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何をするかよりも、何をしないか


自分に求められていないことを、
さも求められているかのように行う怠慢から私を解放してください。
   ―――トーマス・マートンの祈り


▼▼▼9月は忙しい▼▼▼


9月はやたらと忙しい。
予定が立て込んでいる。
毎週のように別の教会でメッセージする、
っていうのはこの数年間なかったが、
9月から10月にかけて、
けっこうそういう感じの予定になっている。
加えて9月19~22日の日本伝道会議に出席するため、
岐阜に行ったりもする。
分科会を担当するので、諸々の準備もある。
FVIの会計年度は8月締めなので、
9月には監査とか総会の準備とか、
そういった類いもある。
予定というのは立て込むときには立て込むのだ。

体調だけには気をつけねばならない。


▼▼▼時間を活用するためのライフハック▼▼▼

僕は昔から「時間を有効活用する」ことに対して、
けっこう熱心に取り組んできた。
特に大学生から20代にかけては一生懸命で、
時間管理についての本をけっこう読んだ。

最初は野口悠紀雄さんという人の手帳術から始まった。
8週間を俯瞰できるように蛇腹につなげる、
「野口手帳」っていうのがあって、
大学生のときはそれを自作していたし、
スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』を呼んでからは、
「第二領域」の活動を増やすために腐心し、
そのために表を作ったり定期的に自分の手帳と突き合わせたりした。

30代後半で鬱になり、
鬱というトンネルを抜けたら40歳が目前になっていた。
それからすぐに娘が生まれ、
コロナの2020年に次女が生まれた。

トンネルの前後でどうやら僕の人生観は変わったと見られ、
もう「時間を活用する」とかあまり考えなくなった。
「大事なのは時間ではなくエネルギー」
ということがよく分かったからだ。
時間がいくらあっても、
お金がいくらあっても、
能力がいくらあっても、
人脈や機会や立場や資格がいくらあっても、
エネルギーがなければ何もできないのだ。

鬱で2年間立ち上がることもできない期間を過ごし、
僕はそれがよーく分かった。
エネルギーがボトルネックなのだ。

良く喩えに使われる、
「ビール樽に空いた穴」でいえば、
樽の一番低い場所に空いた穴は「エネルギー」だ。
時間や能力やお金や立場や資格というのは、
わりと上の方に空いた穴だ。
「エネルギー」という土台の上に、
すべては築かれる。

時間を増やすことはできないが、
エネルギーは増やすことができる。

それで僕は筋トレを始めた。
そもそも虚弱体質で体力がない僕のエネルギーは、
最初から普通の人よりかなり少ないので、
エネルギーが増えた状態で
やっと普通の人と同等ぐらいだ。
それでも、5年間筋トレをしてエネルギーが増えたし、
それが僕の出来ることを増やしてくれている、
という実感がある。
「あぁ、普通の人というのは、
 こんなにもエネルギーがあったのか」

筋トレをしていても、
今でも夏の暑さで自律神経が壊れて、
時々鬱が再発する。

するとビールの樽の底にデカい穴があき、
いや、ビール樽の底が抜け、
すべてのビールは流れ出してしまう。
そのときに再認識する。
やはり、エネルギーがすべてだ、と。


▼▼▼何をしないか▼▼▼


エネルギーがすべてなのは分かった。
でも、20代のときのライフハックはどこにいったのか。
野口手帳は無駄だったのか?
スティブン・コヴィーは?

あれは無駄だったのか。

分からない。
今の僕は野口手帳を使っておらず、
そもそも紙の手帳も使わなくなった。
Googleカレンダーにすべてを入力していて、
iPad miniが手帳の代わりになっている。

ある日Google社が「カレンダー機能やめます」
といったら、僕は捨て置かれたアバターのように、
すべての動きをやめてドックに戻るのかもしれない。
「人生のすべての予定がなくなりました。
 みなさん、さようなら」という書き置きを残して。

Googleカレンダーになっても、
「予定を俯瞰する」という野口悠紀雄先生の思想や、
「大切なことを大切にする」という、
スティーブン・コヴィーの原則は、
僕の中に息づいていると思うし、
何より、『気力より体力』の吉越浩一郎さんの、
「エネルギーがすべて」という哲学は、
僕のライフハックの根幹をなすパーツになった。

でも、もうひとつある。

これは何かの本を読んだとか、
誰かに教えてもらったとかではないのだけれど、
僕がこの数年、自分の中で、
とても大切にしているヒューリスティックだ。

ちなみにヒューリスティックというのは、
「格言/経験則」というほどの意味で、
他にあまりバチンとハマる日本語がないので、
ヒューリスティックというカタカナ英語を使った。

KPIは「重要な成果指標」と、
ダイバーシティは「多様性」と、
イニシアチブは「主導権」と、
フィックスは「予定を確定する」と、
アジェンダは「予定」と、
アサインは「割り当てる」といえば良いのに、
と僕は普段から思っている。
小池百合子嫌い(「僕らはアウフヘーベンを忘れない!」)、
かつカタカナ英語で煙に巻くタイプのビジネスマッチョ思想が嫌いな僕が、
カタカナ英語を使うのは矛盾していると思われるかもしれないが、
ヒューリスティックは今のところヒューリスティックとしか言えないのだ。
バチンとハマる日本語を知っている人がいたら教えてくれ。

話しを戻す。

僕がこの数年で大切にしているヒューリスティックはこれだ。

「人生で本当に本質的なのは、
 何をするかではなく、何をしないかである」

「何をするか」を決定するより、
「何をしないか」を決定することのほうが、
よほど本質的だと思うのだ。


▼▼▼人生で、何をやめるか▼▼▼


1年に一度ぐらい、
僕は自分の人生の棚卸しをする時間を持つ。
「今年はどうだったか」
「来年はどうしようか」
「この先10年で何が起こりうるか」
みたいなことを考える。
祈りながら考える。

そのときにますます、
「何をするか」ではなく、
「何をしないか」
「何をやめるか」を、
自分に問うようになってきているのだ。

そちらのほうが本質的だから。

逆に「何をするか」に関しては、
状況依存性/文脈依存性が高すぎるので、
計画したとしてもそれが意味をなさないことが多い。
もちろん「何をするか」についても考える。
だからこのメルマガだってYouTubeだって、
書籍の翻訳だってしたし、
小説だって書き始めた。
今年北海道に行ったのも、計画したからだ。

でも、「何をするか」を決めるよりも、
「何をしないか」「何をやめるか」を決めるほうが、
やはり大切だと心では思っている。
それについて僕は毎年、じっくり考える。
「本当にこれは続ける必要があるか」
「人生で、何かやめられるものはないか」


▼▼▼コンサルティングとエネルギーの振り向け▼▼▼


2020年に陣内義塾という個人事業を始めた。
次女のおむつ代を稼ぐための副業として。
売り上げの二割はFVIに寄付している。

当時、「教会 コンサルティング」で検索しても、
Googleで一件もヒットしなかったので、
「日本初の教会コンサルタント」を名乗った。

ちなみに米国では教会もコンサルタントを雇ったり、
依頼したりするのはわりと普通のことで、
サドルバック教会のリック・ウォレン牧師は、
経営の神様、ピーター・ドラッカーのコンサルを受けていた。
ドラッカーも自著に書いているが、
これは彼なりの社会貢献事業としてボランティアでやっていたらしい。

とにかく日本で同じことをしている人がいなかったし、
「きっと日本の教会はお客さんにならないと思うよ。
 日本の教会は閉鎖的で外部を入れたがらないだろうから」
と大先輩の牧師に言われたとき、
僕は逆に「チャンスだ」と思った。

「大先輩が大反対すること」は、
ホームランである可能性が高い。
そのうえ、道義的にも法律的にも間違っていないし、
「必要」は絶対にあるわけだ。
必要があるけど、前例がない。
それだけの理由が失敗の理由ならば、
文化が変われば大成功するということだ。

これはやらない理由はない。
そもそも初期費用はかからないのだから、
リスクはないわけだし。

「失敗したね」と人から言われることがリスクだと言う人もいるが、
知ったことか。
「失敗したね」は僕にとって名誉ではあるが恥ではない。
失敗したねを恐れることの方が100万倍恥ずかしい生き方だ。
このように考える人は日本では少ないが。

とにかく僕は起業をして、
それで3年半「教会コンサルタント」を名乗り、
ビジネスをしてきた。
驚くべきことに、ずっとお客さんが絶えない。
微増することはあっても、減ることがない。
もちろん、何十、何百もの教会が殺到する、
とかそういう状況ではないが、
僕が副業としてちょうどよく働くことができ、
次女のおむつ代を稼ぐのに十分な報酬を受け、
しかもお客さんが「価値があった、来年も続けていこう」
と思うぐらいには「価値」を提供できている。

大成功じゃないか。

やる前から勝算はあった。
僕ほど「教会がキリストに似せられる」ということにおいて、
様々な教会のお手伝いをし、
観察してきた同世代はいない。
神田先生にはまったく適わないが、
同世代では僕ほどいろんな教派や文脈の教会を、
内部から見てきた人はあまりいない。

そして、これは自分で言うのは口幅ったいのだが、
僕ほど勉強してきた人もあまりいない。
森羅万象について勉強してきた。
「陣内さん、この分野で何かあります?」
といわれて、引き出しに書籍複数冊分の知識が入っていない、
そういう分野が皆無になってきた。

だから「これはお役に立てるかもしれない」と思って、
僕は教会コンサルタントを始めた。
同時にクリスチャン起業家のコンサルティングもしているし、
個人のチュータリングもしている。
余人をもって代えがたい貢献をして、
それに対する対価をいただく。
こんなまっとうな働き方はない。
とても幸せだ。
起業して本当によかった。

さて。

話しを戻す。

3年半教会コンサルティングをやってきて、
いや、15年間日本の教会に仕えてきて、
僕はひとつの大切な法則を見つけた。
ある教会の特徴を知りたければ、
「その教会が何をしているか」ではなく、
「その教会が何をしていないか」を見るほうが、
正確にその教会なり牧師なり役員会なりの、
思想・哲学を言い当てることができる、ということだ。

キリスト教の研修や勉強会や「聖会」の、
99%は「足し算」である。
この弟子訓練コースを、
このイベントを、
この学びの方式を、
この伝道方法を、始めましょう。
ほとんどがこういった類いだ。

「何かをやめましょう」
というテーマはそもそも、
その定義から研修会になり得ないのだ。
それでは「ビジネス」が回らない。

でもね。

これはヒミツだから、
ここだけで書く。

ヒミツだよ。

多くの人が思ってるのとは逆で、
本当に大切なことは、
「何をするか」ではなく、
「何をしないか」なのだ。
多分、日本伝道会議でも教えてくれない。

ある教会が地域に対して様々な活動をしていて
全国的に注目されているとする。
そうすると多くの教会がそれを真似しようとするのだが、
実はたとえば5年間、時間を巻き戻すと本当のことが分かる。
その教会は「地域への奉仕」という価値を実現するために、
それ以外の何かを「やめている」のだ。

豊田信行先生が『舟の右側』で同じ趣旨のことを書いていた。

ある教会は小グループの交わりが充実している。
他の教会はそれを真似ようとしている。
しかしその教会はもっと重要なことを、
小グループが始まる数年前にやっている。
それは「イベント主導の教会形成」をやめているのだ。

始めたことは注目されるが、
「何をやめたか」は注目されない。
そして人は何かを手放すことが苦手だ。

「損失回避バイアス」というのだけど、
人は一万円をもらう喜びよりも、
一万円を失う痛みを回避する方を、
何倍も重要だと思う脳のバイアスを持っている。
人は何かを手放すことが本当に苦手なのだ。

だから、「何をしないか」を決めるのが人は苦手だ。
人が集まるとさらに苦手になる。
だから役員会は「何をやめるか」を決められないのだ。

でもおそらく、
「衰退途上国」と言われるこれからの日本で、
教会にしても企業にしても個人にしても、
「何をやめるか」を勇気をもって決断できたものが、
生き残るのではないかと僕は思う。
なぜならそうすることで、
僕たちは「本当に必要な新しいこと」に、
注力できるのだから。

そう。

エネルギーは一定だから。
そのリソースを「惰性」に使うのは、
本当に勿体ないのだ。

ヒミツだよ。

終わり。


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参考文献および資料
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・『気力より体力』吉越浩一郎
・『7つの習慣』スティーブン・コヴィー
・『第8の習慣』スティーブン・コヴィー
・『舟の右側』vol.109 連載『若い牧者への手紙』


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