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A先生

小学校の先生は、人生における最重要なポジションのひとつであるというのが持論だ。

人格形成面や勉学の面、どちらも小学校の先生の影響は大きいと思う。公立の学校においては、ほとんどの科目をクラス担任が兼務するケースが多いため、特定の一人の先生に左右される面も多分にある。勉強で躓かず、他人と雑談ができ、様々なことに興味を持つことができる大人になれるかに対して、小学校の教師の影響が5割くらいあると思う。

中学生の頃の塾の先生が、生徒の親を脅すように使っていた「いまの子どもは高校2年生までに人生の75%くらいは決まってしまう」という印象的なフレーズがある。この学歴社会において、塾に来るなど一般的な育ち方をしている人に対してかける言葉としてはある意味正しい気がする。今の自分の置かれている境遇以外を想像することは難しいが、職場の同僚や仕事で出会う人の中で、大学を出ていない人を見つけるのはちょっと難しい。また、新卒入社の同期も、日本人だけで言えばある数校の大学で6割以上が占められていた。それほど偏った属性の人で私の周りの世界は成り立っているのである。

小学生だった頃に印象に残っている先生がいる。小学校4年の時の担任のA先生だ。男の人で、先生の子どもも小学校低学年くらいの、若めの先生だった。この先生は、1日の最初の授業を始めるときに必ず「実のある雑談」から始めた。世界の色々な場所で起きているニュース、身近な商品の誕生話、先生の子ども時代と今の違いなど、毎回毛色の違う話から始め、いつの間にか授業に帰着していたのである。

10歳だった頃の話を15年以上後にもしっかり覚えている話がいくつかある。
ある日、授業が始まると、雑談としてトイレに流れる水の話を始めたのだ。あのレバーを引くとどれくらいの水が流れるかという謎のクイズと、昔よりも機構の改善などでトイレを流すための水量を減らすことができているという話をした。そしてその話を、地球の資源を守るというエコに結びつけて、社会の環境問題の授業を始めたのだ。

また、先生は算数の授業は百マス計算から始めた。授業の冒頭に百マス計算を配ると、生徒は一斉にスタートする。先生がNHK杯の秒読み係のように時間を読み上げていき、できた生徒は「はい!」と共に、自分の記録を記していくのだ。勉強が得意な生徒は足し算、引き算、割り算は1分をどれだけ切れるかというタイムアタックとなり、そうでない生徒はまずは5分の内にやり切り、だんだんとタイムを縮めていった。あの緊張感のある時間と脳をフル回転させる感覚が今でも懐かしい。
さらに、応用として、何度かは余りのある割り算の100題計算にも取り組んだ。余りを出す作業は他の四則演算よりも処理に時間がかかるため、5分で完了させることもままならず、クラスに2人ほどいた5分で完答できる奴は完全にヒーローだった。(私は1度もできなかった気がする)

今を思えば、普通の授業の進め方をしていなかったので、クラスの授業の進捗は意外とめちゃくちゃだった気もしないでもない。どのように学習指導要領を満たしていったのだろう。

そんな先生のことを私はたいへん気に入っていた。知的好奇心の虜になり、自らありとあらゆる雑学を調べていく子どもになった。そのおかげで今の自分があると思う。珍しく、その後の担任の先生もA先生がいいなと思っていた。

しかし、その先生はその次の年に急遽学校を離れた。翌年からアラブ首長国連邦の日本人学校に赴任することになったのだった。私は衝撃を受けた。小学校の先生が県から離れることすら異例だと思っていたからだ。しかし私はその発表があった次の日には先生の異動を受け入れていた。A先生の先生としての「異質さ」を理解していたのだ。
その後のことはよくわからないが、先生は5年ほどで地元に帰ってきたと聞いている。もしまだ先生を続けているのであれば校長先生になっていてもおかしくない年だ。
私は自分の生い立ちを思い出すたびに、A先生のことが気になっている。



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