「偶像を叩いて幸せになっている皆さん」みたいなのが嫌い

『これこれこういうシチュエーションがあったから、こうやって成敗した』
みたいなテレビ番組を見たことはないだろうか。嫌な女とか、嫌な上司とか、普段からふつふつと溜まっているストレスをかわりに発散させることをウリにしているのだろう。

ネット記事でもジャンル化されているのかと思うほど嫌な奴に巧みに仕返しをした話をよく目にする。

そういう話は往々にして「痛快」という言葉が枕詞になっているが、
私はその手のものが見ていられない。

エピソードに出てくる人について、「そんなやついるか?」という感想しか浮かんでこない。百歩譲っていたとしてもその人がそれまで誰かから嫌がらせを受けたり周りに疎まれたりすることなくのさばる世界ってなんなんだ、と思ってしまう。

実在する企業、団体の名前が出てくれば少しはのめりこめるかもしれない。しかし、そうでないものは、作者の発達した右脳が生み出した怪物以外の何者でもないと思う。

ツイッターでも「◯◯でさえ××なのに、△△さえできない皆さん」みたいな構文が大嫌いだ。
結局△△さえできないみなさんは日本中探せばたくさんいるかもしれない、たくさんいると言ってほぼ間違い無いだろう。
だがその発言がネットの海を泳いでいく前はもれなく想像力の怪物であるような気がしてならないからだ。

そもそも、この手の偶像を叩いて痛快さを得る手法は、実在する人物を傷つけずに愉快な気分になれるメリットがある。いじめ判定が厳しくなった世の中、よくぞ編み出されたとは思う。
しかし最初は可愛かったこの怪物も、次第に人の手に負えない化け物に進化を遂げてしまった気がする。

別にこのジャンルが好きな人のことは嫌いなんて訳はなく、この構文を巧みに使っているなあと舌を巻くことも多々あるが、
人の妄想が産み出した怪物に飲まれてしまうのはゴメンだ。


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