僕の好きな漫画8「宮本から君へ」

佐藤秀峰が好きな漫画を紹介するコーナー8回目。今回ご紹介するのは新井英樹さん著「宮本から君へ」です。

この作品、超大好きです。僕が「漫画家として影響を受けた作品をひとつだけあげろ」と言われたら、迷いなくこの「宮本から君へ」をあげます。

Wikiによる作品の解説は下記の通り。

「大学を卒業して都内の文具メーカー・マルキタの営業マンになった宮本浩は、未熟で、営業スマイルひとつ出来ず、自分が社会で生きていく意味を思い悩んでいる。山手線の渋谷駅で毎朝見かける美しい女性に恋をした宮本は、その女性がトヨサン自動車の受付嬢である甲田美沙子であることを突き止めアタックし、いったんは成功するもののすぐにその恋は破れてしまう。失恋の痛手を忘れようと、仕事に打ち込もうとするが、ライバル営業マン・益戸の嫌がらせを受けて大口の仕事を奪われてしまう。マルキタを辞めて独立した先輩・神保の知人である中野靖子と恋に落ち、靖子と腐れ縁にある風間裕二に向かって「この女は俺が守る」と宣言した宮本は、靖子と結ばれてやっと幸福な時間を手に入れることが出来るが、取引先の部長の息子で大学ラグビーの花形選手・真淵拓馬に靖子をレイプされてしまう。その時、泥酔して寝ていた宮本は、すぐそばで靖子がレイプされていたのに気付かず、靖子に絶縁される。怒った宮本は、力の差が歴然としている拓馬に復讐を誓うのだった。 」


バブル崩壊直前の浮かれた時代に唾を吐きかけたようなこの作品は、当時、どれ程の衝撃を世間に与えたことでしょうか。…と発行部数などを聞くと一般ウケはあまりしなかったようですが、漫画家、クリエイターへ与えた衝撃は凄まじかったのではないかと想像します。業界内のファンも多い作品で、花澤健吾さんの「ボーイズ・オン・ザ・ラン」など「『宮本から君へ』のオマージュだよな」と感じる作品はいくつか頭に浮かびます。

トレンディドラマ全盛のオシャレでキラキラした物が良しとされた時代のクリエイター達にとっては、「お前らそんなことがやりたくて物創りになったのか?」と振り向きざまに顔面にウンコを塗りたくられたようなインパクトがあったのではないでしょうか。とにかく描写のひとつひとつが暑苦しく、泥臭く、好き嫌いを超越した迫力がありました。主人公がオシャレ男性誌で嫌いな男性アンケートの1位に選ばれたこともあるそうで、売れた売れないは置いといて、多くの人の印象に残った作品であることは間違いないようです。


僕自身が作品に初めて触れたのは、連載終了から数年がたってからでした。漫画家を目指して出版社へ原稿の持ち込みを始めて数年目、編集者とのやり取りの中で「売れるように漫画を描け」「読者を楽しませる漫画を描け」と言われ続け、「面白いって何だろう?」「漫画は誰のために描けばいいのだろう?」と思い悩んでいる時、この作品に出会いました。確か23歳くらいだったかな?当時、僕は悩み過ぎて漫画を読むことを一切やめており、所有していた本を全て売り払い、テレビも捨て、映画も音楽も観ない、聴かないという日々を送っていました。他の創作物の影響を受けることを良しとせず、自分の経験や思考に頼って作品を生み出そうともがいていました。

その日も編集者との打ち合わせの後、敗北感に包まれながら高円寺の街を歩いていました。古本屋に立ち寄り、本棚に並んだ漫画の単行本の背表紙を眺めながら、「これだけ世の中に漫画が溢れているのに、なぜ僕の漫画はこの棚にすら並ばないのだろう?なぜ僕の漫画は誰にも必要とされないんだろう?」と考えていました。理由を知りたくて、何か買ってみようと思いました。ふと「宮本から君へ」の単行本が目に留まり手に取ると、そのままレジへ足を運び、僕は何年かぶりに漫画の単行本を買ったのでした。

久しぶりに読んだ漫画はそれだけで刺激的でした。作品はエンターテイメントの枯渇していた僕の神経の末端までスゴイ勢いで浸透してきました。「宮本から君へ」の1巻の絵は正直言って稚拙です。まだ素人臭さの残る新人漫画家の絵ではありましたが、その素朴さと実直さにすぐに作品の虜になりました。読み終わるとまた古本屋に出かけ、店頭にあった5巻までを買い求めました。5巻まで読むと6巻目を探しましたがどこにも売っていません。新刊はすでに書店になく、高円寺中の古本屋をめぐりましたがどこにもありません。隣の中野駅に出かけ、中野ブロードウェイの「まんだらけ」で全巻セットが売っているのを発見しました。店員さんにバラ売りはしてもらえないのか訊きましたが、あまり売れる本ではないらしく、「バラで買われると残りがさらに売れない可能性が高くなるので全巻セットでしか売りたくない」と言われ、仕方がないので全巻セットで買いました。

「(作家に利益にならない)古本屋で本を買うヤツは読者じゃない」と公言する漫画家もいます。その弁に立つと僕は「宮本から君へ」の読者ではないのかもしれません。

読者じゃない僕は、何度も何度も繰り返し作品を読み、夢にまで宮本が出てきました。夢の中で宮本は「お前のやりたいことは何だ?」「お前は売れればいいだけの漫画が描きたいのか?」と迫ってきます。「宮本から君へ」の「君」は僕のことだと思いました。「この漫画は僕のために描かれたんだ」と感じました。生きている人間以上にキャラクターが僕に何かを訴えかけてきて、彼の言動の一言一言にうなずいたり、驚いたり、励まされたり、影響されました。

確か11巻です。マンションの外階段で主人公と敵がケンカをするシーンで、主人公に絶望的な状況が続いた後で反撃のチャンスが訪れ、僕はのめり込んでそれを読んでいました。そんなシーンでふとページをめくると、見開きで朝日に照らされたロングの風景をバックに主人公が階段の踊り場から身を乗り出して空を飛んでいるように見える絵があったんです。一見ストーリーとは関係のない絵を、なぜあのタイミングで見開きで入れようと思ったのかは分かりませんが、それくらい予想もつかないタイミングで予想もつかない絵が突然目の前に大きく現れ、ものすごい衝撃を受けました。思わず「あ!」と声が出てしまって、直後に「漫画に声を出させられた」と思いました。本当に自分の体が宙に浮いたような錯覚に囚われ、今まで漫画で感じたことのない身体感覚を伴った浮遊感を覚えました。その後は心臓のドキドキが止まらなくて、ページをめくる手が止まりませんでした。

こんな漫画は本当に読んだことがありませんでした。もしかしたら、あの時代のあの時期、あのタイミングで読んだからこそ感じられた衝撃かも知れません。漫画がこれ程に読者の気持ちを揺さぶることが出来るという事実に驚き、自分もこんな漫画を描きたいと思いました。何周目かを読み終わって、僕は「こんなに面白い漫画がなぜ売れないのだろう?」と疑問に感じました。

こちらは僕のデビュー作の「おめでとォ!」です。

読んでいただければ分かりますが、「宮本から君へ」の影響を強く受けています(初期短編集が各電子書籍ストアで販売中です)。掲載されたヤングサンデーでは折しも新井英樹さんが「ワールドイズマイン」を連載されており、僕の前の職場で先輩だった方が作画スタッフとして新井さんの仕事を手伝っていました。その先輩によると、僕の作品を見た新井さんが「これ、オレのっぽくない?」とおっしゃっていたそうで、先輩が言葉を盛ったのだとしても、新井さんに認識されたということが嬉しかったです。

実は僕は作家としては漫画マニアの間では常に新井英樹さんと比較されてきました。「新井英樹のパクリ作家」と呼ばれたり、中には「宮本から君へ」の作者と僕と勘違いしている方もいました。僕自身、「宮本から君へ」に出会わなかったら漫画家にはなれなかっただろうと思っているので、それはそれで光栄なことではあるのですが、その影響下から逃れたい気持ちと闘ってきました。幼少の頃から何人もの作家さんの影響を受けて今の僕があると思いますが、新井さんは僕にとってあまりも重要な作家なのです。


と言いつつ、実は新井さんのその他の作品はあまり好きではありません。「愛しのアイリーン」は物語の構成に凝り過ぎていて、難解で作家が前に出過ぎでしたし、「ワールドイズマイン」は作家が世間にウンコを投げつけることに慣れ過ぎてしまっていて、投げつける対象である「世間」から相手にされていないように感じました。その後の「キーチ!」や、今は何か連載されているのでしょうか…、徐々に作家の自己満足が強くなっていき読まなくなりました。

漫画マニアから見ると「佐藤秀峰は新井英樹の粗悪なコピー」くらいなのかもしれませんが、僕は新井さんの「わざと売れるように描かない姿勢」は、商業作家として良くないと思っていて、それをお金に変える方法を探って来たようにも思います。「売りたくないなら売るなよ。家でやれよ」と言うか。僕は100万部作家を目指そうと頑張ってきたのですが、実際に100万部売れてみて、新井さんのようにコアな作家にはなれなかったという思いと、影響下から逃れられなかったという思いと、売ることしか考えていない軽薄な偽物作家に過ぎないという思いに捕われています。最近はちょうどいい具合に単行本が売れなくなってきて、偽物具合も板についてきました。

ではでは。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?