山梨県民は都市化してゆく県を憂いたほうがよい

今回は私の出身である山梨県について書こうと思う。

大学生になるときに山梨を離れた。そして、年に数回帰省することがあり、JRからよく山梨を眺めていた。
するとどうも、帰るたびに山梨の景色が少しずつ変わっていることに気づく。
それは駅舎であり、街路樹であり建物であるのだが、
それらは、便利の枠を超えて、必要以上に洗練され、東京の右に倣え(倣えていないと思うのだが)になっている気がする。

いい例はここ数年で建て替えられた甲府市役所庁舎である。全面ガラス張りになりプライバシーなんてあったものではない。天井が高く採光も良くなり、人々が集う場所としての価値が出れば良いのだが、私は未だ市役所に集った人々を見たことがない。(同様な外見をした山梨県立図書館は、甲府駅北口の一等地を大胆に図書館に使ったと思っている。私が山梨で好きな場所のひとつである)

もう一つ例を出すと、甲府駅の両隣の特急駅は駅舎が新しくなったのだが、街並みに似合わないほど立派に"なってしまった"のだ。ハコモノばかりが大きくなり、ロータリーからホームに降りるために要する時間は確実に伸びた。

建て替えや、工事をして、多くの人が快適に使えるようにデザインすることは良いことだと思う。
ただ、整備と装飾の境目を無視してデザインが独り歩きしているのではないか、と思うことがある。

山梨は人口も減少し、高齢化率も上がっている、典型的な地方の県だ。
だからこそ、様々なところをデザインして、住みやすいように配慮しているのかもしれない。

しかし、残念ながら今の山梨には住んでもらえる大きな要因がない。ならばそれまでは地域の人が便利に使える程度のシンプルな施設しか求められていないのではないだろうか。

また、敢えて洗練されていないところが、東京から2時間でいける本物の田舎としての価値を発揮できるのできると思う。中途半端に手の入った田舎は不便に感じるかもしれないが、本物の田舎について都会的でないと文句を言う人は誰もいない。同様に私は山に新しい林道を整備することも反対だ。

今後、日本の地方が都市化が進んで行く中で、山梨だけが近郊で唯一の田舎になることができたならば、それは、山梨がそのままで大きな観光資源を手に入れたことになるのではないか。

都市化を手放しで喜んではいけない。

#コラム #山梨

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