#082 「出世しなくてもいい」病について

キャリアは一種の投資ゲーム

先日、いくらやっても自分の人生の豊かさにつながらない「スジの悪い仕事の断捨離」というテーマで記事を三連発で挙げました。

あらためて内容をかいつまんで確認します。

まず、キャリアの出発点においてはみんな持っているものは同じ、一日24時間という時間資本だけです。この時間資本を上手に投資すると、これが人的資本や社会資本に転換され、さらにこれが金融資本となって自分に戻ってくる。つまりキャリアというのは時間資本をいかに人的資本・社会資本に転換するかという一種の投資ゲームと考えることができます。

これまでのように社会全体が足並みをそろえて成長している時代であればみんなと同じようなところに資本を張っていれば、みんなと同じように歩みを進めて行けたわけですが、現在の社会は、これがマダラ模様になっていて、ごく一部の健全に成長している場所をのぞけば、ほとんどの場所がよくて停滞、下手するとどんどん衰退しており、従ってキャリアにおいては「居場所」が重要な論点になっている、というお話でした。

そしてさらに、ではどんな場所が「良い場所」なのか?という問いについて、本記事では

  1. 影響力を持つ人から評価される機会=社会資本が成長する場

  2. 自分の持っている能力やスキルを伸長する機会=人的資本が成長する場

の二つを挙げました。意識的にこれら二つの条件を持つ場所に身を置きながら、これらの条件に該当しない場所からは全力で逃走することで、上記の投資ゲームを強かに運ぶことができる・・・これが、前回の三記事の内容のあらましでした。

「出世しなくていい」という病

さて、上記の二つの条件のうち、特に「評価される可能性の高い場所を選べ」という指摘に対していただく、よくある反論・・・というか、反論にもなっていない、捨て台詞のようなものがあります。それが

「別に出世したいと思ってない。むしろしたくない」

というものです。どうも各種の統計を見てみると、キャリアの指向性について、ホンネはともかく、一応はそのように回答する若年層はここのところどうも増えているようようなのですね。

最後は価値観の問題なので「どうぞお好きに」というしかありませんが、こういった「評価されなくてもいい、別に出世しなくてもいい」と考えている人たちに対しては二つの点を指摘しておきたいと思います。

出世とウェルビーイングには統計的な相関がある

まず、これまでの研究の結果から、出世と寿命には統計的な相関があることがわかっています。これは本当に嫌な話なんですけど、端的にいえば、出世しなかった人は相対的に早死になのです。「出世しなくていい」と主張する人々は、よく「アクセク働いてまで出世したいと思わない。ワークライフバランスを大事にして、自分らしく豊かな人生を楽しみたい」といったことを言いますが、残念ながら各種の研究は「出世した人ほど、ワークライフバランスのとれた自分らしい豊かな人生を楽しんでいる」という真逆の結果を示しています。

例えばロンドン大学の疫学研究者であるマイケル・マーモットは、イギリスの中央官庁で働く公務員を対象にした長期研究の結果、地位が低い人ほど死亡率が高いことを明らかにしています。

もちろん、死亡率には組織内の序列だけでなく、喫煙の有無や食生活や運動など、全般的な生活習慣が関わってくるわけですが、死亡率格差のうち、こういった要素で説明できるのは四分の一程度でしかなく、職場における権限の大小の方がずっと重大な影響を与えると同教授は指摘しています。

これは考えてみれば当たり前のことです。自分の仕事環境を自分の意のままに動かせないとなれば無力感を覚え、ストレスは溜まるでしょう。こうしたストレスが健康を蝕む恐れがあることはよく知られていることです。

社会変革には権力が要る

二つ目に指摘したいのが、会社を使って世の中をよくするには、会社を動かす権力が必要だということです。私はこの点について、いろんなところで触れていますが、世界が抱えている多くの問題を解決するためには、会社の持っている様々な問題解決の能力を動員することが必要になります。

その場でグルっと周囲360度を見渡してください。目に入ってくるもののほとんどすべてが、「どこかの企業が作った物」であるはずです。私たちの人生の風景のほとんどを作っているのは企業であり、だからこそ企業を変えなければ社会は変わらないのです。

そして、企業を変えるには、それを変えるだけの健全な問題意識を持った人物に、変えるだけの権力と地位を与える必要があります。与えられた世界を出来合いのものとして考え、そのなかでラットレースのように出世競争に明け暮れる人を横目にすれば、高いレベルの問題意識を持った人であればあるほどに、「ああはなりたくないね」と思うかも知れません。

しかし、そう思ってしまっては世界の景色は何も変わりません。むしろ、そのような冷めた視点を持って俯瞰して社会を見渡せる人にこそ、会社を動かすだけの地位と権力を持ち、少しでも世界を良くするための仕事をして欲しいと思うのです。

セルフ・ハンディキャッピングの罠

さて、ここまで「出世を目指さない」という選択が、パーソナルとソーシャルの両面におけるウェル・ビーイングに大きなダメージを与えるという話をしてきましたが、ここで一つ「別に評価されなくていい」と主張する人の心理にどのようなメカニズムが働いているかを考察してみましょう。

結論から言えば、「別に出世しなくていい」と公言する人は、このように公言することで「出世できなかったことで受ける心理的なダメージ」を最小化していると考えられます。よく言われる「俺は本気出してないだけ」といういいわけができるからです。

このような自己防衛のための心理機能は専門的にはセルフ・ハンディキャッピングと呼ばれます。人は「自分には能力がある、自分は優秀である」ということを信じたい。しかし、頑張った結果として成果が得られなければ、この願望は叶えられない。この状況を避けるために頑張らずに早めに降参してしまうのです。セルフハンディキャッピングの存在は、企業のみならず、スポーツ、芸術、学術等、さまざまな領域において発生していることが研究で実証されています。

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