この恋を 5


携帯に表示された番号を見て、シャルルは、予想通りだと思った。
マリナに背を向けて、右手廊下の突き当たりにある自室の扉を開けて中に入る。
気持ちを整えるかのように大きく息を吐くと、受話のボタンを押して相手が話すのを待った。

「シャルルか? オレだ、和矢だ」
「あぁ、随分と久しぶりだな。突然どうしたんだ?」

用件は分かっているのに、白々しく尋ねた。久しぶりに聞く親友の声は微かに震えていた。
マリナならここにいる。
その一言を意識的に避けている自分を自覚して、シャルルは心の中で己を嘲った。

「マリナが事故にあった。手の施しようがないそうだ。お前にこんなこと言える義理じゃないが、頼む、マリナを助けてやってくれ」

思いもよらなかった和矢の台詞に、シャルルは一瞬息を止めそれから軽く笑った。

「おい、悪い冗談はやめろよ。マリナならここに……」
「冗談なんかじゃない! 信号無視をしたバイクに撥ねられて、意識不明なんだ。このままじゃ、もってあと半日だそうだ」

和矢の声からは絶望感が漂っていた。
だが、マリナは確かに今、自分のアパルトマンにいるのだ。
どういうことだ。
シャルルは自問し、一つの答えに行き着いた。

不自然に現れたマリナ。
ホテルを予約していない割には、ハンドバッグひとつ持っていなかった。まるで着の身着のまま近所に出かけるかのように。
そして、セーヌ川沿いを散歩していた時。
あの寒さにも関わらず、マリナの吐く息は白くなかったのだーー。

にわかには信じられないが、あり得ないことではない。

「なぜもっと早く連絡しなかった」
「オレもついさっき知ったんだ! ここ何年かはマリナとは連絡をとっていなくて、ユリナさん、マリナのお姉さんが電話してきてくれて……。今から病院に向かう。シャルル、マリナを助けてくれ!」



電話を切ると、シャルルは静かに、マリナのいるリビングへと向かった。
マリナは窓辺に立って外を眺めている。
気配に気がついたように、ふとシャルルの方を向くと、はにかむように微笑んだ。
その顔は白く透明で今にも消えてしまいそうだった。

「カズヤからの電話だった。……なぜ、黙ってた?」

シャルルの言葉にマリナはすっと表情を硬らせた。
知られてしまった。
マリナはすぐに察した。

「ーーだって、人に知られたら姿が消えてしまうって言われたから。あたし、最後にどうしてもあんたに会いたくて」

ポロポロと涙を流すマリナの輪郭が見る見るうちに霞んでゆき、シャルルは堪らずに駆け出すと、その姿を掴むように手を伸ばした。

「必ず助ける!」

マリナは霧が散るように掻き消え、シャルルの腕が虚しく空を掻いた。
シャルルはギリっと歯軋りすると、胸ポケットから携帯を取り出した。
スリーコールで電話に出た相手は、嫌味たっぷりに口を開いた。

「これはこれは。随分と珍しい人物からの電話だ」
「今すぐ軍用機を手配してくれ。できるだけ早く日本に着きたい。到着後、大東救命センターで手術する。一連の手続きを完了させ、患者のデータを回せ」
「それは誰の権限だ? 一介の市民に指図される覚えはないな。もっとも、君が現在空席のアルディ家当主に戻るならば、話は別だが」
「分かった。当主に戻ろう。帰国次第、親族会議を招集してくれ」

シャルルがあっさりと提案を受け入れたことに、ルパートは面食らった。

「ーーならば、問題ない。すぐに軍用機を手配する。それと、患者の名は?」
「マリナ・イケダだ」

ルパートは思わず息を呑んだ。

「なるほど。ファムファタルは今でも君の運命を握っているというわけか」
「一時間後に出発だ。遅れるなよ」

ルパートには答えずに、シャルルは電話を切ると、すぐさま準備を終えて自宅を出た。

飛行場にはすでに航空機が待機していた。

「時間通りだな」

シャルルは満足げに微笑み、ルパートからデータを受け取ると足早に機内へと乗り込んだ。
もって半日。
和矢はそう言っていた。
残り時間は10時間程度か。

機体が離陸のため滑走路を助走し始め、フワッという浮遊感を感じた。
間に合ってくれ。
祈るようにシャルルは瞳を閉じた。





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