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くらえ、ハイビーム!

 先日、苦闘の末に住民票を手に入れることができたので、満を持して免許証の更新に行ってきた。

 本来ならば、今回でゴールド免許に昇格していたはずなのだが、上の記事で述べているように、私は更新期間中に免許証を更新をしなかったので、青色免許にステイということになった。
 会場のお姉さんにも、「本来ならば30分の講習ですが、今回は期限切れなので1時間の講習を受けてもらいます」と言われた。あーあ、ちゃんとしていれば30分だったのにね、プークスクス、と言われているようで、心に深い傷を負った。
 満身創痍で片足を引きずりながら会計を済ませ、「これ二、三週間分の食費じゃね?」と気づいたことでさらにダメージを負い、視力検査の場所に辿り着くころにはすでに地べたを這って移動していた。
 このように、万全の体調だとは到底言えないほど心身ともに疲弊していたので、視力検査でも思ったようにハイスコアが出せなかった。
「これはどうですか?」
「右です」
「じゃあこれは?」いきなりため口でくるので、ちょっと狼狽える。
「えーっと、わかりま……す、右です」
 危なかった。貧乏すぎてピントの合っていない眼鏡をかけているせいだ。結局右だったのかは分からないが、何問か回答したのちに「はい、大丈夫でーす」と言われ、なんとかパスすることができた(大学院の入試より難しかった)。ちなみに、検査結果のところには「三元豚」みたいな文字が捺してあった。あれはどういう意味だったのだろう。豚野郎と罵られたのだろうか。
 免許証更新はこれで二、三回目なのだけれど(定かでない)、今回、いろいろな窓口をたらい回しにされて、そうだったそうだった、免許証の更新はこんな感じだった、と思い出した。次は○○に行ってください、だとか、何色のラインに沿って進んでください、というように、まるでスタンプラリー(易)をしているかのような気分になる。あるいはベルトコンベアで運ばれる肉塊のような気分に。三元豚ってそういうこと?
 そういえば、係のおばちゃんが——「グリーンのラインに沿って進んでください」と言いたかったのだろうが——間違って、
「グリーンラベルに沿って進んでください、グリーンラベルでーす」
 と言っていて、朝なのにどんだけ呑みたいんだよ、と思った。不思議なジュークボックスは見当たらなかった。
 私が「発泡酒!」と言うと、おばちゃんも気づいたようで、
「ああ、グリーンのラインです……」
 と恥ずかしそうにしていた。馬鹿にしているつもりはなかったのだけれど、なんだか申し訳ない気持ちになった。(ちなみに、帰りにスーパーに寄ってグリーンラベルを買った。おばちゃんのせいだ。)
 講習も意外と退屈ではなかった。
 講師の説明によると、昨年の東京都における交通事故の死亡者数は、幼稚園児、小学生、高校生で0人(中学生は一人)であり、一方で、死亡者数の40%以上が高齢者だということで(コロナ以前は6割だったらしい)、われわれドライバーはいかにして高齢者の突撃を回避するかを考えなければならないということが力説されていた。彼も、「高齢者って、信号守らないでしょ、横断歩道ないところ横切るし。だから、高齢者が轢かれて亡くなるケースが多いんですよ」と言っていた。私の実感とも符合している。
 われわれは、交通ルールを無視する高齢者の無敵の突撃をなんとしても回避しなければならないのである。そのために、講師はいくつかの作戦をわれわれに授けてくれた。ひとつだけご紹介しよう。名付けて、ハイビーム作戦である。つまり、ハイビームで高齢者を威嚇せよ、というのが、彼がわれわれに授けた作戦である。とりわけ最近のいい車になるとかなり静かなので、ロービームだと高齢者の側も車が来ていることに気づかないらしいのだ。
 多分、ハイビームを食らった高齢者は断末魔をあげながら灰になって消えるのだろう。まるで必殺技のようである。くらえ! ハイビーーーーーーム!
 あと、同じ教室にリアクション王のようなひとがいて、講師の発言のすべてにおおげさなリアクションをとっていて面白かった。ヴィデオで事故の映像が流れると、リアクション王は「ひゃー!」とか、「あぶない!」とか言っていてかわいかった。
 ちなみに、そのヴィデオでは、すべての漢字にふりがなが振られているくせに、ヒヤリ・ハットなどという謎の表現が何の注釈もなしに使われて、意味が分からなかった。ハーバー・ボッシュとかジェイムズ・ランゲとか、バナッハ・タルスキーとか、そういうやつ(エポニム)かと思ったのだが、調べてみると普通に日本語だった。ヒヤリとしてハッとするらしい。初めて聞いた日本語である。
 同じ男に二回も順番を抜かされるなど、イライラさせられることもあったのだが、今回の免許証更新は、総じて思ったよりも楽しめた。人間がいっぱいいるので、観察するのによい場所である。グリーンラベルおばちゃん、リアクション王、順番を守らない男、ハイビーム師匠、あとは講習中にスマホをいじっていて、みんなの前で注意される恥ずかしい中年男などなど(スマホはしまってもらわないと、講習中にいじってたら講習済のハンコ捺せないですからね、と言われていたにもかかわらず、である)。

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