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他者の他者性を言祝ぐ




・エンパシー(empathy)…他者の感情や経験などを理解する能力
・シンパシー(sympathy)…誰かを可愛そうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと。
――――オックスフォード英英辞典(ブレイディみかこ 訳)



▼▼▼クリスチャン的違和感▼▼▼


僕はクリスチャン(キリスト教徒)なわけだけど、
この10年ぐらいだろうか。
もっと昔からだろうか。
「あの人(有名人)もクリスチャンなんだって」
という物言いに、ずっと違和感を覚え続けている。

基本的にそう教えてくれる人や、
そういった情報をシェアしてくれる人は、
何かしら肯定的な反応を期待しているし、
こちらがそういう反応することを疑ってすらいないのだけど、
僕はどうも、教えてくれた人が期待したような顔になれない。
期待されている反応を返せない。
もちろん、敢えて嫌な顔をして場を白けさせる、
というのが駄目だということが分かるぐらいには、
大人になっているつもりではあるから、
適当にお茶を濁すことになるのだけど、
なんであの手の話題に「全ノリ」できないのか、
いつも後味の悪いモヤモヤを抱えることになる。

こういったモヤモヤは大切にしているので、
それって何なんだろうな、ということを今日は考えたい。

「あの人(有名人)もクリスチャンなんだって」
に僕が全ノリできない理由を考えていくと、
「職場であの人って良い人だなーと思ってたら、
 なんと!
 クリスチャンだったんですよー!」
これにも「全ノリ」できない理由とだいたい同じだ、
ということに思い至った。

敢えて露悪的な表現をすると、
「だから何? So What?」と思ってしまうのだ。
もちろん、決して口には出さないけれど。
そういうのは「言っちゃいけない」、
ということを僕は40年かけて学んだのだ。

「えー!
 すごいじゃないですかー!!!」
と言うに決まってる。
眼の奥をのぞき込まれたら、
死んだ魚の目のように濁っているけど、
人はたいてい、僕の眼の奥なんて見てない。
それも40年かけて学んだのだ。


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