以前、芥川の「羅生門」の感想をダラダラと書いたことがあったのだが、今回も同じように、芥川の「舞踏会」を読みながら、思ったことや気づいたことなどを書き連ねたい。お酒を呑みながらダラダラ書くので、価値ある解釈を期待している方は、失望しないためにも、もっと有益なことに時間をお使いになったほうがよろしいと忠告しておく。
まだ読んだことのないという方は、ぜひ青空文庫でいちどお読みになってください。ここにも貼ってきます。
お疲れ様でした。まずは第一段落から。
まずは舞台設定である。流蘇とは、糸や毛などで組んだ飾りのふさのこと。絢爛豪華な鹿鳴館からは「陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来る」。また、「殆人工に近い大輪の菊の花」という表現が注意を引く。それは鹿鳴館の和洋折衷を暗示する表現なのだろうか(菊はもちろん、日本の国花である)。
17歳の主人公の明子は、今日はじめて舞踏会に参加する。フランス語と舞踊の教育を受けていることから、明子がどのような家庭環境で育っているのかがわかる。それゆえに、彼女は馬車の中で「愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落着かない心もち」を抱いているのである。初めての舞踏会でヘマをしてしまえば、家族に面目が立たないであろう。こうした細部の描写によって、作品は生き生きとする。
実は、明子が生まれて初めて舞踏会へ向かうこの場面は、芥川がトルストイの『戦争と平和』を参考にして描いたものであることが知られている(「『戦争と平和』は古今に絶した長編であります。しかしあの恐ろしい感銘は見事な細部の描写を待たずに生じて来るものではありません。」)。
芥川は、古今東西の古典からさまざまな文学的技巧を学びとっていた作家であるが、ここでトルストイから学んだ細部への気づかいを遺憾なく発揮している。
実はここにも『戦争と平和』の表現が見られるのだが、それは措いておこう。芥川の細部への繊細な気遣いはここでも光っている。明子が洗練された教育を受けているだけの少女でないことが、この一場面で見事に表現されている。馬車の中で彼女を圧迫していた不安は、周囲の人々の視線によって徐々に解毒されてゆく。
主人役の伯爵までもが、明子の美に魅了されている。当の明子も、自分の美が人々に感銘を与えているということを自覚しているところが面白い。「彼女は羞恥と得意とを交る交る味つた」のである。初めての舞踏会であるにもかかわらず、伯爵夫人の顔立ちを品評さえしている明子の度胸・器量が伺われる。
読んでいるだけで舞踏会の音や匂いが漂って来るような秀逸な一節である。視覚的・嗅覚的・聴覚的な描写によって、読者はまるで自分がその場にいるかのような錯覚をおぼえる。
ここからも、明子の美貌が際立っていることが窺われる。煌びやかな夫人の一団の中にいた明子は、フランスの海軍将校に「異様なアクサンを帯びた日本語で」踊ってくださいませんか、と誘われる。「アクサン」とはフランス語で、アクセント、つまり訛りのことである。
ヴアルスとはフランス語でワルツのことである(ちなみに、芥川の小説にはフランス語はわりと出て来る)。
フランス人将校にお世辞を囁かれながらも、明子は余裕を保ち、周囲の状況を伺っている。
ここでもまた、トルストイからの影響があらわれている。
明子は周囲の状況に気を配りながらも、フランス人将校が自分に投げかけている目線の意図を推しはかっている。
「ノン・メルシイ。」とは、ノーサンキューである。お互いがお互いの母国語で会話をしているのが面白い。将校としては、日本人の少女に対する礼儀として日本語を話しているのだろうが(異様なアクサンであることから、もともと日本語が流暢であるわけではないことがわかる)、明子の方は、これまで習ってきたフランス語をここぞとばかりに披露しているだけなのかもしれない。
「殊に菊の花が埋め残した、部屋の一方の壁上には、巧な人工の葡萄蔓が青々とからみついてゐる」。「舞踏会」の舞台となっている鹿鳴館はそれ自体が仮面であるのかもしれない。
父親はなぜ満足げだったのか。それは初めて舞踏会に参加する娘が、無事、ダンスのお相手を捕まえているところを目撃したからであろう。
いい具合に区切ることができなかったので、ちょっと長い引用になってしまった。
将校は相変わらず明子のあちらこちらを見ている。彼は明子に見惚れているのだろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それゆえに、明子は「西洋の女の方はほんたうに御美しうございますこと」と言ってみるのである。
それに対して、将校は「ワツトオの画の中の御姫様のやう」だと明子を褒め称えるが、彼女はワツトオが誰なのか、知らない。
ワツトオとはおそらく、ロココ時代のフランスの画家アントワーヌ・ヴァトーのことであろう。将校が具体的にどの絵画を指しているのかは分からないが、ロココ風であると想像すればよいだろう(ロココといえば、バロックの豪壮さと対照的な優美さ・繊細さを指すことが多い)。
ワツトオの分からぬ明子は懸命に会話の糸を紡ごうとするものの、その試みは実を結ばない。将校は皮肉な微笑を浮かべ、「舞踏会は何処でも同じ事です」とこぼす。
場面は星月夜のバルコニーである。二人でいちゃいちゃしながら踊っているときのテンションのままこのシーンになったなら、やはり違和感はどうしても拭えないだろうが、芥川はそんなヘマはしない。妙にあみ合わない二人の会話は、このシーンへの布石だったのかもしれない。「抑へ難い幸福の吐息のやう」だった管弦楽は、ここでは「鞭」と形容されている。
花火があがる。周りは感嘆の声を漏らす中で、将校は「庭園の上の星月夜へ黙然と眼を注いでゐた」。実は私も先日花火を見てきたのだが、この将校のように、花火ではなく月へ眼を注いでいたことが思い出される。私はフランス人なのかもしれない。ボンジュール、マドモアゼル。
「蜘蛛手に闇を弾きながら」! すごい表現である。
それはそうと、明子には、どうして花火が「殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた」のであろうか? あれだけ華々しく咲いたロココ風の舞踏円もやがて終わりを迎える。それはまるで花火の閃光のような輝きであり、また同時に、「我々の生のやう」でもある。花火はどうして悲しいほど美しいのか。将校は、この問いに対して、花火は我々の生のようなものであるから、と教えたのではあるまいか。
花火で終わらせないのが芥川の手腕である。ここに及んで、明子が現時点で老婆であることが明かされるのだ。
そして、H老夫人はロティが誰だか分からない。稀代の詩人と素敵な一夜を過ごしたのにもかかわらず、そのことを認識することができないのである。少女の時代にはフランス語や舞踊を習い、鹿鳴館での舞踏会に参加するほど洗練されていたH老夫人の人生は、かの将校が言ったように、花火のようなものだったのかもしれない。
このように回想の形で小説を書くのだとすれば、
「大正七年の秋であつた。当年の明子は鎌倉の別荘へ赴く途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一しよになつた。青年はその時編棚の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。青年はこの人自身の口からかう云ふ思出を聞く事に、多大の興味を感ぜずにはゐられなかつた。」
の部分を冒頭に置き、舞踏会のエピソードを描いたのちに、
「その話が終つた時、青年はH老夫人に何気なくかう云ふ質問をした。
「奥様はその仏蘭西の海軍将校の名を御存知ではございませんか。」
するとH老夫人は思ひがけない返事をした。
「存じて居りますとも。Julien Viaud と仰有る方でございました。」
「では Loti だつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」
青年は愉快な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであつた。
「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」」
の部分を置く方がより自然であるはずである。
では、芥川はなぜこのような仕方で書かなかったのか?
この問いは、宿題としてここに放置しておくことにしよう。
私もずいぶん酔っ払った。食欲がバグっている。
お付き合いいただき、ありがとうございました。それでは。