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Autoportrait:『私達は、どうしたら人が呼べるのかを作り手としてもっと真剣に考える必要がある』―豊岡演劇祭2023での公演を終えて

豊岡演劇祭11日間連続、全16公演を無事に完走し、パリに戻りました。
重い体をなんとか動かして、フランスから持って行った美術や道具の一つ一つを、次回のチェック項目づくりをしながら(これが意外と大事)、アトリエに戻しています。


豊岡演劇祭2023

改めて、豊岡演劇祭までご来場いただいた皆様、遠方から駆けつけてくれた旧知の方々、サポートしてくださった皆様、そしてテキパキ働いてくださった優秀な我がスタッフの皆様、そしてフェスティバル運営の皆様、本当にありがとうございました!おかげさまで本作『BLANC DE BLANC -白の中の白-』はさらなる経験値を蓄え、磨かれ、より魅力的な作品となりました。

演劇祭の芸術総監督である平田オリザさんには、「もし万が一、観に来られることがあったら嬉しいなー」と心の隅っこでちょっと思っていたのですが、丁度円熟味を増して来ていた10公演目に突然いらっしゃって頂いたことも、衝撃的な思い出となりました。

そして同時に、改めて考えれば考えるほど不思議な演劇祭だったと思っています。これは恩返しのつもりで敢えて書きますが、とにかく人が居な過ぎる。圧倒的に人が居な過ぎるのが問題だったなぁと改めて思います。

ここから先は昔話ですので、面倒な方はここまでで結構です。


思い出話

以前、フランスの小さな村で、定年退職したご老人たちが結成した委員会から公演の依頼を受けたことがありました。この村は人口が3000人ほどで、地元文化を振興するために、村に唯一ある素晴らしい250席の劇場で、年に6回、2ヶ月ごとにイベントを開催することがその委員会の目標でした。僕が受けた額は、日本円にして約15万円ほどでした。

このご老人たちの実行委員会は約8人ほどで、村で諸手を挙げて、僕たちを熱烈に歓迎してくれました。我ら4人のチームを出迎え、荷物の搬送から会場の準備、週末に閉まる(この村には週末も営業しているホテルがない!)ホテルを特別に営業し、そして食事の世話は、村自慢の手料理でした。
昼間からワインを楽しむように促され、まだ搬入しか終わっていないような状況でお昼ご飯をいただいた時、私は大まかな状況が理解できたと感じました。「この実行委員会は、ご老人たちの退職後の生きがいを見つける場なのだろうな」。何しろ、この村に来てから私たちは、村人をたったの2人しか見ていなかったからです。

そうと悟ると僕も開き直り、昼間っから思いっきり村自慢の農協のワインを飲みました。もうヤケクソです。技術スタッフを兼ねているおじいさん達も一緒に飲んで酔っ払っているので、案の定準備は遅れに遅れ、結局ゲネなしで本番に望みました。

こうして、あとはひと通り演じるだけ演じて、「いい経験になりました!美しい風景と心のこもった料理をありがとうございました!」みたいな、よくある一言を言って颯爽と去れば、よくあるアーティストの仕事も完成だ、と思いつつ、幕が上がりました。
その時の衝撃的な光景を今でも鮮明に覚えています。そこには、明らかに目を輝かせて、ハッキリ言ってどこの馬の骨とも知らぬ、このマイム俳優の作品に集まる超満員の観客がいたのです。

本番前の忙しい段階で、接客を担当した女性たちが少し戸惑った様子で静かに話し合っているのが見えました。しかし、彼女たちの困惑は来場者数が少ないことに起因するものではなく、実際には人数が会場のキャパを超えていたため、楽しみにしていた子供たちのために、小さな子供たちを膝に座らせることで問題を解決しようとしていたのです。
公演が終わった後、実行委員の一人がいたずらっぽい笑顔で私に言いました。「本当は、予約してない人が予想以上の人を連れて来ても入れちゃいけないんだけど、入れちゃった!だって楽しみにしてたって言うから」。

実は、同様の経験をイスラエルでもしました。それは3日間にわたる演劇祭で、村内に3つの会場があり、3つの会場を3つのグループに分け、1日ごとに異なる会場を回遊して公演を行うスケジュールでした。当日の朝まで、僕たちはどの会場で演じるのかすら分からない、なぜか地元のコーヒー工場の見学にいきなり連れて行かれる、村から謎の表彰を受けて盾を受け取る、など想像を二回りも超えた、あまりにも行き当たりばったりな運営だったのですが、不思議なことに、3日間とも300席の会場は超満員でした。

両方の経験に共通していたのは、日本ではまず考えられない、少なからぬ問題がオーガナイズに存在していたということです。しかし、両者とも最も大事なことを最優先に解決していました。それは観客の皆さんへの啓蒙です。「満員で、満面の笑みの観客がいるなら、どんなに杜撰なオーガナイズでも許されるだろう」と考えているのではないか?と思ったほどです。でも悔しいかな、結構その通りなんです。

これらの2つの例と豊岡演劇祭は、状況も背景も違うことを、もちろん理解しています。日本が、映画とコンサートを合わせても人口の1%しかこのような場所に足を運ぶことがない国であることも承知しています。既にフリンジ部門実行委員長ともお話をさせて頂きましたが、難しいとは言っても、やり方や可能性はいくつもあります。だからこそ、貴重な演劇祭の機会を活かし、来年はぜひこの壁を打破するチャレンジに取り組んでいただきたいと思います。

最後になりますが、このような場合、グローバルな問題として「作品が観客を育てるのか、観客が作品を育てるのか」という議論をたまに耳にしますが、僕の中でははっきりと答えが出ています。発展は常に面白い作品があってこそです。なので、僕らは必ずや面白いと自信をもって思える作品を提供するべきです。また、頑張ります。


後日談

この文章をFacebookにも投稿したところ、思わぬ反響を得ました。

Les 16 représentations du Toyooka Theatre Festival sont terminées...

Posted by 奥野 衆英 on Monday, October 2, 2023

僕自身は何の衒いもなく書きましたが、そもそも「自分の公演に人がいなかった」なんて、お客様や主催者、協力してくださったスポンサーの皆様の手前、出演者は口に出しにくいことだったのかもしれません。

作曲家の笠松泰洋氏の投稿を共有したいと思います。劇場関係者を始め、教育の観点からも議論がかわされています。

とても大切なことが書いてあります。アートに関わる人みんなに読んで頂きたくシェアします。

Posted by 笠松 泰洋 on Monday, October 2, 2023

最後に笠原氏の言葉を引用して、この豊岡演劇祭に関するnoteでの投稿を締めたいと思います。

「私達は、どうしたら人が呼べるのかを作り手としてもっと真剣に考える必要がある」

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