この恋を 1

注:こちらは「まんが家マリナシリーズ」の二次創作です。


あーあ、今年はあんまり売れなかったなあ。

腕を組んで歩くカップルを横目で見ながら、深い溜息をついた。
歩道沿いに設置したテーブルの上の箱を一つずつ店内へと運び、あたしはサンタクロースの帽子を脱いで、店の奥のオーナーに声をかけた。

「お先に失礼しまーす」
「おつかれさん。明日もよろしく。あ、ケーキ、持って帰っていいよ」

厨房の窓から顔を出して、オーナーが言った。

「わっ、ありがとうございます!」

あたしは、お言葉に甘えて、イチゴが沢山乗っている一番大きいケーキの箱を一つ手に取った。
だって、時はすでに夜の10時。
夜ご飯も食べていないし、腹ペコなのよ! 
まあ、空腹はいつものことなんだけどね。

25歳になったあたしは、少女漫画家として相変わらずパッとしなかった。
努力はしているつもりだけど、プロットを練って担当の松井のところへ押しかけていっても一向に採用される気配はなく、時々アシスタントをしたり、他のバイトをしたりしながら食いつないでいるのが現状だった。
ここ数年は、クリスマスの時期に家の近くのケーキ屋さんで売り子をしていて、働いた後にもらえるこのクリスマスケーキが何よりの楽しみなのだった。

店を後にしたあたしは、自宅への道を急いだ。そこの角を曲がれば、もう我が家はすぐそこだ。
アパートが視界に入り、目の前の信号を渡ろうとしたその時、鋭い急ブレーキの音と共にオートバイが一台こちらに突っ込んでくるのが見えた。
え? と思う間もなく、あたしは弾き飛ばされて、意識を失ってしまったのだった。


「マリナ・イケダ」

名前を呼ばれた気がして薄っすらと瞼を開くと、目の前には穏やかな笑みを浮かべた、一人の老人が座っていた。
緩くウェーブがかかった真っ白な髪を肩まで伸ばし、顔は髭でよく見えないが、優しく慈悲深い目が印象的だった。

はて。このおじいさん、なんだか、どこかで会った気がするんだけど、うーん、どこだったかしらね?

老若男女、知り合いの顔を思い浮かべて、思い出そうと腕組みをしたあたしに向かって、老人は落ち着いた声で告げた。

「あなたはもうすぐ違う世界に旅立つ。だが、その前に24時間を与えよう。どこにでも行きたい場所に行くことができる。会いたい人に会いに行ってもいい。ただし、誰かに生身の人間ではないことが知られた時点で、姿は消えてしまうから、そのつもりでいなさい」

え?

言っていることが理解できずにぽかんとしたまま一生懸命記憶を手繰り寄せて、自分がバイクに撥ねられたことを思い出した。

「あの、それって、あたしは、その……もう死んじゃってるってこと……?」

戸惑いながら口にすると、老人は微笑みを崩さずに優しく言った。

「まだだよ。でも24時間後には、そうなるかもしれんな」
「そんな……」

あたしはその人の顔を愕然と見つめた。

「だって、まだやり残したことがいっぱいあるわ。まだ漫画だって売れてないし、ケーキだって食べてないし、それに……」

脳裏に青灰色の瞳が浮かんだ。

『マリナちゃん』

名前を呼ぶ、澄んだテノールの声が聞こえた気がした。

あたし、まだ彼に伝えていない。
あんたのことが好きだって。
後になって気が付いて、でもどうしようもなくて、あの時、あんたの手を離したことをずっと後悔しているって。
そうよ、この恋を告げないままに、あたしは死んだりなんかできない!!

瞬間、パッと閃光がはしり、余りの眩しさに眼を瞑った。そして次に目を開いた時には、あたしは石造りのアパルトマンが立ち並ぶ街並みの中に立っていたのだ。
建物の隙間から見覚えのある鉄塔が見える。

あれは、エッフェル塔だ。
ということは……ここは、パリ!?

う、うそでしょーー!
だって、ついさっきまで東京は飯田橋にいたのに、それがどうしていきなりパリなのよ!
これは夢だわ。夢に違いない。
どこからが夢なのかはいまいち分からないけれど、きっともう一度目を閉じれば、4畳半のアパートの布団の中でいつものように目覚めるんだわ。

そう考えたあたしは、その場に突っ立ったまま寝てしまおうと瞼を閉じた。と、頭上で鳥の鳴き声がして、つられて思わず空を見上げた。
雲一つない高く澄んだ冬の青空が眼前に広がり、視線を戻せば、規則正しく並んだアパルトマンと葉がすっかり落ちて枝だけになった街路樹、道路にびっしりと駐車された自動車の列。
その景色も、街の匂いも、肌に刺さる冷たい空気も、あまりにリアルで、あたしは軽く目眩を感じてしまった。

仮にこれが現実だとしても、パリに来たところで、彼がどこにいるのかなんて知らないし、どうしたらいいのよ……。

途方に暮れて立ち尽くしていると、目の前のアパルトマンの地下駐車場のシャッターがゆっくりと開き、一台の白い乗用車が出てきた。
あたしは、ぼんやりとそれを眺めていたが、運転席の人物を見て息が止まりそうになった。
白金色の髪が肩まで伸び、鼻筋の通った横顔は少年というよりも青年と呼ぶべき精悍さを漂わせていたが、見間違うわけない。

シャルルだ!

驚愕のあまり身動きできないでいるあたしの前を、車は徐行して横切り、車道へと曲がろうとした。

このままだと行ってしまう!

あたしは考えるよりも先に走り出し、無我夢中で車の前に飛び出した。
キュッという急ブレーキ音とともに車体がガクンと止まり、後数センチであたしの身体と接触するところだった。

う、危なかったわ。

「大丈夫ですか、マドモワゼル」

言いながら車を降りたシャルルが、動きを止めて息を呑む気配がした。
見れば、シャルルは驚愕の表情で発作のように固まってしまっていたのだった。
久しぶりに見るシャルルは、恐ろしく綺麗だった。
白磁のような肌に薔薇の花びらを思わせる形のいい唇、知性を感じさせるスッとした鼻筋と見る人を引き付けずにはいられない青灰色の瞳。
儚げで繊細な雰囲気の中に、傷つきながらもそれを乗り越えた人にしか出せない凛とした強さが感じられ、その美しさは一種の凄みの域に達していた。
そんな彼が、時折吹く風に髪を揺らされながら佇んでいる様は、大天使でもこれほどではないだろうと思えるほどそれはそれは美の極みで、あたしも最初は眼福の想いで見惚れていたのだけれども、一向に復活しそうにないシャルルに次第に飽きてきて、しびれを切らし恐る恐る名前を呼んだ。

「あ、あの、シャルル」

 シャルルは、はっと我に返った表情をすると、視線を反らせて一瞬、睫毛を伏せた。そして何かを断ち切るように首を二、三度横に振ると、あたしに顔を向け、花びらが開くようにフワッと笑ったのだ。

「久しぶり、マリナちゃん。こんなところで何してるの」
「え」

うーん、あのおじいさん、人にバレたら姿が消えちまうって言ってたし、そもそも本当のこと言ったって信じられないだろうし。教えられないわよね。

「観光よ、観光! パリは世界的な観光都市だもの、あたしの一人や二人がいても何の不思議もないでしょ」
「そう、観光ね。それじゃあ、楽しんで」

シャルルは儀礼的に微笑むと、くるっと背中を回して車に乗り込もうとした。

「待って!」 

あたしが咄嗟に左腕を掴むと、シャルルはビクッとその身を震わせて、苛立ったように振り返った。

「なんだっ!?」

うっ、なぜだか、なんだか怒っているみたい。美形の怒り顔は怖いのよ、不機嫌な時にはできれば関わりたくないわっ。
だけどいまお別れしたら、今度また会えるかなんて分からないじゃない。
あのおじいさんが言っていた通りなら、あたし、24時間しかいられないんだもの。

「あ、あのね。ちょうどマンガのネタに困ってて、あんたのこと取材させてほしいんだけど」
「なぜ!?」

シャルルは益々苛々したように声を荒げた。
わーん、怖いよぉ。
あたしは、怖気づきそうになる気持ちを奮い立たせた。

「ほら、貴族の当主の一日ってやつ。なかなか面白いでしょ」
「残念ながらオレは当主ではない。よって君の取材の対象外だ。では失礼」

 早口で言って立ち去ろうとしたシャルルの腕を、あたしは更にガシッと強く握った。

「ちょっと待って、当主じゃないってどうゆうことよ!」
「どうもこうもない。今はただの鑑定医だ。その手を離してもらおうか」
「カンテイイ? それって、司法解剖とかそういうの?」
「……似たようなものだ」
「すっごいじゃない! 事件とか推理とか医療とかって不動の人気があるのよね! あんたを取材してそれを元にマンガを描けば、あたしも一躍売れっ子漫画家の仲間入りよ! 売れに売れてそのうちドラマ化なんかされたりして……」

そこまで言って、24時間しか残されていないあたしには、これらが実現不可能なことに気が付き、ガックリと項垂れた。
あ、ダメだ。
なんだか突然現実感が湧いてきてしまって、泣きそうだわ。
あたしが肩を落としていると、頭の上で溜息が聞こえた。

「仕方がないな。仕事の邪魔をしない、騒がない、勝手に物を触らないと約束できるなら、一緒に来ても構わない」

あたしは、ガバッと顔をあげた。

「ほんとに?」
「ああ」

シャルルは、少し困ったような表情で、微笑んだ。


(2018年3月7日ヤフーブログに投稿した創作の再掲)

ありがとうございます。創作中の飲み物代にさせて頂きます。