ボクの住む町の逆の隣町は

先日はボクの住む町の隣の大学の隣町を紹介しました。
今日は逆の隣町を。

窓の外は秋雨の重たい雲が段々になって水墨画のよう。
今日書こうとしているのは、こんな天気の日には書きたくない町。
なぜなら・・・ここはボクにとっての心のサンクチュアリであり、
どんな時でも元気に、そして明るくしてくれる町だからです。

今の町に越してきて約二十五年。
電車で一駅。歩いて十五分のこの町はずっと通過する町でした。
電車で下車することもなく、散歩の途中で最短距離を通過するだけ、
そういう位置づけの町でした。
その隣町が突然サンクチュアリに昇格したのは七年前、
妻が亡くなってからおよそ十ヶ月がたった頃でした。

一人で呑みに行ける店がないと歎くボクに友人が、
「若い男二人でやっているイイ店があるから行ってみない?」と
誘ってくれたのがこの町との邂逅でした。

【邂逅】思いがけない出会い。めぐりあい。
そんな、かっこつけ感あふれる言葉を選択していまう素敵な出会いでした。

昔、線路が地上だった頃は、ぐちゃぐちゃなイメージだったこの町の駅も、
今ではホームも線路も地下に入り、駅前ロータリーがあるという、
ほんの僅かですが、こじゃれた感のある町になりました。
そして現在は、駅前の一角が再開発ということでマンションの工事が
進行中で、さらに駅前の風景は変わっていきそうです。

この駅の空気は駅前を見れば一目瞭然。
立ち食い蕎麦、中華食堂、もつ焼き屋、果物屋、パチンコ屋、
数々の呑み屋・総菜屋、スーパー、少し先には銭湯まであるという、
これぞ正しいグチャグチャ満載のTHE東京の駅の風が流れます。

さらに駅前から続く商店街は、3人くらいがすれ違うとチャリが抜くのは
難しそうな道の両側に、食事所、呑み屋、パン屋、アジアンフード、
唐揚げ屋から100円ショップ、ドラッグストア、総菜屋、コンビニ、花屋等々、狭い間口の店がびっしりと200メートルくらい続きます。
そうこの町は、そのまた隣のとても長いアーケードが続く商店街が続く
町と、その近くの有名な銀座の名が付く商店街とともに、東京の西側から
少なくなりつつある下町感の残る町なのです。

友人が連れていってくれた居酒屋の人たちとはすぐに仲良くなり、
二度三度と通ううちに常連の輪に加えてもらい、あっと言う間に友だちが
沢山できました。
妻を亡くした男にとって、妻のことを知らない友人が出来ることは
とても大きな救いです。

妻を亡くした男(特に子どものいない夫婦では)は、友人でも誰でも、
妻の話をしたくで仕方ないもの。
でも友人たちと妻の思い出を語り合う間は、まるで妻と再会したような
幸福感を味わえる至福の時間なのですが、しかし本当は、その時間は心の傷をほじくり、流れる血で亡き妻の面影を絵に描いているようなもので、
一人に戻ると、ただただ悲しみや辛さを増幅させるだけということを、
イヤというほど思い知ることになります。

なので妻を知らない町と友の出現がどれほどの救いになったか、
この町への感謝は言い表すこことはできません。

そして常連の仲良しグループはホームグランドの居酒屋から外へも進出、
はす向かいのオリエンタルレストランのマスターも加わって、
楽しくやっていたある日、ホームの居酒屋が別の町に移転が決まります。

しかしそんな危機も、次に出来た店にそのままスイッチという展開で
乗り越え(次に出来た店の人たちもとても素敵な人たちで、すぐに
人気店になりました)、さらにメンバーの中心の夫婦がホームグランドの
居酒屋の隣のラーメン屋後にバーを開店、そのバーが新たなホームになるなど大小の山を乗り越え現在に至ります。

この間に、仲良しメンバーにも幾度もの集合離散がありました。
一組カップルができ、結婚、少し離れた町に家を買ったので、なかなか
来れなくなり、転勤で遠くの町へ移っていった人、別の町が楽しく
なった人、コロナで引きこもった人、もちろん理由の分からない人も。
一軒の居酒屋に呑みに行くという動機ひとつで繋がっているのですから、
何かあればフェードアウトしていくのは当たり前のことです。

そして当然の如く新しくなったバーの友人の輪グールプにもどんどん
ニューカマーが流入し、友だちの輪は次々に形を変えていきます。
居酒屋グループはLINEのグループにその名前は残っていますが、
それは残像のようなもので、実はもう残ってはいないのでしょう。
残っていなくてもいいのです。たまに顔をあわせたら「おぉ久しぶり」
の一言で笑顔になればグループは復活できるのですから。

まだ3歳とか4歳の頃住んでいた町に一軒のもつ焼き屋がありました。
父が帰宅前に良く寄っていたようで、休日は母と三人で、時には祖母も
加わって何度も食べに行ったものでした。
30を過ぎた頃、偶然そばを通ったので懐かしさもあってのれんをくぐりり、
老人になった店主に子どものころ来ていたと伝えると、
「連れておいでよ、きっと分かるから」の一言。

体が悪くなっていた父を連れていくことは叶いませんでしたが、
きっと連れていけば、30年以上経っていても、昔の常連の顔を見るや
いつもと同じ口調で迎える「いらっしゃい」と、昔の常連が答える
「久しぶり」の二言で30年という時間は瞬時に埋まり、
続く「何します?」「冷やにしようかな」なんて会話で再会の儀式は
終わり、あとはいつもの店の情景がおだやかに繰り広げられたような
気がします。
たとえ店主と客であろうが、客同士であろうが、昭和であっても、平成でも
令和でも、酒場というのは、こんな映画の1シーンのような会話が成立する
スペシャルな空間だと思うのです。

良い酒場にはある共通点があります。
それは自然とインスタレーションのように『群像劇』が展開されること。

【インスタレーション( Installation )』
インスタレーション・アートの略で、現代美術における表現手法の一つ。
展示空間を含めて全体を作品とし、見ている観客がその「場」で体験
できる。

例えばこの町の友人のバーが舞台だとすると、
マスターと奥さんはそのフィールドを用意しますが主役ではありません。
彼らも出演者であり、その劇をまわしていく司会者の役割も担っています。

OPENの札がドアに下がると、本日の出演者たちが三々五々集まります。
挨拶をする人、無視する人、スマホを見ながら飲む人、マスターや奥さんと話しをする人、客同士で盛り上がるグループ、仕事関係以外と話したかった人、家に帰る前にひと休憩の人、乾いた心を癒やして帰りたい人、誰に話しかけるでもなく一人話す人(このタイプは殆どつまみ出されます)、
時には酒を呑むということが目的でない人まで登場人物は様々。
そして大切なのは、全ての登場人物にとって酒が『入場券』ということ。

主役はその場その場で変わっていきます。
テーマも、内容も言語さえも自由です。
その話に乗るも、乗らないのも自由。あるタイミングが来たら主役は交代。
また別の人が主人公となりますが、主役になることなく終える人ももちろんいます。
そしてそれぞれが出番を終えたり時間が来ると、満足感や少しの後悔、
ほんのちょっとの明日への希望、キレイになったプライド、結構多めの
ため息などのお土産を手に下げて、フィールドから去っていく。
こんな群像劇が夜ごと繰り返されていくのです。

そして間違いないのは、こんな劇が行われる店は良い店です。

この町がボクにとってのサンクチュアリなのは、安心して飛び込める環境(お店)と受け入れてくれる出演者(友人たち)の優しさがあるからなのは間違いありません。

働く町、学ぶ町、生活する町、恋をする町、隠れる町、逃げる町、
町にはいろいろな役割があります。
この下町な隣町はボクにとって、友というものの大切さと有り難さを、
いつでも教えてくれる、そんな最高の町です。

いつまで通えるのか、また別のサンクチュアリを見つけるのか、
それは誰にも分かりません。
でもきっとこの町は永遠の町なのです。

町シリーズはもうちょっと続きます。

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