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私の『回顧録』と『将来に向けた計画』

はじめまして!中原修平と申します。今回は私の経歴を紹介したいと思います。私は、文化服装学院卒業後、中国・ミャンマー・ベトナム・イギリス・カンボジアでアパレル衣料の生産管理・品質管理・工場管理に従事して参りました。現在は、日本に帰国して、個人事業主として、グローバル化が進む世の中で国内外の企業のビジネス支援をしたいと考えております。1年を目処に法人設立したいと考えています!
以下、私の回顧録と将来に向けた計画に書きたいと思います。


文化服装学院卒業

文化服装学院を卒業後、中国で就職するまで

私は文化服装学院のアパレル技術科生産システムコースを卒業いたしました。文化服装学院は、日本の有名なデザイナーを数多く輩出している世界的にも有名な服飾専門学校になります。私はYoutubeでA BATHING APEやUniqlo UTのデザイナーで知られるNIGO氏の特集を見て、将来自分自身でアパレルショップを運営して成功したいと思い入学しました。
高校時代は町田で古着を買う事が趣味でしたのでストリート系のブランドが好きでしたが、文化服装学院の学生はコムデギャルソンやヨウジヤマモトなどのハイブランドを着ている人や奇抜な服を着ている人も多く、入学前の服に対するイメージとかなりギャップを感じたの覚えています。服の製作する上で、デザイン画、パターン作成、縫製、色彩、刺繍など多くの事を学びました。課題に追われる日々は、今でも良い思い出です。

私は在学時に上海へ研修旅行へ行きました。そこでは、生地・縫製工場の見学をしました。中国の混沌とした雰囲気や広大な土地に圧倒されました。その翌年も友人と上海に旅行に行きましたが、お茶屋さんでぼったくられて、手持ちのお金が無くなり、ギリギリの費用で旅行を楽しみました。その様な経験から中国の予測不能な環境がエキサイティングに感じて、中国で就職したいと感じる様になりました。また、知人の言葉で、『中国語が今後、重要だと思っている人は沢山いるが、実際に勉強している人はとても少ない』という助言を頂き、実行力が大事である事を気付かされました。就職先は、中国で働ける場所だけに焦点を当てて、中国語を勉強しました。就職先へのアピール材料として、お気に入りだったBIG MACのオーバーオールからパターンを作って、日々徹夜して短期間で作りました。今考えれば、設備や手間を考えると無謀な挑戦でしたが、中国で働きたいという熱意からやり遂げて、国内の最大手のアパレル製造業の企業に入社して中国に駐在しました。

日本・中国・東南アジア・ヨーロッパでの就労経験

中国(上海/南通/浙江省平湖/江蘇省徐州/山東省済寧 等)

無事、中国での就職が決まり、浙江省平湖市に中国支社がある会社に就職いたしました。その会社では、メンズ・レディースのスラックスを縫製をしており、ユニクロやワールド等の大手SPA向けに製品を卸しておりました。業務内容としては、仕様書を基に製品仕様の確認を行い、品質管理を行いました。また、工場の生産状況を日々、現場で確認を行う生産管理や工場の5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)を行う工場マネジメントも行なってきました。中国の賃金は年々上昇しており、中国国内でも上海近郊の工場から北の江蘇省や山東省、内陸の安徽省や湖北省に生産が移動しております。そのため、中国国内の出張も頻繁に行いました。大都会の上海、東レや王子製紙など日系企業が多数ある南通は日本食もあるため、とても生活はしやすいですが、私の勤めた会社は、浙江省平湖市新倉鎮と言う小さな村でしたので、周りは田舎でした。車で30分くらいかけて平湖市中心まで行くと日本電産の支社があり、日本食レストランもあります。中国には2年程住んでいましたが、初の海外駐在という事でとても貴重な経験をさせて頂きました。

ミャンマー(ヤンゴン)

中国に2年駐在した後に、ミャンマーへ異動となりました。ミャンマーでは、企業向けのユニフォームやレナウンやアルペンなどのカジュアルウェアやスポーツウェアを生産管理いたしました。私がミャンマーに駐在した時は、軍事政権から民主主義に移行する期間でした。現在は、軍事政権に戻っていますが、民主主義に変わろうとしている時のミャンマー人はとても希望に満ちていました。また、私が赴任直後はミャンマー全土の工場がストライキを起こすなど、とても混乱しておりました。その時はミャンマー政府も最低賃金を設定しておらず、情報化社会の中で様々な不確実な情報が飛び交い工場も手探りの中、工場運営をしておりました。情報化社会は有益な情報を得る一方、社会に混乱を与える事もあるのだと痛感いたしました。昨今、ミャンマーの軍事クーデターのニュースでミャンマー国内の景気は冷めてしまいましたが、ミャンマー人自体はとても仏教に信仰が厚く、国民の80%以上は仏教徒です。キリスト教やイスラム教などの宗教を信仰している国民います。その上、多民族国家でありビルマ族を中心にシャン族、カレン族、カチン族等の130以上の少数民族もいます。国土は日本の1.8倍程あるため、政治の情勢が安定すれば、世界的に重要な国になる事は間違いないと思います。しかし、多宗教多民族であり、民衆と軍人の複雑な関係性が整理されない限り、非常に難しい環境であると思います。早く、ミャンマーがいい方向に向かう事を祈っております。

佐賀県(武雄市)

佐賀県武雄市の紳士服工場で1年程、研修を行いました。佐賀県武雄市は武雄温泉で有名な場所です。佐賀は、唐津、嬉野、伊万里など温泉や陶器や日本酒がとても有名な場所です。工場の人たちもとても良い人ばかりで、日々一生懸命、紳士服仕立てておりました。紳士服は、とても手間のかかる作業が多くあります。まず、普通のジャケットと紳士服で大きく違う点は毛芯が入っているかないかだと思います。毛芯というのは、男性の胸のボリュームを出すための下地の様な物になります。服は、平面のパターンから立体の体型に作り上げていきます。そして、生地は柔らかいため、芯地や毛芯がないと型崩れを起こしてしまいます。特に紳士服はフォーマールな洋服なので、見映えがしっかりとしていないといけません。そのため、毛芯で胸のボリュームを出す必要があります。胸のボリュームを出すためには、表地の形も立体的に仕上げなくてはいけません。服にはダーツという生地を折り込んで縫製する事で生地に膨らみを出す技術があります。紳士服では、このダーツをアイロンで処理をして、膨らみを維持した状態で毛芯に取り付ける事が重要になります。この様な手間の掛かる作業を現場で学べた事は非常に有益だっと思います。

ベトナム(ホーチミン)

ベトナムでは紳士服の縫製工場で生産管理を行いました。青山、コナカ、ユナイテッドアローズなどにメンズ紳士服・カジュアルジャケットを卸しておりました。ホーチミンはとても活気のある街で、シンガポールやタイについで、東南アジアの中心になる国だと思います。ベトナム人の気質として、非常に人あたりが良く、とてもフレンドリーだと感じました。ホーチミンのレタントンは日本食レストランも多く、ユニクロや無印良品の店舗も出店しております。また、バックパッカーストリートで有名なブイビエン通りは外国人旅行客で毎晩に賑わっています。ベトナムの料理といえば、フォーやバインミーですが、私が今まで住んできた国で一番美味しいと感じました。毎朝、フォーを食べていましたが、とても健康的だったと思います。ベトナムの国土は、日本の9割程ですが、平均年齢が30歳程でとても若いです。今後のアジアを引っ張っていくのは間違いないと思います。そのため、ホーチミンの街全体から活気が溢れかえっておりますが、近年は物価もかなり上がってきている様です。

イギリス(ロンドン)

イギリスには、YMSビザ(ワーキングホリデービザ・有効期限2年間)を利用して渡英しました。YMSビザは年間1000人だけが当たるビザで、私も3年間応募して年齢制限ギリギリで当たりました。そのため、渡英前は就職先は見つかっておらず、不安を抱えながら初めてのイギリスに行きました。渡英前から相談していたイギリス在住で縫製アトリエを経営していている友人のアトリエで仕事が見つかるまで、お手伝いをさせてもらいました。渡英した直後は、ホステルで生活しておりました。ヨーロッパのホステルはあまり環境が良くなく、旅行客だけでなく定職についていない人も泊まっていました。そのため、私は深夜にパソコンを盗まれてしまいました。就職活動準備のために職業経歴書を書いており、深夜で共有スペースに誰もいなかったので、シャワーを浴びるため置いたままにしてしまいました。違う場所では、iPhoneもひったくりに遭いました。日本は非常に治安が良い国ですが、海外ではスリや置き引きは日常茶飯事で発生します。
就職活動は、運良く1ヶ月程でヨーロッパブランドを日本へ輸出している会社に営業アシスタントとして、入社する事になりました。日本の取引先への対応やInvoiceの作成・製品検品など行いました。
また、イギリスでの生活は家の近くのテニスクラブに所属して、イギリス人の友人が多くできました。バーベーキューやクラブに併設されているパブでクラフトビールを飲んだりして毎日、楽しく過ごす事出来ました。テニスの四大大会で知られるウインブルドンやローランギャロスを見れたのも貴重な経験です。

カンボジア(プノンペン)

イギリスから約1年程で帰国しました。ビザの関係上、安定した仕事や自分のやりたい仕事は見つかりにくいと感じて、日本で再就職しようと思いました。日本で、前職と同じ海外縫製工場でメンズアウターの生産・品質管理をする仕事に就職する事になりました。カンボジアはテレビでは見た事がありましたが、実際に行ったのは初めてです。行く前の印象はアンコールワット遺跡や赤土の舗装されていない道しかありませんでしたが、実際のプノンペンは都会でした。プノンペンは、かなり小さな街ですが、AeonMallも2店舗あり生活するにはとても便利な街です。メコン川を渡ると舗装されていない道もあり、休日はマウンテンバイクでオフロードをサイクリングする事も出来ます。プノンペン以外では、胡椒やドリアンで有名なカンポットやカニで有名なケップなどがあります。私は、250ccのバイクを買って、プノンペンからカンポットまでツーリングをしました。カンポットには、ボーコーマウンテンというフランスの旧植民地時代の避暑地のリゾート跡があります。ボーコーマウンテンの山は道路が舗装されており、猿も多数生息しているため非常に快適にツーリングが出来ます。カンボジアといえば、世界遺産のアンコールワット遺跡になりますが、お勧めはアンコールハーフマラソンです。年2回開催されて、アンコールワット遺跡の周りを走る事が出来ます。ハーフマラソンを走るのは簡単ではないですが、アンコールワット遺跡や自然を感じながら走るのはとても気持ちがいいです。

将来に向けた計画

個人事業主として開業

2024年は、日本の福岡で仕事をしようと考えております。
約10年程、海外5カ国で仕事をしてきましたが、今年35歳という節目の年を迎えます。海外での勤務は、色々と大変な事も多かったですが、色々な人と出会う事が出来ました。この繋がりを最大限に活かして、今後の人生を更に活気ある物にしたいと考えております。運が良い事に、イギリスで働いてた会社から日本での営業代行の仕事をもらう事が出来ました。その会社の社長は、私が自分でビジネスをする事を許可してくれる様なので、並行して自分のビジネスをしたいと思っております。
事業内容は、下記の様に考えております。
『海外市場向けの販売支援』
『海外生産製造向けのコンサルティング』
『海外市場開拓支援』
経験不足な分野もありますが、まずは実践しながら勉強していこうと思っております!
半年から1年程、個人事業主として自分の名刺や事業を売り込みながら、人脈と実績を作っていきたいです!

法人設立 /  組織作り /  自社ブランドの立ち上げ

個人事業主として、人脈と実績を作りながら法人設立、組織作り、自社ブランド立ち上げをしていきたいです。
『日本のブランドを海外に流通させるビジネス』をしたいと考えております。他社の製品をセレクトショップで売る中で、自社ブランドも作りたいと考えております。目標は大きく『ユニクロ』のような世界で認知される様なブランドを作りたいです。そのためには、一緒に目標に向かう仲間と組織が重要です。福岡に移住して、自分でビジネスをすると決めた理由は、中国や韓国、台湾、東南アジアが近く、移動もしやすいためです。また、九州の若い人が福岡に集まる事や外国人観光客が多い点は自分でビジネスをする際に活かせる環境だと思っております。

最後に

ここまでお読み頂き、誠にありがとうございます。
私は、常に挑戦をしていく人間でありたいと考えております。
長い人生、色々な事がありますが同じ目標に向かっていける仲間や共感して応援してくれる方々と出会える事が幸せであると考えております。
色々な事に挑戦、実行していく中で自分の目標や生きる意味が明確になっていく事を信じて、日々精進したいと思います。


 



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