【Mr.Bike復刻】みやもと春九堂通信 vol.06

 春なんである。梅も桜も咲くが、ぶつぶつと独り言をいいながら歩く人や、電柱や郵便ポスト、自動販売機などに話しかける人が多くなったりもする季節だ。そして僕はそういう人達を見ては「ああ、春だなぁ」と思い、それと同時にある出来事を思い出す。


 それは以前ぼくが勤めていたデザイン会社での出来事。そのオフィスには何台かの最新型と、無理させると即停止するような旧式のパソコン、略して旧パソが一台あった。


 デザインの作業というのは結構マシンパワーを使う。バイクに喩えるならば、最新型は新車のスカイウエーブ。対して旧パソは中古のボーカルやミントといったところ。そしてデザイン作業は、体重120キロ超のぼくみたいなのがそれらに乗ると考えてもらいたい。「動かないことはないが、無理をさせると止まる」、まさにそのままのことが旧パソでは起こりうるのだ。


 普段は最新型の方で作業をするのだが、緊急時には人手を増やす都合上、旧パソを使うこともあった。そして〆切間際のその日、旧パソには「作業を進めてはデータを保存。無茶な作業はしない」という、使用上のコツを心得ていたベテランデザイナーの同僚Kが割り当てられた。


 午前中は何事もなかったのだが、午後に入り忙しくなると状況は変わった。ちまちまと進めていては間に合わない思ったのか、午前中をやりすごしたことで過信があったのか。Kが力作とも呼べる大きめのデザインを一気に進めていた時、事件は起こった。


「あッ!」というKの声に旧パソを覗き込むと、画面が停止していた。マウスをクリックしたり四方八方動かしたりするも全く変化はない。旧パソが機能停止したのだ。Kはそれまでのデータを保存していなかったので、それまでの作業は全て水の泡となった。


 パソコン使いは基本的に独り言が多い。ミスをして舌打ちをしたり、首を傾げながら自問自答を声に出したりする程度は日常茶飯事だ。時にはマシントラブルにイラつき、顔面パンチならぬ画面パンチでパソコンに体罰(?)を加えることもしばしばだ。


 勿論Kも、その例外ではない。さらにここ数日というもの、忙しさのあまりKはまともに睡眠をとっていないような状態だった。そんな極限状態でのトラブルだ。キレたKが暴れて旧パソをぶっ壊すんじゃないか——誰もがそう思い、フロアに緊張が走った。


 だが彼は椅子の背もたれに体重を預けると落ち着いた表情で缶コーヒーを飲み、深い溜め息をついただけだった。


 さすがベテラン、落ち着いたもんだ——そう思い、フロアの緊張が解けた瞬間、Kは勢いよく椅子から立ち上がった。その勢いで彼のガスチェアは、ウイリーしながら数メートルバックして音を立てて倒れる。同時に彼は物凄い勢いで旧パソを怒鳴りつけた。


「てめぇ何止まってんだよ! 全部無駄か! 全部無駄かよ! ちょっ……ちょっとお前、そこ座れッッ!!」


 設置されているパソコンに向かって座れもなにもあったものではないのだが“暗黙の了解”で誰もツッコまない。Kは旧パソにひとしきり悪口雑言を浴びせ続ると、ガスチェアを起こして、何事もなかったかのように作業を再開した。オフィスの奥では所長が目を丸くしたまま固まっていたが、彼を咎める者など一人もいなかった。痛いほどにKの気持ちが解るから——。


 その春の人事異動でKは栄転。同時に旧パソは廃棄され、最新型パソコンが数台導入された。思えば、これはKの置き土産だったのかもしれない。もう一つ置き土産があった。それは彼がキレた時のセリフだ。そのフレーズが魂に響いたらしく、その後もマシントラブルの時などに多用された。無論、独り言として。


 ぼくも例外ではなく、退職して数年が経った今も、このフレーズが口をついて出ることがある。そしてその度に、あの春の日を思い出すのだ。


 つい先日のこと、よりによって急いで出かけなければならない朝に、バッテリーがヘタれてエンジンがかからなくなった愛車を前に、ぼくはガックリと項垂れながら“そのセリフ”を独りごちた。


「ちょっ…ちょっとお前、そこ座れッ!!」


 春、なんである。

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