この恋を 2

注:こちらは「まんが家マリナシリーズ」の二次創作です。


 鑑定医の仕事に出掛けるところだというシャルルの言葉で、さっそくあたしは取材に同行することとなった。

「遅刻だ。早く乗れ」

助手席側のドアを開き乗るように促され、あたしは車内へと身体を滑り込ませた。
彼とは実に6年ぶりの再会だった。

元気だった?
あれからどうしてたの?
どうして鑑定医をしているの?
……恋人は、いるの?

聞きたいことは山ほどあるのに、何一つ口に出せないまま、あたしは視線を逸らすように車窓を流れる景色を眺めていた。
友達と思っていた昔と違って、あたしは、緊張のあまりシャルルの顔をまともに見ることができなかった。
静かなピアノ曲が流れる車内で、自分の心臓の音がこれでもかという位に鼓膜を揺らした。
そのうちに、車は目的地に到着したようで、車道の僅かな駐車スペースに、シャルルは器用に車を押し込めた。
車という密室から解放されて外に飛び出したあたしは安堵の溜息をついた。
だってあれ以上二人きりでいたら、あたしの鼓動がシャルルに聞こえるんじゃないかと気が気でなかったんだもの。
チラッとシャルルを見れば、彼はあたしのことなど気にも留めずに、フランス国旗が掲げられた歴史を感じさせる重厚な建物へ入ると、勝手知ったるという感じでドンドン中に進み、あたしは小走りで必死に彼の後を追った。

うっ、少しはコンパスの差を考慮して歩いてもらえるとありがたいわっ。

置いていかれないように、あたしが息せき切って階段を駆け上がると、シャルルは誰かと話をしているところだった。
一つに束ねられたアーモンド色の長い髪、豹を思わせるスラリとした長身に黒い瞳。更には野性的な感じのする浅黒い肌!

「カ、カーク!?」

驚いて叫んだあたしの声に振り向いたその人物も目を丸くして声を上げた。

「マリナ!?」

白いシャツの上からでも分かるほどに鍛え抜かれた身体は、昔に比べて一回り大きく見えたが、ああ、間違いなくカークだわ!

「マリナ、久しぶりだね。懐かしいな。全然変わらないから、すぐ分かったよ」
「あんたも変わらないわね。まさか会えるなんて思わなかったわ」
「パリには旅行に来たの?」
「う、うん。そんなとこ。……さっき偶然、シャルルに会って、付いてきちゃった」
「あ、そうなの? オレはてっきりシャルルに」
「ーー事件の詳しい概要を教えてもらおうか」

手を取り合って懐かしみ合っているあたし達の後ろから、嫌に低くてドスのきいた声が聞こえ、カークは慌ててあたしからその手を離すと、焦ったようにシャルルの方を振り返った。

「ご、ごめん」

そして、そのまま二人は並ぶようにして、奥へと続く廊下を歩き出した。

「Je vais expliquer en marchant (歩きながら説明するよ)」
「D'accord (分かった)」

んん?  あたし、フランス語が分かるわよ!?
こ、これは、もしかして、生身の人間じゃないからかしら?
そうだとしたら、すごいわ! とっても便利!
この際、ほんとに取材してしまおう!

あたしは急いで二人に追いつくと、カークの話に聞き耳を立てた。

「発見者は近所に住む72歳の男性。日課の犬の散歩中に池に浮かんでいた被害者を見つけたらしい」

あたしはフムフムと頷きながら、金属製の扉を開けて中に入っていくカークとシャルルに続こうとした。
そんなあたしに、カークは驚いたように振り返り、眼をしばたたかせた。

「え? マリナも一緒に入るの?」
「マンガのネタに取材がしたいそうだ。書類上、オレの助手ということにしておいてくれ」

シャルルが肩をすくめてそう言うと、カークは心配そうにあたしを見た。

「それは構わないが……溺死体だぜ? マリナ、見ても大丈夫なの?」

溺死って溺れて死んじまったってことよね。
あたしは、テレビの刑事ドラマでよく見る、ブルーシートを掛けられ川沿いに横たわる被害者の青白い顔を思い浮かべ、エッヘンと胸を張った。

「ぜっんぜん、大丈夫よ!」
「そ、そうか……?」

カークはちょっと戸惑ったような顔をしたが、快くあたしを部屋の中に入れてくれた。

「魚に結構やられてて」
 
カークはそう言うと、台の上を指し示し、こんもりと盛り上がったビニールシートを捲った。
どれどれと何気なくシャルルの背後から顔を覗かせたあたしは、大絶叫。
そのまま気絶してしまったのだった。



気が付くとベッドの上だった。
天井で鈍い光を放つ蛍光灯の眩しさに目を細めながら辺りを見回すと、白いパーテーションで区切られた部屋の先に、事務机が見えた。
壁に掛けられた古い時計の針は、20時を指している。
ボーとしながら起き上がると、気配を感じ取ったのか、陰からカークが姿を現した。

「マリナ。気が付いてよかった」
「う、うん。迷惑かけてごめんね」
「全然、気にしなくて大丈夫だよ」

ニッコリと笑ったカークは本当に昔のままで、あたしはふとあることを思い出して彼に聞いた。

「昔、あたしたちが日本に行ってしまった後、作戦は大丈夫だったの?」

カークは一瞬、質問の意味を考えてから、思い出したように言った。

「あのオトリ捜査のこと? まあね……。シャルルが上手くやってくれたさ」

カークの言葉に、あたしはホッと胸を撫で下ろした。
だって、せっかく芽生えた二人の友情が、あれが原因で壊れてしまってたら、悲しすぎる。
シャルルの傍にカークが友人としていてくれたことに、あたしが心の底から感謝して手を合わせていると、カークはちょっと言いにくそうに口を開いた。

「あの後、シャルル、日本から帰ってきた後から変わっちまって、見ているこっちが辛くなるほどに荒れていたんだ。ようやく落ち着いたと思ったら、今度は周囲に対して怖いほどに冷静で、誰とも打ち解けようとしなくて。……マリナと一緒じゃなくて、一人で帰ってきたことと関係あるんだろうとは思っても、聞けなくてさ」

シャルル……。
あたしは、あの小菅での別れを思い出し、ズキっと心が痛んだ。

「だからマリナが来てくれて嬉しいよ。シャルルもきっとそう思ってると思うよ」
「……そうかしら?」

あたしは、再会してからの彼の態度を思い浮かべて、半信半疑で答えた。
だって、全然嬉しそうじゃなかったわよ。
だけど、そんなあたしの疑問をよそに、カークは、そうだって!と一人力を込めて言った。
その時、ガチャリと扉が開いた。
部屋を覗いたシャルルがあたしに目を留めると、中に入ってきて物憂げに言った。

「気が付いたか。手を出して」
 
言われるがままに腕を差し出すと、シャルルは細くて長い指であたしの手首辺りを掴んでから、しばらくして呆れたように手を離した。

「カークも忙しいんだ。あまり迷惑をかけるな」
「うっ、ごめんなさい」

カークが、まあまあと間に割って入ると、シャルルの肩にポンと手を置いた。

「マリナとディナーに行きたかったけど、オレ、仕事が残ってるんだ。というわけで、シャルル、マリナを頼んだよ」

突然言われて、シャルルはカークを振り仰いだ。

「じゃあね、マリナ。会えて嬉しかったよ」

カークはそう言い残すと、シャルルの返事も聞かずに逃げるように部屋を出て行ったのだった。

シャルルは、しばらくの間、閉じられた扉を見つめていたが、やがて諦めたように溜息をつくと、首を傾げてあたしを見た。
うっ、なんだかとっても一緒に行くのが嫌そうに見えるわよっ。
やっぱり嬉しそうじゃないわよ、カークの嘘つき!

「どうする?」
「う、うん。でも、あたし食欲ないわ。あんなもの見た後だもの」

言いながら映像をリアルに思い出してしまったあたしは、思わずうっと吐きそうになりつつ、シャルルを見た。

「あんたは、食欲あるの?」
「まあ、慣れてるからね」
「ふーん。こういうのって慣れるもんなのかしらね? 解剖した後でも食べられるって、あんたって意外と図太いのね」

言い終わるや否や、ギュルルルーとものすごく大きなお腹の音が部屋の中に響き渡った。
きゃあ! なんで、このタイミングで鳴るのよぉ。
あたしは、あまりの決まりの悪さに真っ赤になり、シャルルはそんなあたしの顔をまじまじと見つめたかと思うと、クッと喉を鳴らし、しばらくの間、肩を震わせて笑っていた。
フンだ! 笑いたければ笑いなさいよ、この笑い上戸め!
あたしが不貞腐れてそっぽを向くと、シャルルは斜めにあたしを見て皮肉気に言った。

「君も中々図太い神経をしているじゃないか。まんが家なんかやめて鑑定医になったらどうだい、マリナちゃん」
「仕方ないじゃない、バイトの後何も食べてないんだもの」
「バイト?」

シャルルが訝し気に聞き返したのを見て、しまった、と思った。
あたしは誤魔化すように大きな声で言った。

「美味しいもの食べさせてね!」

ありがとうございます。創作中の飲み物代にさせて頂きます。