オカルト事件の要点◆ワイに判った所まで◆オウム真理教の場合

(この記事はまだ書きかけっス)
(後から次々と書き足して行くね)

オウム真理教は、やり直す分岐点が実は何度もあった。
それらを取りこぼさなければ、あそこまで暴走しなかったのザンス。
それは返す返すも残念。

オウム真理教が乗り越えねばならんかった問題点、回避出来なかった危機の要点を挙げて行くよ。
今後の反省点にしよう、元オウムの人だけじゃなく、複数人で集う場所なら何処でも。

◆教祖の陰謀論落ち
麻原彰晃が陰謀論落ちした時には、医学部卒の教徒メンバーが脳の仕組みを正確に説明し、脳内ソート処理(ヒト脳内情報処理の自動化)に伴う教祖の心的変節危機を乗り越え、教団全体のダメージを回収&やり直しをはかる必要があった。
つまり、適材適所の考え方を蔑ろにしてはならんかった。
オウムの医学部卒メンバーは本来、教団の危機回避に必須だったのだ。

◆群集心理の働き、隠蔽体質
群集心理が働くと、自己採点や危機意識が甘くなり、馴れ合いの安堵感だけが求められ、心地良さや空気感が最優先となる。
馴れ合いによって身内びいきが強まる。
身内の失態を見ないフリする方へ流れ、
結果、その集団は隠蔽体質に傾く様になる。

◆そもそも教典の解き明かしが不十分or不正確だったんでは?
釈尊が悟りを開いた現地へ、わざわざ行く必要はない。
ないったら無いの、自分らの場所でも釈尊と同じ経過を辿る事は可能なので、そのための教典解読が必要でした。
既成宗教の教典を解読するには、別の新たな理屈で割って行く必要があったので、それこそ医療や学問の言葉で解説せなならん箇所が、仏教の教典に山ほどあったの。
せっかく教団メンバーに医学部卒がいたんなら、彼らの修めた学問から割って深掘りするのが最適だったのよ。

◆ベルトコンベア式流れ作業で修行は成らない
だってそれ、1個ずつの工程に分割した単純作業でしょ、1つの事だけずーっと集中してても、ヒト種の思索系知能は何も進歩しないんだよ。
つまり修行メニューの作り方やこなし方が全部間違ってたつー事よ。

◆薬物で幻覚見せるのは明らかな邪道
教祖の見た幻影を説明するんなら、せめて図解にせえよ。
体感そのものは伝えようが無いんだから、見えた幻影を図版に描き起こして説明文を縷縷書いたらどうなの。

(2022年3月6日現在)
(後からまだ加筆するよー)

◆先ずフリースタイルを志向し、次に自分たちのスタイルを創るのが、オウム真理教の課題でした。

◆そんなら、既成の大手宗教はなんなのかと云うと?
世界に対する畏れや不安を減らすため、世界の全てを理解すべく、ヒト種が想像力と思考で模索する、努力格闘の営為、
そのやり方は各々の時代に即しているもの。

(2022年3月9日現在)
(まだ加筆するよー)

(今から加筆するよー)
(2022年3月10日23時21分現在)

◆既成宗教をフリースタイルにする理由とは
◇教典や教義のうち、嘗て理解不能or説明の追いつかなかった事項について、後から正体が割れることがある、それらは改訂点として本家が採り入れる必要があるのだわ。
そうやって少しずつ改訂を重ねて行き、要らん無理や無駄な理不尽を減らして行けば、多くの民草の有り様にフィットする率が上がり、改訂を積み重ねることで、その既成宗教はいずれフリースタイルになって行く。
◇とても有名な改訂の例
仏教では住職の妻帯を容赦した時点があったでしょ、カトリックでは同性愛を容認した時点があったでしょ。
ワイが云うとるのは、そういう規則や教義の変更の事ダスよ。
ワイが大学1年で受けた宗教学講義のとき、既にそういうフリースタイルへの流れに関する説明があって、それが1984年春頃の事ですよ。
そりゃオウム真理教がまだ少人数ヨガサークルだった頃なんだが、ヨガの理念や効能を確認するため、学問の定説を再確認する誠実な在り方を、おん手ずから蔑ろにしていた…って事になるやね…( ;꒳​;  )

(2022年3月10日23時51分現在)
(何かあったら、また後で加筆修正するは)

◆親子とか家族の単位で見直すのならば??
◇アーチャリーさんが教団の人脈から離れ、心理学方面を試行されている現況について、
親が自分たち世代で消化し得なかったヒト種特有の至らなさを、ご自身の私的な課題として分解&回収される段階に入られたのかと(僕の私見ですが)。
親子間同属間ではこんな風にして、前段階の取りこぼし課題を次段階が引き受けている事がある。
宗教の形を選択から外したのは、アーチャリーさんが冷静な判断力を持っておられる証左でしょう。
今後、嘗ての疑問点が晴れるに従って、落胆される事も多々あるでしょう。
そんなこんなもあるでしょうけど、
弔いとは本来、送る側の心身を宥め落ち着かせる目的で行うものなので、アーチャリーさんは得心行くまで心理学を吸収なされ、それも父親を見送る弔いの範疇に入るんですから。

アーチャリーさんが怒りと憎しみの渦に潰れ果てておらず、シラフで生きてる事って、オウム真理教事件で唯一の美しい成り行きなんじゃないかと、僕チン考えている。

(2022年3月25日23時36分、加筆)

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※註釈
なお、アーチャリーさんの単著「止まった時計」につきましては、Kindle版が配信されて即買い即読破致しております。
複数のオウム後継団体がアーチャリーさんに名義貸しを求めて来たくだり、彼らの権力欲えげつなくって、ワイ将泣きそうになったです。

※オマケ??
麻原彰晃も嘗ては面倒見のいい優しい父ちゃんだったんですけど、その姿や振る舞いは何しろ、アーチャリーさんたち家族の記憶の内にしか残ってない。
その記憶が活き活きとする限り、アーチャリーさんの地力は細って行かないだろうなぁ、などと僕チン思うのよ(愛着理論を参照してくらさいね)。

(2022年3月27日20時24分加筆)

※註釈の追加
既成の大手宗教はここ数年で大きく変動してまんな。
カトリックの聖職者が信徒にお手つきしている事を公然と認めたり、浄土を視覚表現するテクノ法要を浄土宗が公然と開始したり、神社仏閣で各々の独自な萌え絵宗教画を公然と導入したり。
これらの変動もまた、今の時代に合わせた変更及び追加なんですよ。

(2022年4月2日20時30分加筆)

アテクシは一介のサブカルクソ野郎で結構で御座いますよ。