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トレンドはいくら食べても満腹にならない。

飽食の時代と言われて久しい今日、世の中はフードロスや飢餓の問題に目を向け、解決しようと試みる人が多くいます。

日本の「もったいない」という概念が、ノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんによって「MOTTAINAI」という言葉で世界に広められたことも思い出されます。

2018年のグッドデザイン賞では「おてらおやつクラブ」という素晴らしい活動が大賞を獲得し「デザイン」の対象がモノにとどまらずサービスや活動にまで広がっていることを体現しました。

食物の不足は生きることに直結する問題であり、世界問題の最上位事項ですが、この問題解決には明快なゴールがあります。
それは世界中の誰もが餓死することのない量の食糧を確保することです。

人間ならではの「おいしいものが食べたい」という欲求の存在を傍におけば、食物の摂取には物理的限界があり、世界中の人を満腹にできる量は計算することができます。

それができないのは、世界に富と権力の偏りが存在するからでしょう。
声の大きい人は多くの人を動かすムーブメントをつくってもらい、声の小さい僕のような存在は、身近でできることをコツコツとつづけるべきでしょう。

すこし話が大きくなってしまいました。

今日書きたかったのは、世界の大きな問題を解決したいという話ではなく、個人的かつ矮小な「トレンド」に関する悩みについてです。

「トレンド」はどれだけ摂取しても、お腹がいっぱいになり満足することができない。心が満たされない。なぜなのでしょうか。

ないもの、あります

「ないもの、あります」
これはクラフト・エヴィング商會の著書のタイトルです。

「堪忍袋の緒」や「相槌」といった現実には「ないもの」をイラストとユーモアあふれる文章で「あるもの」にする試みで、非常におもしろかった。


「今年の流行色は○○と○○です。」

こんな発表を耳にしたことはないでしょうか?
ファッションやインテリアにおいて、今後流行すると予測される色をとある団体が年に一度発表するという取り組みです。

この取り組みを批判したい訳ではありません。
現代にはこれと同じように「ないもの」の存在を、必要なものであると提示し、それを消費していくという一連の行動が多く見られます。
つまり「流行をつくる」行為です。
これをあらわす例として挙げました。

人間はアッシュの同調圧力実験の結果が示すように、多数派の意見によって意識が操作されてしまう生き物です。

流行という「多くの人が良いと思っている(と思われる)」事柄について、私もそれが良いと思わなければならないと錯覚してしまう。

しかし、流行を摂取したとしても、次から次へあたらしい流行が生まれ、いったい私は何を食べていて、本当に満たされて(満腹に)なっているのだろうか?と疑問を抱く。(僕だけかもしれませんが…)

なぜ満たされないと感じるのか。
それは情報を食べているからです。

情報の摂取には物理限界がないのでいくらでも食べてしまえる。
よって、いつまでも満足することができない。
流行を消費をしても決して満足できないのはこういったところに原因があるようです。

この話は、ジャン・ボードリヤールの著書「消費社会の神話と構造」を読んでとても腑落ちしました。


情報を料理しつづけている

満足できないものを摂取しつづけることへの疑問をいただきつつも、自分が食べていく(生活する)ために、自らも流行の加担者となって料理をしているときがあります。

流行とはそれほどに美味であり耽美な概念なのでしょう。
自分のクリエイションに自信がもてないとき、流行についつい頼ってしまう。
麻薬のような食べ物です。

終わりのみえない調理をつづけることこそ仕事の本質である、言われればその通りかもしれません。

しかし、できあがった料理を食べてくれる人が、心から満たされないものを提供しつづけることに抵抗を感じる自分もいる。
どうすればよいでしょうか。


トレンドがなくなったらどうなるか


氷河期に気温に対応できない生物が絶滅したように、流行に敏感な人は絶滅するのでしょうか。
そして生き残った人々は何を食べるようになるのだろう。

トレンドという概念が世の中からなくなったとしても、生存競争に負けて死んでしまう人はあたり前だけどいないでしょう。
皆生き残る。

トレンドが無くなるということは、皆が僕が感じているのと同様に、食べなくてはならないが、食べてもけっして満腹にならない食べ物を探さなくてよい世界が訪れるということです。

「多様性を許容する時代が到来した」と、これまたことばがトレンドになっているように感じますが、本当に社会は多様性を受け入れなければ立ち行かなくなると皆が気づきはじめています。

この認知が広がったときにはじめて「トレンド」という概念はなくなるかもしれません。

デザインの評価軸がモノからサービスや活動に広がったことは冒頭に述べました。
今後はその軸たるものが消えていき、すべての人間活動における個性そのものが大きな価値をもつ時代になるのではないかと思います。

そのような時代が到来したときに重要なのは、いうまでもなく「自分が本当においしいと思い、食べたら満腹になる」モノ・コトを生産することでしょう。

それをすでに実践しているデザイナーは存在します。
自分の生産するものに責任をもって、顧客を満腹にできるおいしい料理を提供できる人が。

僕も含め、今現在デザインを学ぶ学生や若手のデザイナーは、そのような人を見習い、トレンドという美味で耽美な概念からはみだせるように、意識して活動をしていきましょう。


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