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缶コーヒー(没作品)

自動販売機で飲み物を買ってみようと思いあの四角い箱を眺める。数年間ラインナップは変わっていないようだ。お金を入れボタンを押す。簡単なことだ。でも、一人で買う自販機は空しい。小学校の頃はわちゃわちゃしながら買っていたんだよなと思いながら缶コーヒーを探す。だいたい一番下にあるイメージだ。代り映えもしなければ、規則性のある無機質な配列。おもしろくない。ここで気づく、現金を持ってくるの忘れたな。なにしてんだ。一旦家に帰り、全力で100円を探してみる。50円が2枚あった。やっとだ。そうして再び自販機の前に立つ。100円を入れ、同じようにコーヒーの欄を見る。110円だ。もうだめだ。高い。インフレを身をもって体感した気がする。他の商品を見てみるとそれっぽいお茶が180円。つらい。同時に考える。こちとら物心ついたころから初任給は20万円前後と聞かされてきた。就活も近くなり、ふと頭に浮かんだ。自販機の値段は青天井に上昇しているのに、初任給はずっとあの時のままだ。かといって、そんなことは気にしてない。とにかくコーヒーが買えなかったなぁと思う。悲しくもなければ、もちろん嬉しくもない。ただ1本の缶コーヒーが買えなかっただけだ。もう帰って家にあるインスタントコーヒーを飲もう。なんだ家にあるんじゃないか。そういうことじゃない。缶コーヒーを片手にふらふらしながら自然と街並を眺めるっていう、ちょっとした息抜きが好き。特に意味なく歩く、色のないちょっとした幸せ。こういう日々を送りたい。ただ、歩いていると往々にして知り合いに出くわす。1人でいれるときは極力一人でいたい。適当に話し、盛り上がり、また歩く。散歩に盛り上がりはいるのか。これもまた散歩なのか。そうして良い感じの飲食店に入り、ちょっとおしゃべりしてまた歩き、もう一軒伺う。だいたいこんな流れだ。なぜか缶コーヒーがいる。缶コーヒー。なんでいるのかはわからない。それが缶コーヒーだと思っている。あいつが本当に必要な時なんかない。でも、あいつはいつも隣にいる。外は持つことができないほど熱いくせに、中身は生ぬるい缶コーヒーのような昼下がりにふわっと思いを馳せながら歩いていく。

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