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音風景に隠された果実の収穫からの考察

霊峰・比叡山の麓、京都洛北修学院。
数年前、私はこの地域に移り住んできた。

世の中の通常が変わってしまってからは、街中のオフィスにいる時間よりも自然豊かなこの地域で過ごす時間の方がすっかり長くなった。最近では週に二度三度、ゆるく思案を巡らせながら近所を歩き、点在する無人販売をハシゴして新鮮な地野菜を物色することが、生活の営みにおけるささやかな楽しみのひとつになりつつある。

そして、歩きながらずっと感じていたことがあったのだが、何やらこの地域は"音がよい"のである。
季節の移ろいとともに鳥や虫の鳴き声にも明確な変化があり、この日本に四季があるのだということをしみじみと実感することができる。

さて、今回はそんな地域を彩る"音風景"を題材に、ひとつ小話を興じてみたいと思う。

サウンドスケープの記憶

「サウンドスケープ」という言葉をご存知だろうか。

カナダの作曲家R・マリー・シェーファーにより提唱された概念であり、「音風景」「音景」などと訳されている。
色々な音を調査してその文化的背景や関係性に注目し、日常生活や環境の中で音が風景としてどのように関わっているのかを考えるためにつくられたというものだ。(※参考:Wikipedia日本サウンドスケープ協会

学生時代、氏の著書である「音さがしの本」という子供向けの教育本か何かを読んだことがある。
日常の音に耳を澄まし、その場所で鳴っている音にはどんな音があるのか?どの音が大きくて、ほかの音に隠れてしまっているとても小さな音は何か?心地よいと感じる音はどれか?何がその音を邪魔しているのか?などといったことを、身近な環境音に触れながら考え、聴く力をつけたり、感受性の豊かさを身につけていく。
多少ニュアンスが異なる部分はありそうだが、概ねそういった内容の書籍であったと記憶している。

平たく言えば、今回の小話はその界隈の内容である。


好きな道を聴く

普段から散歩に行くという方や徒歩通勤をしている方ならば共感頂けると思うが、人は一つや二つ、自分の"お気に入りルート"というものを持っているものだ。
街並みがきれいだからとか、最短距離で到着できるからとか、人それぞれにそのルートに対する思い入れがあると思うが、私の場合そのルートを気に入る条件のひとつとして、"耳に楽しい(心地よい)"というものがある。

五山送り火もひっそりと執り行われ、例年よりも夏の終わりが静かに感じる2020年盆明けの8月20日夕方頃。
私はiPhoneにイヤフォン型のバイノーラルマイク(※)を組み合わせ、お気に入りの散歩ルートを録音しながら歩いた。
俗にいう、“フィールド・レコーディング”というものだ。

この音は以下より視聴可能なので、時間と心に余裕があれば、まずは早送りせずにご視聴頂いたうえで先を読み進めて頂くことをお薦めしたい。(17分48秒)
あいにく、時間と心に持ち合わせがない状況であるならば、音を再生しながら先を読み進めるなどして頂いても構わないだろう。

※バイノーラルマイクとは、実際に鼓膜に届く状態で音を記録することができる機材である。録音した音をステレオ・ヘッドフォン等で聴くことで、まるでその場に居合わせたような臨場感を再現することができる。
(ラフに録音を行ったため、風の音などをかなり拾ってしまっていることを先に伝えておくが、その辺りは“味わい”として許容頂ければ幸いだ。)


音風景を読み解く

録音を聴いて頂いた方の多くにそう感じてもらえたと思うが、修学院という地域はそれなりに"田舎"なのだ。

では、なぜ"田舎"だと感じるのだろうか?
録音の中にどんな音が含まれているのか、ざっと書き出してみた。

・蝉の鳴き声(アブラゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシ)
・私の歩く音(アスファルト、砂利道)
・風の音
・蚊の羽音(冒頭)
・鳥の鳴き声(小鳥、カラス)
・乗り物とすれ違う音(車、バイク、自転車)
・水が流れる音(用水路、川)
・人の声(大人・子供)
・犬の鳴き声
・機械音(作業音?)
・虫の鳴き声(終盤)

街中でも蝉は鳴いているが、構成する音色の種類や総量、割合などに違いがある。アブラゼミによる蝉時雨は控えめに、ヒグラシやツクツクボウシが重ねられている辺りが少し贅沢だ。(ちなみに時期や場所によりミンミンゼミも鳴く)
「ピー」という鳥の鳴き声も街中で聴くそれとは異なり山が近そうな感があり、用水路を流れる水の音も周辺に田畑がある雰囲気を連想する。
また、人や車に出会う頻度が少なめなのも、街中ではない場所であることを裏付けている。

音源の前半、足音が途中から砂利道を歩く音に変わり、ツクツクボウシの鳴き声がたくさん聞こえてくる箇所がある。これは赤山禅院という寺院から比叡山の登山口に通じる林の中を歩く音だったりするのだが、そんな自然豊かな場所、車やバイクが走る道路、人や犬の声がする住宅街がほど近い位置関係にあるというのも、ディープ過ぎない田舎エリアの特徴として音に現れているように思う。

ここは、自然や偶然が織りなす音風景の中に、人が間借りするように関与するバランスでデザインされた、"耳に楽しい(心地よい)"地域なのだ。


雑感・考察など

最後に、この小さな活動を通じてぼんやり感じたこと、考察などを備忘録がてら記し、結びにしたいと思う。

まず、景色を意識的に切り取るだけで、何となく"作品感"が出てくるものだということを、今回改めて思った。

これは写真にも同様のことが言えると思うが、ある音の風景を切り取り、音源として繰り返し再生できる状態にすることで、ひとつの"音楽的鑑賞物"になるのである。教科書的にいくと、音楽の三大要素はメロディ、ハーモニー、リズムであると言われているが、それらを広義に捉えると録音物の中にはその構成要素の全てが含まれている。さらに、今回はSoundCloudに音源をアップし、イメージ画像も設定しているため、なおさら、"パッケージング"された感が強まるのだろう。

また、不思議なものでフィールド・レコーディングの最中、比較的静かな場所を通過した時などは、「もうちょっと盛り上がってくれないものか?」という対自然・偶然への期待を抱いたのである。すなわち、第三者に視聴される工程が後に控えていることをどこかで意識しながら録音をしていたのではないかと後から思うのだが、そのことから、"録る"ということ自体が既にある種のパッケージング行為に関与し始めているフェーズなのだと、しみじみと実感した。

テーマの本筋的内容ではないが、今回は"パッケージングする"ということについて、何やら考えを深める貴重な機会となったのだ。

そして、もう一つ考えたことがある。それは、フィールド・レコーディングにより切り取られた音風景のデータは、"地域らしさ"を知り、そのエッセンスを纏った何かをデザインしようとする際に、基礎データのひとつとして活用することが出来るのではないか?ということだ。

例えば、その地域のテーマ曲を作る、ロゴをデザインする、はたまた、観光を盛り上げるための企画を検討するなどといったプロジェクトがあった際に、アイデアの裏付け、拠り所として、フィールド・レコーディングの分析で得た情報を何らかのかたちで活用するといったことである。

世の中では、採取した音をサンプラーに取り込み、そのままもしくは、加工して音楽の中で楽器音として活用するなどの"直接的な利用"は多くみられるが、こうした"間接的な利用"ということも、もしかすると考えられるのかもしれない。(あるいは、既にそのような取り組みは存在しているのかもしれないが。)

機会があれば、実プロジェクトなどで試行していけたら面白そうだなどと考えた。


ところで、「気の持ちよう」という言葉がある。
心の持ち方次第で、同じ事が楽しくも苦しくもなる、というものだ。

今回の活動は、当たり前のように存在している身近なものを見る解像度を意識的に上げることで、隠されていたアナザー・ワールドが浮かび上がってくるようなイメージを、自身の中で捉え直す感覚で行ってみた。

少し違うが、どこか近い意味のようにも感じる。


そんなことを考えると、自身を取り巻く生活環境が、何だか宝の山のように思えてこないだろうか。



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