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【仕事】第2歩目、サービス業で働いた話。

転職経験はありますか?
どんな仕事が自分には合っている?
何を重視したい?

お疲れ様です。今日もよく頑張りました。

今回は自分が前職の工場勤務を辞めて、新たな職場、生活を始めた話をしていきたいと思います。
前回の記事はこちら


前回の仕事を辞めて実家に戻り職探しをしながら暮らしていました。
したい仕事が自分にはあり求人を探し応募をしていました。したい仕事が何なのかというと映画館でのお仕事です。当時、よく映画を映画館に見に行ってその場の雰囲気や働いた時の事をイメージして理想だと思い求人を確認しては応募をして書類選考で落ちまくっていました。落ちた理由は基本的全て同じで、接客経験、サービス業の経験がないためといった事。アルバイトから働き始めるのもいいかと思いましたが、当時の自分は正社員じゃないと生活が出来ないんじゃないかと不安があり諦めてかけていました。
ただその時何年か他職種で経験を積んでから応募をしたら内定出来るのではと考えて、一旦は飲食業の職種に応募して内定し働き始めました。飲食以外にも旅館やホテルの受け内定を頂きましたが飲食にした理由は待遇面など色々調べ検索した結果で選んだ感じです。


正直接客経験は高校生の時にした家電屋のアルバイトのみで、当時レジを教えて貰ってやっていたんですが、声と笑顔が足りないといつも言われて週末のための値札作成と清掃、店頭のポップ作成、店頭の値札とデータベースが一致しているかの確認をよくしていました。接客には向いてはいない性格だとは理解はしていましたが、20代前半の自分にとって挑戦する事で今までの自分を変える良い機会だと考えてもいました。


入社後の研修期間

入社後はOJ Tで研修が始まり研修用の店舗で開店・閉店、営業中のホール・キッチンのオペレーションを学びました。店ではアルコールも扱う為、今までお酒をほとんど飲まない自分にとって名前と配合する種類・分量を覚えるのが大変でした。包丁の扱いなどは自炊をする自分にとっては平気でしたが、揚げ物の揚げ時間、切る寸法、ポーションを研修期間のでお覚えるのは大変で、研修店舗のアルバイトが優秀すぎて凹むこともありました。ホールでもやはり笑顔が引き攣っているといつも言われてしまう結果になりました。
苦手なものに対して挑戦したものの中々難しい滑り出しになってしまいました。
自分では笑顔を作っているつもりなのに笑顔じゃないと言われるのはきつかったですが、今思えば当時の自分にはまだ吹っ切れるほどのメンタルがなかった気がします。
今でも笑顔をしろと言われて出来るのかと言われれば出来ないかもしれないけれど、働く上の人生の中で本当にいい経験をしたと思います。
業種は違えど働く上で笑顔は大事だと今はとてもそう思います。お客様に対してでなく上司・同僚・後輩にもそうで、いつも笑顔の人が笑顔ではない時に何かあったのはと分かりますから。いつも無表情だと何かあった時にも分からないので結構損をすると個人的には思います。
話は脱線しましたが研修を1ヶ月行い、残りは配属店舗にて新たな上司についていずれは店長を目指す形で研修は終了しました。


店舗配属

店舗配属し日々新たに業務を覚え効率化も覚え、店長業務の中の発注・面接採用・新人教育・シフト作成なども教えて貰いながら割と充実した日々を過ごしていきました。因みに上司となる人は怒ると怖い人でしたが面倒見のいい人で、よく言われる上司ガチャというものは当たりだと感じました。エリアの中でも発言が鋭い人でエリア会議の際も理不尽な事や無理難題な事に対して、本部の人達に正面から物申す人で頼りになる感じでした。自分に対し他の店長から普段は大丈夫と言われる心配される事もありましたが、自分は面白いなと思っていたので案外平気でした。
飲食業は肉体的にハードと言われ、確かにそうでしたが個人的にはアルバイトとの関係やシフト相談が一番大変だと思いました。店舗運営は一人では出来ないので、アルバイトとの関係性は重要と思いました。
そして日々業務をして行く中で店長として独り立ちする為の社内試験があり、ホール・キッチンのスピードや盛り付けの精度など様々な観点から評価され合格していく制度があったのですが、自分は4回目にして合格し店長服を着ることが出来ました。ただ合格したからといって店長になったかと言えばそうはならず副店長のポジションに収まりました。この時ですが店舗の数に対して店長の数が多かったので、試験の内容も厳しく見られて中々合格出来なかったんじゃないかと言われ少し納得いきました。ただ笑顔についてはまだまだとよく言われてはいましたが(笑)。
そして後に新たなスタイルの新店舗を開くということで、そこに副店長として移動することが決まりました。


新店舗へ移動

新たなスタイルの新店舗への配属が決まり今まで覚えてきたホール・キッチンのオペレーションの半分以上が変わり新たに覚えたり自分で改善していくといった結構やりがいを感じた仕事が増えていきました。今でも当時は毎日が忙しく大変だった記憶がありますが非常に充実した楽しい毎日だった記憶があります。
新メニューの調理方法をマニュアルで確認し本部の担当の人が実践して教えてくれたりしていました。午前中に店舗にて新メニューの調理方法見て、午後に本部の担当の人がアルバイトに教えるといった予定を組んでいたんですが、急遽担当の人がいなくなりいきなりぶっつけ本番でアルバイトに教える事になったのもいい思い出です。新メニューを調理したことなかったけど、案外やれば出来るものだと思いました。エリアマネージャーも自分の様子を陰ながら見ていたようで、社内試験を4回も落ちた感じはしないと笑っていました。オドオドしながら教えるってよくないと思い、あたかも出来る人感を演じて教育していましたが、出来ない事を出来ないという事も大事だけれども、イケると思えることは出来る感を醸し出して演じる事も大事だと思えました。
自信を持つって中々難しい事で、不安や失敗したら恥ずかしいなど思うことはありましたが当時はやるしかないと思って演じ切ろうとやり切りました。心の中は毎日ドキドキしていましたが(笑)。

そして新店舗でのアルバイト教育や設営などオープンに向けた作業を一通り済ませ、オープンを迎えました。初の新店舗でのオープン業務、予想されていた売上自体も高かったですがそれをも超える売上で1日が目まぐるしく終わったのを覚えています。ただやり切った感は大いにあり、オープンという事で食材のストックをかなり多めにして冷蔵庫など置き場に困るくらいにはあった食材がほぼ全て無くなったのは気持ちが良かったくらいでした。営業中には食材が足りなくなりそうになり、マネージャーに別店舗に取りにって貰う位に忙しかった記憶があります。もうやりたくはないけどいい思い出ですね。
ただこの状況も数日で終わりを迎えることになります。当時世間で猛威を奮っていたコロナウイルスによって緊急事態宣言が発令され、営業の自粛に加え時短営業など重なり昨日まで忙しかったお店が一瞬で、もぬけの殻のような状態となり正直することがなくなるくらいになってしまいました。有給も余っていた為に長い休暇を楽しむことにもなってしまい、営業が再開できるようになっても客足は戻らず、他の店舗も同じような状態で、元々売上のない数店舗は閉店を余儀なくされていきました。その中に自分が初配属された店舗もあり、閉店前2日から閉店作業とヘルプという形で行くことが出来、移動して2ヶ月くらいしか経ってもいないので、知ってるアルバイトが多くおり最後の店舗オペレーションを一緒にしました。自分が携わった店がなくなるのは寂しく思うこともありましたが、売上が元々少なかった事、自分の力で上げることも出来なかった為、悔しい気持ちとしょうがない気持ちが入り混じった閉店を迎えました。
閉店作業を行い最後に談笑をしていた際、今までありがとうございましたとアルバイト達からプレゼントを貰い、自分が教育をした子から『自分が店長で教えてくれて本当に良かったです。』と言われた時、働いてて初めてやりがいを感じたと思います。
正直泣きそうにもなりました。(恥)こんな形でやりがいに直面するとは思いませんでした。

飲食はきついと言われたりしますが、ここでの仕事と生活は楽しかった方が大きくて辞めるつもりはまだあったりはしませんでしたが、会社の辞令で本社が経営するブランドの店舗に移動することになりました。そのブランドのお店は人手が足りておらずこの際に余った社員を数名移籍させて補う形のもので、そこからの飲食での仕事はよりハードなものになっていきました。その際に転勤も決まり関東へ生活を移す事になりました。

転勤後の話は、次の記事に書いていこうと思います。

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