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日本が無視したトランスジェンダー・パンクスの世界 -Against Me!/Transgender Dysphoria Blues-

 『Rolling Stone Japan vol.23』ガールグループ特集に、「ガールグループという呼称が消え去る明日のために」と題されたコラムを寄稿した。トランスジェンダーの生存と尊厳をめぐる諸問題を考えつつ、「ガール/ボーイ」の線引きについて疑を呈した文章だ。その中に、言及されないトランスジェンダーの表現の例として、Against Me!というパンクバンドのアルバム『Transgender Dysphoria Blues』(2014年)の紹介をした。米国では当時の本家Rolling Stone紙のベストアルバムの一つに選ばれたりしているのだが、日本では本作の素晴らしさに比べて言及されている量があまりに乏しい。なのでRSJの原稿とは別に、アルバム自体の魅力について書くことにした。

 Against Me!は2002年にデビューしたフロリダ出身のパンクバンドである。そのボーカリストは2012年に自身がトランスジェンダーであることを公表し、以前の名前からLaura Jane Graceという新たな名に改めた。本作はトランスジェンダー公表後最初の作品であり、ほとんど全ての曲において、トランスであることがリリックで直接的に言及されている。そのストレートな言葉を放つボーカリゼーションは、ひたすら繊細で力強い。


 なによりもまず、アルバム一曲目を飾る表題曲『Transgender Dysphoria Blues』に耳を澄ませてほしい。マーチングバンドのようにスネアを連打していく軽快なドラミングが始まり、その上に、歪んだギターでEメジャーのシンプル極まりないオープンコードがかき鳴らされる。ドラムとギターの組み合わせは、ロカビリーをダークに響かせるジャンルとして知られる80年代のサイコビリーのバンド、たとえばThe MeteorsやDamented Are Goのようなサウンドのようだ。あるいは初期のThe Clashのような、うるさく直進的だがカントリーの響きも併せ持ったパンクサウンドも想起させる。そこに、1990年代以降のメロコア/エモコア/ポップパンクなどのジャンルに特徴的な、キャッチーに切なげなメロディが
乗っかる。サイコビリーににしろメロコアにしろ、今名前を出したジャンルのパフォーマーのほとんどは男性であり、良きにせよ悪しきにせよ「男臭い」イメージを与えやすい。Against Me!の多くの曲を聴いてみても、硬派で男性的な印象を浮かべる。





 しかしながら、『Transgender Dysphoria Blues』はタイトルからも明らかな通りトランスジェンダーの身体違和についての曲で、男性性をアイデンティティにできないことを歌っている。Laura Jane Graceのタフな喉は、高音のメロディを堂々と激しく歌いきっている。その歌唱は勇壮かつ美しいのだが、リリックは徹頭徹尾惨めな体験を描写している。

Your tells are so obvious,
shoulders too broad for a girl.
It keeps you reminded,
helps you remember where you come from.

君の仕草を見れば明らかだよ、女の子にしては肩幅が広すぎる/そのことが君がどこからやってきたかを思い出させる

You want them to see you
like they see every other girl.
They just see a faggot.
They'll hold their breath not to catch the sick.

君は他の女の子と同じように男の子に扱ってほしい/彼らがみつけるのはオカマ/彼らは息を止める、病気が移らないように

 自身の身体違和や他者の差別的態度に痛めつけられる経験が「you」という二人称の使用によって距離を持って描かれている。シンプルかつ楽天的な楽曲の中で、自分自身の痛みと対話している様が浮かび上がるのだ。
 
 コーラスで、Graceはそうした無理解の痛みを荒波にたとえ歌っている。

Rough surf on the coast
I wish I could have spent the whole day alone
 
海岸に打ち付ける荒波/一日中ひとりで過ごせていたら

 激しい波が押し寄せる社会生活に疲れ、すべての人間関係を拒絶してしまいたいという感情を表した言葉の連なり。一人称は「I」になり、より直接的な感情表現として歌は感知される。しかし、このフレーズの繰り返しは3周目に微妙に変化する。

Rough surf on the coast
I wish I could have spent the whole day alone
with you
 
海岸に打ち付ける荒波/一日中過ごせたていたら/
君とふたりで

 「With you」の二語が加わるだけで、拒絶の歌は強い希求の歌に反転する。拒絶と希求があまりに近すぎる感情であることを、Laura Jane Graceはわずかな言葉の変化で表しているのだ。この歌の機微に含まれる、軋轢と孤立を同時に怖れる感情の揺れ方に、聴く者の感覚は共振する。
 この後も、「君の気取った脚の間におまんこはない、揺らせる尻もない」といった即物的な描写が登場するし、不全感の表明は続く2曲目「True Trans Soul Rebel」の「完璧に着飾って、どこにも行けない/街をひとりぼっちで歩いてる」という冒頭のフレーズと呼応する。あるいは同曲の「君はまだ生まれていないし、すでに死んでいる」「君は銃を横においてベッドで眠る」という「dead」と「bed」で脚韻を踏んだフレーズにも繋がる。自分自身を表せる場所がどこにもなく、命の安全は保証されず、生きたまま死んでいる意識に苛まれている。地獄のような時間の持続。それは、「義務のように話さなくてはいけないなんてもう沢山だ」「弱くて守られてないなんてもう感じたくない」と倦怠感を伴って歌うラストソング「Black Me Out」まで、本作において通底している感覚だ。


  同時に、このアルバムでは自分を同じ属性の人間をあざ笑った経験も歌われる。「男達と酒を飲んで、私はオカマ達を笑ってる/他の男の子と同じように、手の上でちんちんを揺らして」と、やけくそなテンションのパンクナンバー「Drinking With the Jocks」で、Graceは酔っ払いのように叫ぶ。「ワンオブゼムになりたかった、でも君と僕はいつだって違う」。孤立を怖れて同胞を裏切る経験が、孤立感と自己嫌悪を深めていく。The Smithsのアコースティックナンバーを想起させる"Two Coffins"の跳ねる3拍子に乗せて、Graceは二つの棺で笑顔の素敵な君と眠る夢想を囁く。死の妄想の中にしか、希望がないかのように。

 だから、友人の死について歌った"Dead Friend"は本作において表題曲と同じくらい重要な楽曲だ。
(もう少し続くけど張り切りすぎたのでこの先は有料でお願いします!)

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