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「舞踏会」を読む

 以前、芥川の「羅生門」の感想をダラダラと書いたことがあったのだが、今回も同じように、芥川の「舞踏会」を読みながら、思ったことや気づいたことなどを書き連ねたい。お酒を呑みながらダラダラ書くので、価値ある解釈を期待している方は、失望しないためにも、もっと有益なことに時間をお使いになったほうがよろしいと忠告しておく。
 まだ読んだことのないという方は、ぜひ青空文庫でいちどお読みになってください。ここにも貼ってきます。

       一

 明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家の令嬢明子は、頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館の階段を上つて行つた。明い瓦斯の光に照らされた、幅の広い階段の両側には、殆人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬を造つてゐた。菊は一番奥のがうす紅、中程のが濃い黄色、一番前のがまつ白な花びらを流蘇の如く乱してゐるのであつた。さうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来るのであつた。

 明子は夙に仏蘭西語と舞踏との教育を受けてゐた。が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであつた。だから彼女は馬車の中でも、折々話しかける父親に、上の空の返事ばかり与へてゐた。それ程彼女の胸の中には、愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落着かない心もちが根を張つてゐたのであつた。彼女は馬車が鹿鳴館の前に止るまで、何度いら立たしい眼を挙げて、窓の外に流れて行く東京の町の乏しい燈火を、見つめた事だか知れなかつた。

 が、鹿鳴館の中へはひると、間もなく彼女はその不安を忘れるやうな事件に遭遇した。と云ふのは階段の丁度中程まで来かかつた時、二人は一足先に上つて行く支那の大官に追ひついた。すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたやうな視線を明子へ投げた。初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂つてゐるたつた一輪の薔薇の花――実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪を垂れた支那の大官の眼を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具へてゐたのであつた。と思ふと又階段を急ぎ足に下りて来た、若い燕尾服の日本人も、途中で二人にすれ違ひながら、反射的にちよいと振り返つて、やはり呆れたやうな一瞥を明子の後姿に浴せかけた。それから何故か思ひついたやうに、白い襟飾へ手をやつて見て、又菊の中を忙しく玄関の方へ下りて行つた。

 二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬鬚を蓄へた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易十五世式の装ひを凝らした年上の伯爵夫人と一しよに、大様に客を迎へてゐた。明子はこの伯爵でさへ、彼女の姿を見た時には、その老獪らしい顔の何処かに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかつた。人の好い明子の父親は、嬉しさうな微笑を浮べながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。彼女は羞恥と得意とを交る交る味つた。が、その暇にも権高な伯爵夫人の顔だちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があつた。

 舞踏室の中にも至る所に、菊の花が美しく咲き乱れてゐた。さうして又至る所に、相手を待つてゐる婦人たちのレエスや花や象牙の扇が、爽かな香水の匂の中に、音のない波の如く動いてゐた。明子はすぐに父親と分れて、その綺羅びやかな婦人たちの或一団と一しよになつた。それは皆同じやうな水色や薔薇色の舞踏服を着た、同年輩らしい少女であつた。彼等は彼女を迎へると、小鳥のやうにさざめき立つて、口口に今夜の彼女の姿が美しい事を褒め立てたりした。

 が、彼女がその仲間へはひるや否や、見知らない仏蘭西の海軍将校が、何処からか静に歩み寄つた。さうして両腕を垂れた儘、叮嚀に日本風の会釈をした。明子はかすかながら血の色が、頬に上つて来るのを意識した。しかしその会釈が何を意味するかは、問ふまでもなく明かだつた。だから彼女は手にしてゐた扇を預つて貰ふべく、隣に立つてゐる水色の舞踏服の令嬢をふり返つた。と同時に意外にも、その仏蘭西の海軍将校は、ちらりと頬に微笑の影を浮べながら、異様なアクサンを帯びた日本語で、はつきりと彼女にかう云つた。

「一しよに踊つては下さいませんか。」



 間もなく明子は、その仏蘭西の海軍将校と、「美しく青きダニウブ」のヴアルスを踊つてゐた。相手の将校は、頬の日に焼けた、眼鼻立ちの鮮な、濃い口髭のある男であつた。彼女はその相手の軍服の左の肩に、長い手袋を嵌めた手を預くべく、余りに背が低かつた。が、場馴れてゐる海軍将校は、巧に彼女をあしらつて、軽々と群集の中を舞ひ歩いた。さうして時々彼女の耳に、愛想の好い仏蘭西語の御世辞さへも囁いた。

 彼女はその優しい言葉に、恥しさうな微笑を酬いながら、時々彼等が踊つてゐる舞踏室の周囲へ眼を投げた。皇室の御紋章を染め抜いた紫縮緬の幔幕や、爪を張つた蒼竜が身をうねらせてゐる支那の国旗の下には、花瓶々々の菊の花が、或は軽快な銀色を、或は陰欝な金色を、人波の間にちらつかせてゐた。しかもその人波は、三鞭酒のやうに湧き立つて来る、花々しい独逸管絃楽の旋律の風に煽られて、暫くも目まぐるしい動揺を止めなかつた。明子はやはり踊つてゐる友達の一人と眼を合はすと、互に愉快さうな頷きを忙しい中に送り合つた。が、その瞬間には、もう違つた踊り手が、まるで大きな蛾が狂ふやうに、何処からか其処へ現れてゐた。

 しかし明子はその間にも、相手の仏蘭西の海軍将校の眼が、彼女の一挙一動に注意してゐるのを知つてゐた。それは全くこの日本に慣れない外国人が、如何に彼女の快活な舞踏ぶりに、興味があつたかを語るものであつた。こんな美しい令嬢も、やはり紙と竹との家の中に、人形の如く住んでゐるのであらうか。さうして細い金属の箸で、青い花の描いてある手のひら程の茶碗から、米粒を挾んで食べてゐるのであらうか。――彼の眼の中にはかう云ふ疑問が、何度も人懐しい微笑と共に往来するやうであつた。明子にはそれが可笑しくもあれば、同時に又誇らしくもあつた。だから彼女の華奢な薔薇色の踊り靴は、物珍しさうな相手の視線が折々足もとへ落ちる度に、一層身軽く滑な床の上を辷つて行くのであつた。

 が、やがて相手の将校は、この児猫のやうな令嬢の疲れたらしいのに気がついたと見えて、劬るやうに顔を覗きこみながら、

「もつと続けて踊りませうか。」

「ノン・メルシイ。」

 明子は息をはずませながら、今度ははつきりとかう答へた。

 するとその仏蘭西の海軍将校は、まだヴアルスの歩みを続けながら、前後左右に動いてゐるレエスや花の波を縫つて、壁側の花瓶の菊の方へ、悠々と彼女を連れて行つた。さうして最後の一廻転の後、其処にあつた椅子の上へ、鮮に彼女を掛けさせると、自分は一旦軍服の胸を張つて、それから又前のやうに恭しく日本風の会釈をした。



 その後又ポルカやマズユルカを踊つてから、明子はこの仏蘭西の海軍将校と腕を組んで、白と黄とうす紅と三重の菊の籬の間を、階下の広い部屋へ下りて行つた。

 此処には燕尾服や白い肩がしつきりなく去来する中に、銀や硝子の食器類に蔽はれた幾つかの食卓が、或は肉と松露との山を盛り上げたり、或はサンドウイツチとアイスクリイムとの塔を聳てたり、或は又柘榴と無花果との三角塔を築いたりしてゐた。殊に菊の花が埋め残した、部屋の一方の壁上には、巧な人工の葡萄蔓が青々とからみついてゐる、美しい金色の格子があつた。さうしてその葡萄の葉の間には、蜂の巣のやうな葡萄の房が、累々と紫に下つてゐた。明子はその金色の格子の前に、頭の禿げた彼女の父親が、同年輩の紳士と並んで、葉巻を啣へてゐるのに遇つた。父親は明子の姿を見ると、満足さうにちよいと頷いたが、それぎり連れの方を向いて、又葉巻を燻らせ始めた。

 仏蘭西の海軍将校は、明子と食卓の一つへ行つて、一しよにアイスクリイムの匙を取つた。彼女はその間も相手の眼が、折々彼女の手や髪や水色のリボンを掛けた頸へ注がれてゐるのに気がついた。それは勿論彼女にとつて、不快な事でも何でもなかつた。が、或刹那には女らしい疑ひも閃かずにはゐられなかつた。そこで黒い天鵞絨の胸に赤い椿の花をつけた、独逸人らしい若い女が二人の傍を通つた時、彼女はこの疑ひを仄めかせる為に、かう云ふ感歎の言葉を発明した。

「西洋の女の方はほんたうに御美しうございますこと。」

 海軍将校はこの言葉を聞くと、思ひの外真面目に首を振つた。

「日本の女の方も美しいです。殊にあなたなぞは――」

「そんな事はこざいませんわ。」

「いえ、御世辞ではありません。その儘すぐに巴里の舞踏会へも出られます。さうしたら皆が驚くでせう。ワツトオの画の中の御姫様のやうですから。」

 明子はワツトオを知らなかつた。だから海軍将校の言葉が呼び起した、美しい過去の幻も――仄暗い森の噴水と凋れて行く薔薇との幻も、一瞬の後には名残りなく消え失せてしまはなければならなかつた。が、人一倍感じの鋭い彼女は、アイスクリイムの匙を動かしながら、僅にもう一つ残つてゐる話題に縋る事を忘れなかつた。

「私も巴里の舞踏会へ参つて見たうございますわ。」

「いえ、巴里の舞踏会も全くこれと同じ事です。」

 海軍将校はかう云ひながら、二人の食卓を繞つてゐる人波と菊の花とを見廻したが、忽ち皮肉な微笑の波が瞳の底に動いたと思ふと、アイスクリイムの匙を止めて、

「巴里ばかりではありません。舞踏会は何処でも同じ事です。」と半ば独り語のやうにつけ加へた。



 一時間の後、明子と仏蘭西の海軍将校とは、やはり腕を組んだ儘、大勢の日本人や外国人と一しよに、舞踏室の外にある星月夜の露台に佇んでゐた。

 欄干一つ隔てた露台の向うには、広い庭園を埋めた針葉樹が、ひつそりと枝を交し合つて、その梢に点々と鬼灯提燈の火を透かしてゐた。しかも冷かな空気の底には、下の庭園から上つて来る苔の匂や落葉の匂が、かすかに寂しい秋の呼吸を漂はせてゐるやうであつた。が、すぐ後の舞踏室では、やはりレエスや花の波が、十六菊を染め抜いた紫縮緬の幕の下に、休みない動揺を続けてゐた。さうして又調子の高い管絃楽のつむじ風が、相不変その人間の海の上へ、用捨もなく鞭を加へてゐた。

 勿論この露台の上からも、絶えず賑な話し声や笑ひ声が夜気を揺つてゐた。まして暗い針葉樹の空に美しい花火が揚る時には、殆人どよめきにも近い音が、一同の口から洩れた事もあつた。その中に交つて立つてゐた明子も、其処にゐた懇意の令嬢たちとは、さつきから気軽な雑談を交換してゐた。が、やがて気がついて見ると、あの仏蘭西の海軍将校は、明子に腕を借した儘、庭園の上の星月夜へ黙然と眼を注いでゐた。彼女にはそれが何となく、郷愁でも感じてゐるやうに見えた。そこで明子は彼の顔をそつと下から覗きこんで、

「御国の事を思つていらつしやるのでせう。」と半ば甘えるやうに尋ねて見た。

 すると海軍将校は相不変微笑を含んだ眼で、静かに明子の方へ振り返つた。さうして「ノン」と答へる代りに、子供のやうに首を振つて見せた。

「でも何か考へていらつしやるやうでございますわ。」

「何だか当てて御覧なさい。」

 その時露台に集つてゐた人々の間には、又一しきり風のやうなざわめく音が起り出した。明子と海軍将校とは云ひ合せたやうに話をやめて、庭園の針葉樹を圧してゐる夜空の方へ眼をやつた。其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手に闇を弾きながら、将に消えようとする所であつた。明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。

「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生のやうな花火の事を。」

 暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。



       二

 大正七年の秋であつた。当年の明子は鎌倉の別荘へ赴く途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一しよになつた。青年はその時編棚の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。青年はこの人自身の口からかう云ふ思出を聞く事に、多大の興味を感ぜずにはゐられなかつた。

 その話が終つた時、青年はH老夫人に何気なくかう云ふ質問をした。

「奥様はその仏蘭西の海軍将校の名を御存知ではございませんか。」

 するとH老夫人は思ひがけない返事をした。

「存じて居りますとも。Julien Viaud と仰有る方でございました。」

「では Loti だつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」

 青年は愉快な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであつた。

「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」

芥川龍之介「舞踏会」

 お疲れ様でした。まずは第一段落から。

 明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家の令嬢明子は、頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館の階段を上つて行つた。明い瓦斯の光に照らされた、幅の広い階段の両側には、殆人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬を造つてゐた。菊は一番奥のがうす紅、中程のが濃い黄色、一番前のがまつ白な花びらを流蘇の如く乱してゐるのであつた。さうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来るのであつた。

 まずは舞台設定である。流蘇とは、糸や毛などで組んだ飾りのふさのこと。絢爛豪華な鹿鳴館からは「陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来る」。また、「殆人工に近い大輪の菊の花」という表現が注意を引く。それは鹿鳴館の和洋折衷を暗示する表現なのだろうか(菊はもちろん、日本の国花である)。

 明子は夙に仏蘭西語と舞踏との教育を受けてゐた。が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであつた。だから彼女は馬車の中でも、折々話しかける父親に、上の空の返事ばかり与へてゐた。それ程彼女の胸の中には、愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落着かない心もちが根を張つてゐたのであつた。彼女は馬車が鹿鳴館の前に止るまで、何度いら立たしい眼を挙げて、窓の外に流れて行く東京の町の乏しい燈火を、見つめた事だか知れなかつた。

 17歳の主人公の明子は、今日はじめて舞踏会に参加する。フランス語と舞踊の教育を受けていることから、明子がどのような家庭環境で育っているのかがわかる。それゆえに、彼女は馬車の中で「愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落着かない心もち」を抱いているのである。初めての舞踏会でヘマをしてしまえば、家族に面目が立たないであろう。こうした細部の描写によって、作品は生き生きとする。
 実は、明子が生まれて初めて舞踏会へ向かうこの場面は、芥川がトルストイの『戦争と平和』を参考にして描いたものであることが知られている(「『戦争と平和』は古今に絶した長編であります。しかしあの恐ろしい感銘は見事な細部の描写を待たずに生じて来るものではありません。」)。

彼女を待ち受けているものが、あまりにもはなやかなものなので、彼女はそれが現実に来ることが信じられないほどだった。それほどそれは馬車の中のひんやりとした、狭苦しい、薄暗い感じから遠かった。

トルストイ『戦争と平和』

 芥川は、古今東西の古典からさまざまな文学的技巧を学びとっていた作家であるが、ここでトルストイから学んだ細部への気づかいを遺憾なく発揮している。

 が、鹿鳴館の中へはひると、間もなく彼女はその不安を忘れるやうな事件に遭遇した。と云ふのは階段の丁度中程まで来かかつた時、二人は一足先に上つて行く支那の大官に追ひついた。すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたやうな視線を明子へ投げた。初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂つてゐるたつた一輪の薔薇の花――実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪を垂れた支那の大官の眼を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具へてゐたのであつた。と思ふと又階段を急ぎ足に下りて来た、若い燕尾服の日本人も、途中で二人にすれ違ひながら、反射的にちよいと振り返つて、やはり呆れたやうな一瞥を明子の後姿に浴せかけた。それから何故か思ひついたやうに、白い襟飾へ手をやつて見て、又菊の中を忙しく玄関の方へ下りて行つた。

 実はここにも『戦争と平和』の表現が見られるのだが、それは措いておこう。芥川の細部への繊細な気遣いはここでも光っている。明子が洗練された教育を受けているだけの少女でないことが、この一場面で見事に表現されている。馬車の中で彼女を圧迫していた不安は、周囲の人々の視線によって徐々に解毒されてゆく。

 二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬鬚を蓄へた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易十五世式の装ひを凝らした年上の伯爵夫人と一しよに、大様に客を迎へてゐた。明子はこの伯爵でさへ、彼女の姿を見た時には、その老獪らしい顔の何処かに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかつた。人の好い明子の父親は、嬉しさうな微笑を浮べながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。彼女は羞恥と得意とを交る交る味つた。が、その暇にも権高な伯爵夫人の顔だちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があつた。

 主人役の伯爵までもが、明子の美に魅了されている。当の明子も、自分の美が人々に感銘を与えているということを自覚しているところが面白い。「彼女は羞恥と得意とを交る交る味つた」のである。初めての舞踏会であるにもかかわらず、伯爵夫人の顔立ちを品評さえしている明子の度胸・器量が伺われる。

 舞踏室の中にも至る所に、菊の花が美しく咲き乱れてゐた。さうして又至る所に、相手を待つてゐる婦人たちのレエスや花や象牙の扇が、爽かな香水の匂の中に、音のない波の如く動いてゐた。明子はすぐに父親と分れて、その綺羅びやかな婦人たちの或一団と一しよになつた。それは皆同じやうな水色や薔薇色の舞踏服を着た、同年輩らしい少女であつた。彼等は彼女を迎へると、小鳥のやうにさざめき立つて、口口に今夜の彼女の姿が美しい事を褒め立てたりした。

 読んでいるだけで舞踏会の音や匂いが漂って来るような秀逸な一節である。視覚的・嗅覚的・聴覚的な描写によって、読者はまるで自分がその場にいるかのような錯覚をおぼえる。

 が、彼女がその仲間へはひるや否や、見知らない仏蘭西の海軍将校が、何処からか静に歩み寄つた。さうして両腕を垂れた儘、叮嚀に日本風の会釈をした。明子はかすかながら血の色が、頬に上つて来るのを意識した。しかしその会釈が何を意味するかは、問ふまでもなく明かだつた。だから彼女は手にしてゐた扇を預つて貰ふべく、隣に立つてゐる水色の舞踏服の令嬢をふり返つた。と同時に意外にも、その仏蘭西の海軍将校は、ちらりと頬に微笑の影を浮べながら、異様なアクサンを帯びた日本語で、はつきりと彼女にかう云つた。
「一しよに踊つては下さいませんか。」

 ここからも、明子の美貌が際立っていることが窺われる。煌びやかな夫人の一団の中にいた明子は、フランスの海軍将校に「異様なアクサンを帯びた日本語で」踊ってくださいませんか、と誘われる。「アクサン」とはフランス語で、アクセント、つまり訛りのことである。

 間もなく明子は、その仏蘭西の海軍将校と、「美しく青きダニウブ」のヴアルスを踊つてゐた。相手の将校は、頬の日に焼けた、眼鼻立ちの鮮な、濃い口髭のある男であつた。彼女はその相手の軍服の左の肩に、長い手袋を嵌めた手を預くべく、余りに背が低かつた。が、場馴れてゐる海軍将校は、巧に彼女をあしらつて、軽々と群集の中を舞ひ歩いた。さうして時々彼女の耳に、愛想の好い仏蘭西語の御世辞さへも囁いた。

 ヴアルスとはフランス語でワルツのことである(ちなみに、芥川の小説にはフランス語はわりと出て来る)。

 彼女はその優しい言葉に、恥しさうな微笑を酬いながら、時々彼等が踊つてゐる舞踏室の周囲へ眼を投げた。皇室の御紋章を染め抜いた紫縮緬の幔幕や、爪を張つた蒼竜が身をうねらせてゐる支那の国旗の下には、花瓶々々の菊の花が、或は軽快な銀色を、或は陰欝な金色を、人波の間にちらつかせてゐた。しかもその人波は、三鞭酒のやうに湧き立つて来る、花々しい独逸管絃楽の旋律の風に煽られて、暫くも目まぐるしい動揺を止めなかつた。明子はやはり踊つてゐる友達の一人と眼を合はすと、互に愉快さうな頷きを忙しい中に送り合つた。が、その瞬間には、もう違つた踊り手が、まるで大きな蛾が狂ふやうに、何処からか其処へ現れてゐた。

 フランス人将校にお世辞を囁かれながらも、明子は余裕を保ち、周囲の状況を伺っている。

 しかし明子はその間にも、相手の仏蘭西の海軍将校の眼が、彼女の一挙一動に注意してゐるのを知つてゐた。それは全くこの日本に慣れない外国人が、如何に彼女の快活な舞踏ぶりに、興味があつたかを語るものであつた。こんな美しい令嬢も、やはり紙と竹との家の中に、人形の如く住んでゐるのであらうか。さうして細い金属の箸で、青い花の描いてある手のひら程の茶碗から、米粒を挾んで食べてゐるのであらうか。――彼の眼の中にはかう云ふ疑問が、何度も人懐しい微笑と共に往来するやうであつた。明子にはそれが可笑しくもあれば、同時に又誇らしくもあつた。だから彼女の華奢な薔薇色の踊り靴は、物珍しさうな相手の視線が折々足もとへ落ちる度に、一層身軽く滑な床の上を辷つて行くのであつた。

 ここでもまた、トルストイからの影響があらわれている。
 明子は周囲の状況に気を配りながらも、フランス人将校が自分に投げかけている目線の意図を推しはかっている。

 が、やがて相手の将校は、この児猫のやうな令嬢の疲れたらしいのに気がついたと見えて、劬るやうに顔を覗きこみながら、
「もつと続けて踊りませうか。」
「ノン・メルシイ。」
 明子は息をはずませながら、今度ははつきりとかう答へた。
 するとその仏蘭西の海軍将校は、まだヴアルスの歩みを続けながら、前後左右に動いてゐるレエスや花の波を縫つて、壁側の花瓶の菊の方へ、悠々と彼女を連れて行つた。さうして最後の一廻転の後、其処にあつた椅子の上へ、鮮に彼女を掛けさせると、自分は一旦軍服の胸を張つて、それから又前のやうに恭しく日本風の会釈をした。

 「ノン・メルシイ。」とは、ノーサンキューである。お互いがお互いの母国語で会話をしているのが面白い。将校としては、日本人の少女に対する礼儀として日本語を話しているのだろうが(異様なアクサンであることから、もともと日本語が流暢であるわけではないことがわかる)、明子の方は、これまで習ってきたフランス語をここぞとばかりに披露しているだけなのかもしれない。

 その後又ポルカやマズユルカを踊つてから、明子はこの仏蘭西の海軍将校と腕を組んで、白と黄とうす紅と三重の菊の籬の間を、階下の広い部屋へ下りて行つた。
 此処には燕尾服や白い肩がしつきりなく去来する中に、銀や硝子の食器類に蔽はれた幾つかの食卓が、或は肉と松露との山を盛り上げたり、或はサンドウイツチとアイスクリイムとの塔を聳てたり、或は又柘榴と無花果との三角塔を築いたりしてゐた。殊に菊の花が埋め残した、部屋の一方の壁上には、巧な人工の葡萄蔓が青々とからみついてゐる、美しい金色の格子があつた。さうしてその葡萄の葉の間には、蜂の巣のやうな葡萄の房が、累々と紫に下つてゐた。明子はその金色の格子の前に、頭の禿げた彼女の父親が、同年輩の紳士と並んで、葉巻を啣へてゐるのに遇つた。父親は明子の姿を見ると、満足さうにちよいと頷いたが、それぎり連れの方を向いて、又葉巻を燻らせ始めた。

 「殊に菊の花が埋め残した、部屋の一方の壁上には、巧な人工の葡萄蔓が青々とからみついてゐる」。「舞踏会」の舞台となっている鹿鳴館はそれ自体が仮面であるのかもしれない。
 父親はなぜ満足げだったのか。それは初めて舞踏会に参加する娘が、無事、ダンスのお相手を捕まえているところを目撃したからであろう。

 仏蘭西の海軍将校は、明子と食卓の一つへ行つて、一しよにアイスクリイムの匙を取つた。彼女はその間も相手の眼が、折々彼女の手や髪や水色のリボンを掛けた頸へ注がれてゐるのに気がついた。それは勿論彼女にとつて、不快な事でも何でもなかつた。が、或刹那には女らしい疑ひも閃かずにはゐられなかつた。そこで黒い天鵞絨の胸に赤い椿の花をつけた、独逸人らしい若い女が二人の傍を通つた時、彼女はこの疑ひを仄めかせる為に、かう云ふ感歎の言葉を発明した。
「西洋の女の方はほんたうに御美しうございますこと。」
 海軍将校はこの言葉を聞くと、思ひの外真面目に首を振つた。
「日本の女の方も美しいです。殊にあなたなぞは――」
「そんな事はこざいませんわ。」
「いえ、御世辞ではありません。その儘すぐに巴里の舞踏会へも出られます。さうしたら皆が驚くでせう。ワツトオの画の中の御姫様のやうですから。」
 明子はワツトオを知らなかつた。だから海軍将校の言葉が呼び起した、美しい過去の幻も――仄暗い森の噴水と凋れて行く薔薇との幻も、一瞬の後には名残りなく消え失せてしまはなければならなかつた。が、人一倍感じの鋭い彼女は、アイスクリイムの匙を動かしながら、僅にもう一つ残つてゐる話題に縋る事を忘れなかつた。
「私も巴里の舞踏会へ参つて見たうございますわ。」
「いえ、巴里の舞踏会も全くこれと同じ事です。」
 海軍将校はかう云ひながら、二人の食卓を繞つてゐる人波と菊の花とを見廻したが、忽ち皮肉な微笑の波が瞳の底に動いたと思ふと、アイスクリイムの匙を止めて、
「巴里ばかりではありません。舞踏会は何処でも同じ事です。」と半ば独り語のやうにつけ加へた。

 いい具合に区切ることができなかったので、ちょっと長い引用になってしまった。
 将校は相変わらず明子のあちらこちらを見ている。彼は明子に見惚れているのだろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それゆえに、明子は「西洋の女の方はほんたうに御美しうございますこと」と言ってみるのである。
 それに対して、将校は「ワツトオの画の中の御姫様のやう」だと明子を褒め称えるが、彼女はワツトオが誰なのか、知らない。
 ワツトオとはおそらく、ロココ時代のフランスの画家アントワーヌ・ヴァトーのことであろう。将校が具体的にどの絵画を指しているのかは分からないが、ロココ風であると想像すればよいだろう(ロココといえば、バロックの豪壮さと対照的な優美さ・繊細さを指すことが多い)。

ヴァトー「舞踊」


フラゴナール「ぶらんこ」

 ワツトオの分からぬ明子は懸命に会話の糸を紡ごうとするものの、その試みは実を結ばない。将校は皮肉な微笑を浮かべ、「舞踏会は何処でも同じ事です」とこぼす。

 一時間の後、明子と仏蘭西の海軍将校とは、やはり腕を組んだ儘、大勢の日本人や外国人と一しよに、舞踏室の外にある星月夜の露台に佇んでゐた。 欄干一つ隔てた露台の向うには、広い庭園を埋めた針葉樹が、ひつそりと枝を交し合つて、その梢に点々と鬼灯提燈の火を透かしてゐた。しかも冷かな空気の底には、下の庭園から上つて来る苔の匂や落葉の匂が、かすかに寂しい秋の呼吸を漂はせてゐるやうであつた。が、すぐ後の舞踏室では、やはりレエスや花の波が、十六菊を染め抜いた紫縮緬の幕の下に、休みない動揺を続けてゐた。さうして又調子の高い管絃楽のつむじ風が、相不変その人間の海の上へ、用捨もなく鞭を加へてゐた。

 場面は星月夜のバルコニーである。二人でいちゃいちゃしながら踊っているときのテンションのままこのシーンになったなら、やはり違和感はどうしても拭えないだろうが、芥川はそんなヘマはしない。妙にあみ合わない二人の会話は、このシーンへの布石だったのかもしれない。「抑へ難い幸福の吐息のやう」だった管弦楽は、ここでは「鞭」と形容されている。

 勿論この露台の上からも、絶えず賑な話し声や笑ひ声が夜気を揺つてゐた。まして暗い針葉樹の空に美しい花火が揚る時には、殆人どよめきにも近い音が、一同の口から洩れた事もあつた。その中に交つて立つてゐた明子も、其処にゐた懇意の令嬢たちとは、さつきから気軽な雑談を交換してゐた。が、やがて気がついて見ると、あの仏蘭西の海軍将校は、明子に腕を借した儘、庭園の上の星月夜へ黙然と眼を注いでゐた。彼女にはそれが何となく、郷愁でも感じてゐるやうに見えた。そこで明子は彼の顔をそつと下から覗きこんで、
「御国の事を思つていらつしやるのでせう。」と半ば甘えるやうに尋ねて見た。
 すると海軍将校は相不変微笑を含んだ眼で、静かに明子の方へ振り返つた。さうして「ノン」と答へる代りに、子供のやうに首を振つて見せた。
「でも何か考へていらつしやるやうでございますわ。」
「何だか当てて御覧なさい。」

 花火があがる。周りは感嘆の声を漏らす中で、将校は「庭園の上の星月夜へ黙然と眼を注いでゐた」。実は私も先日花火を見てきたのだが、この将校のように、花火ではなく月へ眼を注いでいたことが思い出される。私はフランス人なのかもしれない。ボンジュール、マドモアゼル。

 その時露台に集つてゐた人々の間には、又一しきり風のやうなざわめく音が起り出した。明子と海軍将校とは云ひ合せたやうに話をやめて、庭園の針葉樹を圧してゐる夜空の方へ眼をやつた。其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手に闇を弾きながら、将に消えようとする所であつた。明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。
「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生のやうな花火の事を。」
 暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。

 「蜘蛛手に闇を弾きながら」! すごい表現である。
 それはそうと、明子には、どうして花火が「殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた」のであろうか? あれだけ華々しく咲いたロココ風の舞踏円もやがて終わりを迎える。それはまるで花火の閃光のような輝きであり、また同時に、「我々の生のやう」でもある。花火はどうして悲しいほど美しいのか。将校は、この問いに対して、花火は我々の生のようなものであるから、と教えたのではあるまいか。

 大正七年の秋であつた。当年の明子は鎌倉の別荘へ赴く途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一しよになつた。青年はその時編棚の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。青年はこの人自身の口からかう云ふ思出を聞く事に、多大の興味を感ぜずにはゐられなかつた。
 その話が終つた時、青年はH老夫人に何気なくかう云ふ質問をした。
「奥様はその仏蘭西の海軍将校の名を御存知ではございませんか。」
 するとH老夫人は思ひがけない返事をした。
「存じて居りますとも。Julien Viaud と仰有る方でございました。」
「では Loti だつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」
 青年は愉快な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであつた。
「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」

 花火で終わらせないのが芥川の手腕である。ここに及んで、明子が現時点で老婆であることが明かされるのだ。
 そして、H老夫人はロティが誰だか分からない。稀代の詩人と素敵な一夜を過ごしたのにもかかわらず、そのことを認識することができないのである。少女の時代にはフランス語や舞踊を習い、鹿鳴館での舞踏会に参加するほど洗練されていたH老夫人の人生は、かの将校が言ったように、花火のようなものだったのかもしれない。
 このように回想の形で小説を書くのだとすれば、
「大正七年の秋であつた。当年の明子は鎌倉の別荘へ赴く途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一しよになつた。青年はその時編棚の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。青年はこの人自身の口からかう云ふ思出を聞く事に、多大の興味を感ぜずにはゐられなかつた。」
 の部分を冒頭に置き、舞踏会のエピソードを描いたのちに、
「その話が終つた時、青年はH老夫人に何気なくかう云ふ質問をした。
「奥様はその仏蘭西の海軍将校の名を御存知ではございませんか。」
 するとH老夫人は思ひがけない返事をした。
「存じて居りますとも。Julien Viaud と仰有る方でございました。」
「では Loti だつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」
 青年は愉快な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであつた。
「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」」
 の部分を置く方がより自然であるはずである。
 では、芥川はなぜこのような仕方で書かなかったのか?
 この問いは、宿題としてここに放置しておくことにしよう。

 私もずいぶん酔っ払った。食欲がバグっている。
 お付き合いいただき、ありがとうございました。それでは。


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