【Mr.Bike復刻】みやもと春九堂通信 vol.12
突然だが話は数年前に遡る。
まだぼくが自分のサイトを開設して2年目だか3年目だかの事だ。
インターネットはそれなりに普及していたが、パソコンという必須アイテムは、未だいわゆるマニアのモノであって「インターネットユーザー」と「オタク」は極めて近い相互関係にあった。
オタク達には夏と冬に「祭典」と呼ばれる行事がある。コミックマーケット、略して「コミケ」というのがそれだ。名前だけならば聞いたことがある人も多いだろう。コミケとは同人誌の即売会だったのだが、企業が出展したりと年を追う事にその規模を大きくしてゆき、今夏は三日間で48万人を動員した。まさに超大規模イベントなのだ。
数年前の夏、ぼくは自分のサイトで読者さん達に、とあるイベントを呼びかけた。
「せっかくコミケというイベントで全国から人間が集まるわけですからオフ会をやりましょう! それもコミケ会場の近くで! 目印にアフロのカツラをかぶっていきますので、皆さんもアフロを被って、ぼくを探して下さい!」
なんとも間抜けな提案だ。我がことながらなにを思ってそんなことをしでかしたのだろうか。
しかしこれに賛同してくれた人間が少なからずいた。会場を彷徨うアフロの集団。そして続々と待ち合わせ場所に集まってくるアフロ達。周囲はちょっとした騒ぎだ。今でも昔でもこれは迷惑行為だ。完全に若さ故の過ちだ。
そしてこのイベントは翌年も行われた。再びコミケ会場に集まるアフロ達。もじゃもじゃとした集団の人数は去年の三倍以上に膨れ上がった。
さらにその翌年は、浅草花やしき遊園地に数十人が集まり、和風観覧車のゴンドラに何人かづつに別れて乗り込み、上空でアフロとサングラスを着用。変身しておりてくるや、ゴンドラから次々ともじゃもじゃとしたアフロ達が吐き出されるという悪夢の様な光景を平和な遊園地に出現させ、パニックに陥れたりもした。
このイベントは「プロジェクトA(アフロ)」と呼ばれ、年を追う事に規模を大きくしてゆき、第10回まで行われた。そしてサイトの規模が大きくなり、イベントがなかなか開催出来なくなって、「過去の話」から小さな「伝説」化するにつれて、ぼくは「アフロの人」として微妙に有名人になってしまった。そして今日に至っていたりするのである。
実をいうと、ぼくの中でアフロという存在は既に終わっている。終わってはいるのだが、今もなお春九堂とアフロは切り離せない関係にある。
去年の事だ。こんなデブデブしく流行というモノには毛先ほどの興味もないぼくではあるが、クラブでDJをやる機会があった。クラブイベントというヤツであり、実はこれもインターネットのオフ会だったりする。オフ会の形も随分と変わったモノだと思う。
さて、気軽にDJのオファーを受けてしまったものの、ぼくはクラブなんてところに行ったことはなく、当然DJなんて初体験も初体験なので、半ば助けを乞うようにイベントの告知をした。
「緊張で失禁寸前のぼくを助けると思って来て下さい」
告知の甲斐があったのか、イベントの開始時刻には多くの人がフロアに集まっていた。しかし、いくつかのサイトによる合同開催イベントなので、どのサイト管理人を目当てに来ているのかはわからない。自分の出番が来るまで、なんとも不安な時間が続いた。
そしてぼくの出番が来る。意を決してステージに上がると、眼下には毛の塊があった。アフロを被った人達で溢れかえっていたのだ。少なくともフロアの最前列は、物凄い勢いでモジャモジャと縮れ返っていた。床上170cm前後の空間は、縮れ毛によって異様なまでに密度が濃くなっていた。
これでぼくは吹っ切れた。練ってきたセットリストに従ってプレイヤーを操り、次々と曲をかけてフロアを煽る。ライトに照らされたアフロ達は、曲にあわせて揺れ舞い踊り、会場は大いに沸いた。
そして今年もDJのオファーが舞い込んだ。ぼくはすぐさまスケジュールを調整し、迷わずOKの返事を出した。
フロアでアフロがもじゃもじゃしながら待っている——。
そんな最高にくだらなくて、日常では有り得ないような光景も、ネットの繋がりの向こうには広がっている。
これだからネットは楽しくてやめられないのだ。
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