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私の姑だった人

【魚の小骨】
2年前に離婚した私ですが、もちろん後悔はしていません。
が、たった一つだけ、小さく悔いていることがあります。
のどに刺さった魚の小骨のように、いつまでも私の中にあって時々ちくりとするんです。

それは「元夫の母」=私の姑だった人のことです。

もう姑ではないので、よしさんと呼びます。
よしさんは、一言でいうとかわいい人でした。
世間でよく言われる「嫁と姑」の対立のようなものは私たちの間にはありませんでした。
よしさんは、いわゆるお嬢さん育ち。資産家の一人娘だったそうで、私から見てもちょっと世間知らずなところがありました。

なぜ彼女のことが「魚の小骨」になっているかというと、私が離婚を切り出してから一度も会うことがなく、離婚成立直後にがんで亡くなってしまったからです。

最後の入院中に、お見舞いに行きたかった。
でも、今まさに息子と離婚したがっている女が会いに行っても、うれしくないだろうな。
それに、彼女のそばにはいつも私の大嫌いな舅がいたので、今や息子や自分たちの「敵」となった「嫁だった女」が、のこのこと病院に会いに行くなんて恐ろしいことはできませんでした。

【舅という男】
この舅というのが、今でいう「DV/モラハラ夫」の典型のような人。
私たちの親世代は、案外DV夫って多かったのではないかと思います。
家庭内のもめ事はなかなか外には出てこない時代です。
夫が妻に暴力をふるっても「夫婦喧嘩」でかたづけられるし、そもそもそんな恥ずかしいことは誰にも言えないという空気がありました。

昭和の「専業主婦」は、家事も育児も完璧にやって当たり前。
夫を立てて、文句も言わず・・・という女性が多かったのだと思います。

よしさんも、そういう妻の一人でした。

【よしさんからの告白】
結婚して数年たった時、よしさんと深夜に二人きりで話す機会がありました。
その時、彼女は堰を切ったように、今まで自分がどんなに我慢してきたか、どんなひどいことをされたか、私に語りはじめました。
語り始めると、もう止められないという風に、長い時間時折涙を流しながら語り続けたのです。
若かった私は「なんで嫁の私にこんな話をするの?」って驚きました。

今思えば、ほかの誰にも言えなかったんですよね。
女友達との交流でさえ、夫に制限され、パートに出ることも許されず、家族以外とは近所の奥さんとちょっと立ち話をするくらいしかなかったよしさん。

娘にも息子にも言えないし、親にももちろん言えない。
そこで、「妻」という立場にいる私に白羽の矢が立ったのでしょうね。

結婚前に同僚の男性と立ち話をしていたら偶然現れて、道端で殴られた。
付き合った時点で、一切男女かかわらず友達付き合いも禁止された。
てんぷらの上げ方が悪いと、ちゃぶ台をひっくり返された。
お酒を飲むと、言いがかりをつけられ罵倒されなぐられた。

耳を疑うような話ばかりでした。
だけど、「やさしい時もあるのよ」っていうんです。
これって、典型的なDV男の特徴なんだけど、当時は「DV」という言葉すらなく、こういうタイプの男に関する知識を誰も持ってなかったんですね。

そういう家庭に育ったからなのか、やはり元夫にもそういう性質は一部引き継がれていたと思います。(DVはありませんでした)

【ありがとうございました】
最後まで、我慢し続けたのかな。
そういう人と一生一緒にいるって、どんな気持ちだったんだろう。
諦め・・・そんな悲しい言葉が浮かびます。
夫より先に逝ってしまうということが、彼女の最大の復讐。
意図的ではないにせよ、最後の最後に彼女ができる最大の復讐になったような気がします。

皮肉なことですが、「よしさんのように、死ぬまで我慢するのは嫌だ」という思いが、離婚に向けて私の背中を押しました。

嫁である私に、あの夜、思いのたけを吐き出したよしさん。
弱かったけど強かった女性。

最後に傷つけてごめんなさい。ありがとうございました。


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