した日本の国内事情を見ると、少なくとも米国の一部の者にとっては非常に危なっかしいものであった。すなわち、日本が経済的にも疲弊した状態で、かつこれまでの社会の支配層や上層が追放され社会的安定を欠いた状態で独立を達成し占領軍が撤退すれば、それこそ日本もギリシアやトルコのようになりかねないというのである。
 そしてこの翌年、米国務省ジョージ・ケナンが来日しマッカーサーと会談する。ケナンは日本を自由主義陣営の一員として強化する考えをもっており、早期講和に反対していた。その理由は今述べた通りであり、現状における講和は早すぎであり、危険だというものである。
 これにより早期講和は否定され、これまでの公職追放路線も復帰に切り替えられ始める。旧来の支配層や社会の上層を復帰させ、社会を安定させ、親米的な日本にするためである。また、沖縄の長期保有はじめ日本の軍事的価値も見出される。
 そしてケナンは日本の再軍備には否定的だったようだが、これ以降日本では共産中国の建国と朝鮮戦争の勃発という東西冷戦の激化も背景に、再軍備、反共の防波堤という道を進むことになる。
 葦津は本コラムを次のように結ぶ。

 国際の情勢は日一日と急速に進展してゐる。日本の将来の展望も亦大きく開ける時が近づきつつある我々は準備を急がねばならぬ。

 葦津はこのころの国際情勢に対し、緊張感を持ちながらも日本の独立という希望を見出していたのかもしれいない。しかし、葦津の推測のように事態は進まず、占領下での再軍備や朝鮮戦争への介入という方向に進む。そこで葦津は「再武装反対」を唱え対米闘争を開始することになるが、それはまだ先の話である。
(つづく)

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