恋のはじまり


注:こちらは「まんが家マリナシリーズ」の二次創作です。



「ーーこの時、カズヤさんのフランス語のシャンソンを聞いたことで、マリナさんは恋に落ちました。しかしその後すぐに転校し、愛の迷宮で抱きしめて!で再会するまで二人は一度も会っていません。調査結果は以上です」

厚みのある書類に目を落としたままのジルが淡々と述べると、シャルルは、なんだそれは、と呟いた。

オレだってフランス語のシャンソンくらい歌えるぞ、なんならカズヤよりも上手いくらいだ。
……結局先に出会ったもの勝ちというわけか。
だが、マリナとカズヤは別れたらしい。
憎らしいが、某バイオリニストからの情報だ。確かだろう。
だから、今度こそマリナを手に入れるべく作戦をたてようと、ジルに二人が出会った頃の調査を依頼したのだが。

あまりにも単純すぎる恋のきっかけに、シャルルは苦々しい気分になった。

「シャルル?」

ジルの問いかけにハッと我にかえったシャルルは、執務室の椅子から立ち上がった。

「日本に行く。今日から三日間の予定は全てキャンセルだ」




「はい、はーい!」

ノックの音に返事をしながら玄関のドアを開いて、マリナは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

だって、この飯田橋のボロアパートに、フランスの誇る大天才、かつ財界を牛耳る公爵家の第31代当主、さらには泣く子も黙る天使のような美貌をもつシャルル・ドゥ・アルディがいるなんて思わないじゃない!

「マリナちゃん、久しぶり」

言って、薄いピンクの花びらが開くようにフワッと微笑んだ姿は、正真正銘のシャルルだった。

「えーと? こんなところでどうしたのかしら?」
「ちょっと野暮用でね。入ってもいい?」
「え、無理無理! 立て込んでるのよ、今日は無理!」

言いながらマリナの脳裏には、脱ぎ散らかした服や食べかけのカップラーメンが転がる部屋の惨状が浮かんだ。

ぜーったい、シャルルには見せられないわよ!

にべもなく断られてシャルルはプライドを傷つけられたが、今度こそはと決意したのだ。アルディの名にかけて手ぶらで帰るわけにはいかなかった。

部屋に入れないなら仕方がない、ここでもいいか。

シャルルは徐に瞳を閉じると、薔薇の花びらを思わせる唇を動かして、フランス語のシャンソンを口ずさみ始めた。そして一曲歌い終わり、うっとりと聞き惚れているであろうマリナの表情を想像しながらそっと瞼を開くと、目の前には、ポカンと口を開けたこれ以上ないほどの間抜け面があった。
次の瞬間、マリナはハッとしたような顔をして拳を掌にポンと打った。

「あんた、カラオケに行きたいのね! 仕方がないわね、マリナさんが日本の誇る最新のカラオケ店に連れて行ってあげるわよ。あ、費用はもちろんシャルル持ちね!」

一方的に捲し立てるとマリナは扉をバタンと閉め、数秒後ポシェット片手に現れたのだった。




一体全体どうしたらこういう展開になるんだ?

カラオケのマイクを握りしめて熱唱するマリナの姿に、シャルルは複雑な気持ちでいた。
潰れたカエルのような歌声で一曲歌い終わったマリナは、ほら、拍手!とシャルルに半ば強制しながら、正面のテーブルに並ぶジャンクフードを頬張りジュースを飲んでいる。

歌うか食べるか飲むか、どれかにしろ。

うんざりしながら、手を打っていると、部屋の電話がなった。

「えー、もうそんな時間? シャルル……」

二回も延長しておいて何を言ってるんだ?

シャルルの無言の圧力にマリナは焦って言葉を飲み込むと、はい、大丈夫です、と短く返答し受話器を置いた。

「じゃあ、次で最後の曲! こめづさんのレモンだっけ? これにしよっと!」

……よねづだ。




「もうすっかり夜になっちゃったわね」

お別れするのが嫌で、マリナはシャルルを外濠沿いの散歩に誘った。

「わ、見て見てシャルル、キレイなお月さま! なんだか一曲歌いたくなるわね」

マリナはオホンオホンと軽く咳払いをして、恥ずかしげもなく朗々と歌い出した。

「はーるーこぉろぉのーはーなーのーえーんー。……えーんー。あれ、続きは何だったかしら?」
「めぐる盃 かげさして」
 
引き継ぐように歌い出したシャルルの透き通った声に、マリナは驚いて隣を見上げた。

満月を背に日本の古い歌を唄うシャルルは、まるで二次元から抜け出したかのように幻想的で美しかった。

「マリナ?」

歌い終わったシャルルが訝しげに声をかけると、マリナの顔が一気に耳まで真っ赤に染まった。

「びっくりしたわ、あんた日本の歌も歌えるのね」

目を逸らすように言って、シャルルの先を歩き出したマリナがふと立ち止まると振り返った。

「近くに行きつけの定食屋さんがあるのよ。よかったら、夜ご飯食べに行かない? 読み切りを書き終えて収入もあるし、あたし奢るわよ」

断る理由があるわけなかった。
二つ返事でOKしたシャルルは、成る程そういうことか、と思った。

オレにとってのカズヤはフランス人だが、マリナにとっては日本人なんだ。日本人のカズヤがフランス語の歌を歌ったから意味があったというわけか。

シャルルは、自分が日本の歌を歌った後のマリナの赤い顔を思い出して、その単純さに呆れてしまった。

それでも。
どんなきっかけであっても、これを逃したりはしない。

シャルルは、目の前で上下に揺れる赤いチョンチョリンを獲物を捕らえるような瞳で見つめた。

ーーマリナ、今度こそ、オレと恋を始めよう。


おわり


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先日、野暮用で飯田橋駅に出かけました。
飯田橋、都会でした。10秒で開くチャチな鍵のアパート……どこにあるのかなぁと思いながら歩いてできた妄想です。
くだらなくて、ごめんなさい(^_^;


最後まで読んで下さりありがとうございました。



ありがとうございます。創作中の飲み物代にさせて頂きます。