垂直少年と水平少女の変奏曲〜加納円の大いなるお節介と後宮の魔女達~
第8話 少女ひとり 2
後日、気持ちが落ち着いたところで勇気を振り絞ってマドカに接触しようとした。
だけど、ものの見事に避けられた。
あの傍若無人で人を人とも思わないノンシャランとしたマドカが、怯えたような目をしてあたしを拒絶した。
何か絶対に見失ってはならない大切なモティーフが、スッと色彩と輪郭を失う。
そんな気がした。
あたしにとって大切なモティーフが、確かにそこにあるのは分かっている。
分かっているのに色も形も分からなくなって。それが何であったのかも分からなくなって。
あたしは途方に暮れた。
卑怯なあたしはユキに助けを求めようとした。
けれど、彼女も結局はあたしと同じ。
あたしとユキは互いの視線を手繰り、心を覗き込もうとしても果たせない。
マドカがいなければあの言葉を超える心の交流はなし得ない。
あたしたちは各々の目をそれぞれ違う方向に背けるしかない。
その時の胸蓋がれる想いはユキもあたしと一緒だったろう。
それからのあたしはマドカと出逢う前のあたしに戻った。
誰に向けるわけでも無い微笑を顔に貼り付けて家と学校を行き来した。
女子校と言う清潔で均質な、キャンディボックスの様な局地を飛び出して得た自由と孤独が虚しい。
生物室にはどうしても足が向かなかった。
その一点を除けば、全てが出会い頭の事故前に戻ったかのよう・・・。
いいえ違う。
クラスメートとは以前に増して笑ったりふざけたりするようになった。
生物室に行かなくなった分、放課後は気の置けない友人達とすごす時間も増えた。
マドカと色々あったせいなのかしら。
友人達はあたしが別人のように変わったと言う。
曰く、笑顔が多くなった。
曰く、隔たりが消えてとっつきやすくなった。
そう言えば高校入学以来親しくしてもらっていた友人達に、今まで気の置けないなどという気持ちを抱いたことなんてなかった。
そのことにあらためて気が付いて、あたしは少なからずショックを受けた。
マドカ以前のあたしはいったい何様のつもりだったのだろう。
友人達は、あたしが放課後生物室に行かなくなったことについて何も聞こうとしない。
ちょっとした有名人になってしまっていたマドカについて、あれこれと尋ねることも無い。
余計な詮索はしないし、あたしが自分から話さない以上あたしの苦悩はあたしだけのものにしておいてくれる。
あたしにはもったいない程に優しく思いやりのある友人達。
何事も無かった様に明るく振る舞うあたし。
付き合いが良くなって友人達と過ごす時間が長くなったあたし。
マドカがごっそり抜け落ちたあたし。
その実あたしが空蝉の様に虚ろであることは、友人達にはバレバレだろう。
彼女達の目にあたしは、鬱陶しいほど痛々しく、苦笑する程憐れっぽく映っているに違いない。
そっとしておいてくれる彼女達には、唯々感謝の気持ちしかない。
「じゃーねー。
またあした」
駅前で小さく手を振りながら大きな声で別れを告げる友人に笑顔を返して見送る。
色の薄いショートヘアーがふんわりとして、笑う時少し俯き加減になる娘で、一年の時から同じクラスだ。
あたしはついこの間まで、喫茶店にすら入ったことがなかった。
そのあたしが、学校帰りに友人と生クリームのたっぷりかかったドーナツを食べに寄り道をする。
こんな不良みたいな時間の使い方を教えてくれたのはマドカだった。
ロージナで飲むココアの甘さは格別だ。
分別のある大人が決めたルールに従い囲いの外での自由を諦める。
そのことを代償にして安心と安全を約束されていたあたしは、軽やかで楽しい不安へと自分を解き放った。
ロージナで知ったココアの甘さは、マドカがくれたそんな新しいあたしの象徴だ。
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