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ザスパクサツ群馬20.21年編

2020年にJ1湘南ベルマーレからJ2ザスパクサツ群馬に、戻ってくる事になりました。J3のザスパを昇格させれないままJ1のベルマーレに行って、翌年J2に昇格が決まったザスパから声が掛かり行く事になりました。
そして20.21年はコロナウイルスによって、大きく生活も、サッカー界も変わりました。
私生活では、結婚もしました。その時の事を書いてみたいと思います。


ザスパに戻ってくる事が決まり、絶対何がなんでも試合に出て実績を作ってまたJ1でプレーしてやろうと思ってた。もうその事しか頭になかった。しかし、2020年の開幕スタメンは清水慶記選手。その直後からコロナウイルスの影響によってリーグが3ヶ月以上中断した。
リーグ再開後もベンチ。ようやく第8節の栃木SC戦でスタメン出場したが、0-1で敗退し、次節のジェフ千葉戦では俺だけがスタメン落ち。その後も連敗が続いたり、連戦の中日のアウェイゲーム中心に試合出場したけれど、全然勝てなかった。そして負けたらすぐスタメンから降ろされる。正直この年はめちゃくちゃキツかった。

ベルマーレで1年プレーして、沢山学んだ事もあったし、GK論やプレースタイルも自分なりに整理されて戻って来た。自信はあった。継続的に試合に出れれば、絶対やっていけるって思いにもなっていた。けど、シーズンがスタートして蓋を開けてみたらこのザマ。
スタッフからの信頼も得られずに、連敗で流れを変える為に出場しても負けてすぐに交代。やってらんなかった。何度も物に当たり散らかしたし、文句も垂れまくっていたと思う。

家に帰れば、彼女(現在妻です)に文句を言い、本当にどうしようもなかったと思う。迷惑をかけた。申し訳ない。

メンタルが弱い。ただそれだけだったと思う。一体ここまでのサッカー人生で何を学んできたのか。頭では分かっているものの、行動に移せず、結局は自分の弱さや意志の弱さに負けて、プレーも行動も良くない方向にいってしまっていた。

けれど気持ちを切り替えるキッカケは3つあった。

1つはスタメンを争い合った清水選手の存在。他にもGKは外山選手、蔦選手、翌年は山田選手が居たんだけど、清水選手は特別だった。2016、2017年にザスパに在籍していて俺が入る前の守護神だったGK。大宮アルディージャやブラウブリッツ秋田でプレーしていて、同じ年にザスパに帰って来た選手。俺は当然、清水選手の事を知っていたし、意識もしていた。なんたって俺が在籍した2018年の前年までの守護神だし、活躍をしていたのも見ていたので、相当意識をしていた。
そんな清水選手と、20年に再入団して一緒にプレー出来る事が決まった時には嬉しくもあり、絶対負けるもんかと思っていた。

勿論プレーはベテランらしく何をしても安定して技術が高い。特にクロス対応は抜群で、守備範囲がめちゃくちゃ広かった。俺と身長も大して変わらないのに何故あんなに空中戦に強いのか、不思議で不思議でしょうがなかった。

そんな清水選手とスタメンを争ってたんだけど、このシーズンの中頃まで清水選手が試合に出ていた時、正直複雑な思いでベンチから見ていたし、不満が溜まる状態で普段から過ごしていたので、常にイライラしていた。

けれど俺がたまに試合に出る時に、物凄くサポートしてくれる清水選手の立ち振る舞いを見た時、このまんまじゃいけない!と強く思った。
俺よりも7つ上の先輩で、ギラギラしてる俺に対して、包み込む様にサポートしてくれるし。試合中や練習中、ロッカールーム等で愚痴を聞いてくれたり、相談に乗ってくれたり、アドバイスもくれる。
そんな人間を目の当たりにした俺は、絶対変わらなければと思った。チームに対しては思う事沢山あるけれど、清水選手や若いGKの選手、他の選手や関係者の方達の為にもっと働いていこうと思った。
そしてこの言葉を思い出す。

『誰かのため、みんなのために、自分が頑張らないと、自分の為に、誰も頑張ってくれない』
『チームメイトの成功を喜べないと、自分の成功を誰も喜んでくれない』

J3で試合に出てJ1に行き、調子に乗っていたのかもしれない。上のカテゴリーからJ2に行き、試合に出れないという現実を突きつけられた。
自分が成り上がる事ばかり考えていた俺は、この時、他人の成功やチームメイトや家族、彼女(妻)、関係者の皆の事を全く考えていなかった。まだまだ弱いですよね…。
だけど、清水選手の振る舞いのおかげで、心が変わるキッカケが出来た。

2つ目はアウェイ水戸ホーリーホック戦での事。久々にまたスタメンになれた俺は、序盤からそんなに悪くないプレーをしていたと思うけど、2失点してしまい、1-2というビハインドを負って時間が過ぎていった。時間は85分を過ぎている。当然ザスパはドンドン攻撃に出ていったし、チャンスもあった。追いつける!逆転出来ると思っていた。
そしてロスタイムに入る直前、リスクをかけて最終ラインを上げ、俺も高い位置でプレーしていた。ハーフライン付近で味方のパスを受けた俺は、トラップを足元に入れてしまい、持ち直すのに時間がかかり、相手選手に奪われてしまった。そしてそのまんま無人のゴールに流し込まれた。決定的な3点目を失ってしまった。
試合後不甲斐なさとチームに対しての申し訳なさがあり、不覚にも少し泣いてしまった。

そんな時、水戸ホーリーホックのGK本間選手から声をかけてもらい、慰めてもらった。内容は言いたくないけれど、やはりGKにはGKしか分からない世界があるよなって思った。
俺らにしか分からない苦しみや悩みがある。それを本間選手と話してる中で分かったし、GKって特別なんだなと思ったな。
当然近くには清水選手も居たし、GKコーチの小島伸幸さんもそばにいてくれた。

水戸からの帰りのバスで、普段そんなにしないし、特に負けた後は絶対嫌だから、エゴサなんてしないけど、その日はめちゃくちゃエゴサをした。ザスパの掲示板も見た。案の定俺の事を叩きまくってるし、直接Twitter等に書いてくるような人も居る。けど一旦全て受け入れようと思った。
それを受けて、まだまだ弱い人間だと感じたし、この程度で一喜一憂してたらこの世界で戦えないよなと感じた。
J1や日本代表でプレーしてる選手なんか、この程度の批判なんか屁でもないだろうし、俺の何百倍何千倍もプレッシャーがあると思う。
J2の下位のチームでミスって失点した事くらい、どうって事ない。言いたいだけ言っとけよ、と思えるメンタルをこれから作っていきたいと思った。

3つ目は、水戸から自宅に帰った時。完全に落ち込んでいた俺。その俺を見ると、彼女(妻)がなんとも言えない、複雑な表情をしていた。なんて言葉をかけたらいいだろう、どうしたらいいだろうという顔。少しばかり目も赤くなっていた。
それを見て、2度とこういう思いをさせたくないと思った。
まぁその後もミスしたり負けたりして悲しい思いをさせた事もあるだろうけど、俺が家に帰る時にはいつも通り、暗い顔せず帰って、嫌な事は持ち帰らないようにしようと思った。
そんな上手くいかないけど…メンヘラ気質ある。

その水戸戦の後は2ヶ月ほど試合に出られなかった。けれど、自分の中ではさっき言った3つのことが常に頭にあったし、心の中が整理された状態でトレーニングが出来ていた。

再びスタメンになったのは、第37節アウェイFC町田ゼルビア戦。ここまで4試合出場して全敗。5試合目だった。この試合は、自分のプレーはどうでもよくて、最終的にチームが勝てばいい。そんな気持ちで準備した。
前日にホテルに入り、試合に向けて準備をしていたんだけど、プレッシャーとストレスからか、何をするにしてもダルい。身体が重い。そして寝つきも悪い。普段は7〜8時間寝るんだけど、この日は2〜3時間しか寝ていない。朝も早く起きて、ホテルの外を散歩をして気を紛らわせようとしたが、全く紛れない。
身体も気怠く重かったので、念の為、熱も測ったけど36度しかない。
完全にプレッシャーに押し潰されていた…

それでも時は過ぎ、バスに乗って会場に向かう。未だに身体は重い。アップが始まってもソワソワしてるし、本当にしんどかった。

試合開始。無我夢中でプレーした。特に仕事は無かったけど、とにかくやれる事やろうと思った。身体が重い事を忘れていた。

試合終了。3-0で勝利。肩の荷が降りた。なんだか体調も良い。すこぶる良い。完全にプレッシャーに負けてたな。笑
ようやく勝てた。でも帰りのバスでフッと我に帰り、大事なのはこの後の練習と立ち振る舞い。今までの経験から学んだ事だ。

勝った事で次節もスタメンになった。松本山雅、栃木SC、アルビレックス新潟との3試合負け無し。スタメンになってから4試合を、第41節のファジアーノ岡山戦まで3勝1分で突き進んだ。

第41節ファジアーノ岡山戦。これは俺にとって特別な試合。チームの皆には意識してないよと話したけど、バリバリ意識してた。俺がクビになったチーム。どうしても勝ちたい。ファジアーノは好きだけど、正直対戦するとなると、ムカつく相手。試合に出たら見返してやりたいと思ってたし、勝ってデカいガッツポーズをファジアーノの選手、スタッフ、フロント、サポーターに向けてやってやろうと決めていた。

試合前日から相変わらずテンションが上がってしまい、ソワソワしていた。ホームゲームだったので前日から当日にかけても自宅に居たけれど、落ち着きのない行動していたと思う。ファジアーノ時代の動画を見たり、応援歌を聴いたり。
ナイターだったので、時間もあったし考える時間も多く、ポジティブな事とネガティブな事を両方考えてしまい、冬なのにも関わらずイヤな汗をずっとかいていた。

スタジアムに入り、ファジアーノのエンブレムや横断幕を見ると、等々このチームとやるのかと思うと、なんか試合前から感極まりそうだった。
アップが終わり、試合まで刻一刻と時間が迫る。少しずつ落ち着いてきた。

そして試合開始。一進一退の攻防。最高に痺れる試合だった。前半に青木選手、後半に林選手がゴールを決めてくれて2-0の勝利。

最高に嬉しかった。派手にガッツポーズをしてやりたかったけど…
そんな事思う事もなく、気づいたらファジアーノのサポーター席に向かって頭を下げていた。

試合後。
Twitterからお借りしました!

試合後に湧いた感情は、感謝。ファジアーノ岡山に対して感謝という感情しか湧いてこなかった。こうやってJ2リーグという舞台で対戦出来た事、本当に嬉しかったし、今後はJ1で対戦したい!と強く願った!

そして最終節の京都サンガ戦も勝利で終えて、最後の6試合を5勝1分で乗り切ることが出来た。来シーズンは更なる飛躍をと、心に決めた。

短いオフシーズンが終わり、2021年。J1クラブに引き抜かれる選手も居て、どうなるかと思ったけど。これはザスパの宿命。まぁ大八選手とは翌年またコンサドーレでチームメイトになるんだけど…
それでも強化部やスタッフのおかけで、実績ある選手や、ビッククラブを経験した事のある若手選手達が来てくれた。奥野監督も継続だったし、終盤のサッカーが出来れば、更に上に行けるだろうとこの時点では感じていた。

年が明け、シーズンが始まる。群馬で始動し、2、3週間フィジカル作りをして、その後1週間沖縄でキャンプをする事が出来た。暖かい土地でフカフカの芝生でサッカーが出来る事が最高に嬉しかった。
やっぱりキャンプはキッツいけど、なんだかんだ好きだなー。

キャンプの午後オフにて。

キャンプも終わり、群馬でシーズン開幕に向けて練習を重ねていき、順調にチーム作りは出来ていったと思う。練習試合もいい内容でJ1クラブにも負けなかったし、J2クラブにもいい内容で勝ててたし。いいプレシーズンだった。

そしてついに開幕戦。ホームでのブラウブリッツ秋田戦。スタメンで起用される事になった。
J2リーグ初開幕スタメン。やっぱり嬉しかった。試合も勝つ事が出来たしここから上昇していこうという気持ちになった。

しかし、5試合が終わって、1勝1分3敗。嫌な予感がした。案の定スタメン落ち。悔しかった。本当に落ち込んだ。PK止めた次の試合でなんで外されんだよ!ってボヤキながら練習してた。

けれど周りの皆に迷惑かけずに、やれる事をやってサポートし、次の出番を待った。
まぁ多少は態度や顔に、出ていたのかもしれないけど。

6月頃にチームの不調で、俺にまたスタメンの機会があり、何試合か負けない事で継続して試合に出れたけど、負けた瞬間に交代。流石にメンタルが堪えた…相当しんどかった。

5月に入籍もしたし、ここから更にという時に、まだこの扱いなのかと。
負けたら変わってしまう。どうしてだろう。
俺だけのせい?俺が戦犯なの?なんで?と思ったけれど、監督が決めた事だからしょうがない。
ムカついても、文句を言っても決めるのは監督だから受け入れるしかない。
勝ち続けるしかないんだ俺という選手は、という気持ちを持ってトレーニングを続けた。

7月に久藤監督に代わったけれど、中々スタメンは無く、あー俺の実力ってそんなもんなんだなと思って逆に開き直ってプレーしていた。
GKの怪我の影響で、4〜5試合出して貰って3勝1敗1失点と、結果はそこそこ出ていたけど、また負けたら代わってしまった。2人の監督がそういう判断をするなら仕方ないので、もう完全に自分の実力不足だと思ったので、とにかく練習を頑張るしか無かった。

そしてこの年は、J3降格チームが4チームという事もあり、厳しい戦いだった。J1経験クラブも降格圏に居たし、クラブの予算規模が小さいザスパは中々勝ち点を伸ばせず、完全に残留争い真っ只中だった。

ザスパというチームは大好きだったから、なんとか残留したかったし、来年もJ2に残ってプレーしたかったので、全力でサポートする事を誓った。

中々俺自身上手くいかずに、イライラする事もあったけれど、自分の中でボヤいて怒って消化した。

それでも細貝選手、渡辺選手、清水選手らのベテラン選手達が必死にチームの為に戦って、雰囲気も良くしてくれていたので、俺も見習おうと思ったし、こういう選手達だからこそ長い間Jリーグでプレー出来るんだなと改めて感じた。

チームは上位陣にもコツコツ勝ち点を積み重ねて、なんとか最終節でJ2残留を決められた。ホッとした。最終節の大宮アルディージャ戦は、ベンチでアップをしつつ、他会場の速報や映像を見て、一喜一憂しながらチームメイトのサポートに回った。負けてしまったけど、何とか残留。本望では無かったけれど、一応ミッションは達成。
来シーズンに向けて何とかJ2という舞台を用意する事が出来た。

まぁ翌日に戦力外通告受けるんだけどね…

この2年で学んだ事は、やっぱりこの世界って他己評価だし、いくら俺の方が良いとか、周りの見てる人が良いとか言ってくれたとしても、結局決めるのは監督や強化部。その判断を受け入れて前に進むしかない。
納得出来ないけれど、それがこのプロの世界。
だからこの2年は俺にとってとても不本意だったし、屈辱的な期間だった。
でも目の前の事をやり続けるしかないし、他人や環境がどうであれ、毎日のトレーニング、試合を全力でやり続けるしかないと思った。
長くやりたいからね現役生活。

ちなみにこの年の年末に京都サンガと、J3のクラブからオファーが電話で来た時に、ちょうど妻の実家に居たんだけど、妻から
『来年もJリーガーで居られるね』
と言われた。ごめんよ心配かけてと思ったのと同時に、まだまだ言わせてやるからなと誓ったのも事実。

あとは素晴らしい選手達がザスパには居て、選手のファミリー感というか、一体感を凄く感じていた。だからこそ毎年選手沢山入れ替わるのは、すごく寂しかったし、また1からやり直しかと思うと、とても不安になった。まぁ1回ベルマーレに行った男が何を言うてるのって感じだと思うけど…
でも俺が在籍した3年間、選手は全然違うけど、ファミリー感のある選手達だったと思うので、今後もザスパにはそのカラーを大切にしていって欲しいなと思うかな。
色々あると思うけれど、結局積み重ねが大事だと思うし、その結果新しい景色をザスパを応援してくれる人や、群馬県の方に見せてほしいなと思う。頼むよ本当に。最高の練習場出来るんだから。妻の実家近いんだから。縁は切っても切れないんだよ!笑


以上ザスパクサツ群馬20.21年編でした。

長々とお付き合いありがとうございました。これでプロサッカー生活の振り返りは終了です。これからは色んなことをテーマに色々とやっていきたいと思うので、是非よろしくお願いします。

以上あざっしたー!

岡山時代のチームメイトと再会も多かった
清水慎太郎と赤嶺真吾さん
プロポーズ成功
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ザスパJリーグ200勝のメモリアル
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