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かいじゅうの哲学

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わたしの思想
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記事一覧

名前について

ある神を信仰するひとたちにとって、この世でもっとも美しい言葉はその神の名前なのだ、と大学生のころに芸術の授業で習った。それまで名前を「言葉」としてとらえたことのなかったわたしは、価値観をガツンと叩き割られるような衝撃を受けた。 彼らにとって神の名を口にすることは、祈ることと同義であるらしい。だから名前はこの世でいちばん美しい言葉であり、祈りであり、呪文なのだ。 誰かを好きになることは一種の信仰だと思う。だからあなたの名前がこんなにも美しく感じられる。 健康になって

死について

死ぬってどういうことなのかな、とたまに考える。あのころ社会現象にもなった漫画『デスノート』には、死とは「無」だと書いてあった。小さいころ(歳がばれるね)、わたしはそれが恐ろしかった。しかしそれは真理という気もした。死とは「無」であるということを、わたしは未だにときどき思い出し、そして怯えている。 村上春樹『ノルウェイの森』では、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」と語られる。死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。死は、生の逆さまに

祈りについて

きのう話した男の子が、一方通行の想いのことを「祈り」と表現していて、とてもよかった。 ふられたひとのこと、もう会えないひとのこと、死んでしまったひとのこと、会ったこともない誰かのこと、それらを想うとき、あなたは祈っている。 きもちはどこへ行くんだろうと思っていた。たぶんあれも祈りだった。もしかしたら届かないかもしれない想いを、無駄だと切り捨ててしまうのはすこし寂しいから。それを祈りと呼ぼう。優しく、あたたかで、かすかに希望をとどめたことばで呼ぼう。 (引用元:kai

初恋について

中学生のとき、初めてカレシができた。それは部活の先輩だった。あのころ1歳は、すごく大きい差だった。先輩はアホだったけど、運動が上手くて、よく笑うひとだった。いつもヘラヘラしていた。悩みすぎるわたしは先輩の、いつも能天気にヘラヘラしているところが好きだった。電話にはなかなか出なかった。携帯をよくお母さんに取り上げられていた。初デートはすっぽかされて泣いた。それでも大学ノートの切れ端に、シャーペンの汚い字で一生懸命に手紙を書いてくれるような、そんなところもあった。 あのころど

知ることは愛することだ

自分の哲学を持とう。自分だけの、自分のための哲学を持とう。そしてお互いの哲学を交換しよう。親しいひとでも、見ず知らずのひとでもいい。理解できてもいいし、ぜんぜんできなくてもいい。ひとの哲学にふれることで、自分の哲学をもっと、深めよう。そうやってすこしずつ、変化させながら、つくりあげたあなたの哲学がいつか、どこかでかならずあなたを守る。その瞬間がきっとくる。 ところで、わたしが大切にしている、わたしの哲学のひとつに、知ることは愛することだ。というのがある。 それをはじめ