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よにでし読書会 1月26日開催 解説②

 今月の書籍:『40代からシフトする働き方の極意』 
 開催日:2024年1月26日金曜日 20:00~21:30




●40代でシフトする働き方の極意

著者:佐藤優
出版年:2017年
出版社:青春新書インテリジェンス

http://amzn.asia/cDq6aGg


▼▼▼解説 第2回▼▼▼


、、、1月26日の読書会で扱う、
佐藤優さんの『40代でシフトする働き方の極意』、
解説第2回になります。
早速行きましょう。

▼▼▼実は集団主義の今の20代と、実は個人主義の今の40代▼▼▼


→位置No.787 
〈今の40代は右肩下がりの時代を生き抜く冷めた視点を持っています。私の感覚としては、この世代は個人主義的な傾向が強い。部下の教育に対してもバブル以前の上司のように、熱くのめり込みません。
 (中略)
 反面、今の20代、30代は全体の空気を敏感に読み取って、組織や集団に順応するのが得意です。しかも40代に比べると車内の人間関係を求めたり、心のつながりなどを重視したりする傾向があるようです。上司の評価を過敏なまでに気にする若者が多いのも、その傾向の一つとみることもできるでしょう。
 40代と今の20代、30代は意外に大きなジェネレーションギャップがあるというのが私の見立てです。個人主義的でクールな40代と、場の空気を重んじる20代、30代。そんな人たちが一つのチームでいい関係を築くのは、それほど簡単ではないかも知れません。〉
 

、、、本書の出版年は2017年で今から7年前ですので、
佐藤さんがここで40代と言っているのは現在のアファフィフ、
ここで20代、30代と言っているのは、
現在の20代後半からアラフォー、
というぐらいには時代は動いているのですが、
書いていることの意味は今も有効なように思われます。

若者は個人主義的で、
おじさん、おばさんは集団主義的、
というステレオタイプはいつの時代にもある「思い込み」なのですが、
実は氷河期世代は個人主義的で、
ゆとり世代以降およびデジタルネイティブのほうがむしろ、
空気を過剰に読んだり、集団主義的な振る舞いをする、
というのは私の皮膚感覚と合っています。

そこに「ジェネレーションギャップ」がある。

私は1977年生まれで氷河期世代ど真ん中世代ですが、
同世代のヒーローでありアイコンは1976年生まれの中田英寿です。
彼は何にもなびかず徒党も組まぬ「孤高の人」。
チーム内で仲の良さとか必要ないから。
仕事が大変?
大変かどうかは知らない。
頑張った?
頑張ったかどうかは知らない。
やれば良い。
結果を出せば良い。
傷のなめ合いとかいいから、それぞれ自立しようぜ。
丘の上に立つインパラのような、
中田英寿の超然とした姿を私たちは最も格好良いと思った。

ここで佐藤さんが言う20代、30代の世代の、
サッカー選手のアイコンは長谷部選手や長友選手。
彼らは「コミュ力モンスター」です。
むしろチームファーストで、
個の力(by本田圭佑)を重視しながらも、
協調と連帯を何よりも大切にする。

中田が牽引していたころの日本代表と、
長谷部らの流れを汲む現在の日本代表の雰囲気は明らかに違う。
前者はヒリヒリする緊張感があり、
後者には和やかな暖かさがある。
「孤高」の代名詞・イチローのいた野球日本代表と、
大谷やダルビッシュが牽引したそれも、
同じような違いがある。

野球もサッカーも後者の方が「結果を出している」のは事実で、
じゃあ長谷部世代以下の考え方のほうが正しいのか。
……というとそうではないと思う。
中田英寿のような圧倒的なカリスマが、
そもそも日本サッカーのレベルを00年代に「底上げ」したから今がある、
というのも事実なわけで。

最適解はイチロー/中田英寿世代と今の20代、30代が、
がっちりかみ合うチームを作ることでしょう。
こんな奇跡は起こらないと思うかもしれませんが、
ワールドカップカタール大会優勝のアルゼンチンがまさにそれだった。

メッシおよびディマリアと、
その他の選手では10歳以上の差があり、
若手にとってメッシとは、
「子どものころテレビで見ていたヒーロー」だった。
世代が違うプレイヤーががっちりかみ合ったアルゼンチンが優勝した、
というのは感動的でした。

この「ジェネレーションギャップ超え」という多様性が、
今後の世界で勝つ国、チーム、会社、教会などの、
鍵になるのかもしれません。


▼▼▼親友が数人いれば、人生のたいていの逆境は乗り越えられる▼▼▼


→位置No.834 
〈社会人になってから拡がった人脈と、まったく意味合いが異なるのが大学時代の友人たちです。大学時代は利害関係がほとんどありません。私という人間の本質を知り、信頼してくれている。国家権力と対峙していようが、マスコミが何を伝えようが、私に対する評価が変わらないのです。
 私の場合、神学部という特殊な場で学んだということもあるでしょう。神学は神と人間についての学問ですから、みんなある意味で人間についての専門家でもある。神学を学んだ人は、自分の洞察や判断力に自信があるのです。
 特に感謝しているのは滝田敏幸君です。現在千葉県の県議会議員である彼は、当時印西市の市議会議員でした。しかも自民党。
 「選挙があるんだから、関わらなくて良いよ」という私の言葉に、「オレの後援会は盤石だ」「仮にそれで落ちたとしたら、最初からオレがその程度の人間って事だ」とまで言ってくれました。人生で最大のピンチの時に、これほど心強い言葉と覚悟を投げかけてくれる存在がいる。どれだけ救いとなり、有り難かったか分かりません。
 本当にかけがえのない大切なつながりは数えるほどで十分。利害を超えた信頼関係、親友と呼べる間柄は、せいぜい5人が限度なのです。その見極めをまずしっかりすること。
 その強固な関係があれば、たいていの人生の逆境に向かっていけます。その核がなく、ただ異業種交流会では200人、300人と名詞を交換しても、あなたが本当にピンチの時に助けてくれる人はいないと考えた方が良い。〉


、、、外交官だった佐藤さんは、
2002年に政治がらみの闘争に巻き込まれ、
東京地検特捜部に起訴され、
512日間小菅に拘留されるという憂き目に遭います。

後にラジオ番組で、
あの起訴・逮捕と拘留によって、
「良かった」ことって何かありますか?
と聞かれた際、
「本当の友達が誰か分かったこと」と即答しています。

外交官の時代にはちやほやされることもあり、
常時500人ぐらいの人とコンタクトがあり、
向こうからぐいぐい接待してくれる人もあまたいた。
競うようにして佐藤さんに名刺を渡してくる人がいた。
しかし、逮捕・起訴されると、
蜂の子を散らすようにその人々は消えた。

しかし、逆にその事件の後で、
むしろ近づいてきた人がいた。
その人々が支援会をつくり、
佐藤さんを支えてくれた。
その数は少数なのだけど、
その少数の友人たちがいれば、
人生を生き抜いていけると知ったこと。
これが逮捕・起訴されて良かったことだと。

ここで紹介されている同志社大学神学部の同窓生の滝田さんも、
その中の一人だったということです。

あなたにはそんな友人が何人いるでしょうか?
案外、そういった友人は社会人になってからではできにくい、
と佐藤さんは言います。
利害関係が出てくるし、
お互いの「立場」を背負って出会うことが増えるから。

本当の友人というのは「立場」を外したところでできるものだから。
その点、私はクリスチャンで本当に良かったと思います。
クリスチャンにとって教会関係の人間関係というのは、
多くの場合「立場」とは関係のない、
仕事でも家庭でもない「第三の文脈」で起きますから。


▼▼▼125人がリアルな人間関係を保てる限度▼▼▼


→位置No.872 
〈行動生態学者でサル学の権威でもある長谷川眞理子さんの話では、ひとりの人間が何人の人間とつきあえるか研究されたことがあるそうです。その結果、相手を理解してつきあうことができる最大人数はだいたい150人。それ以上になると、浅いつきあいになる。
 ですから5人の親友がいたとして、それぞれに5人ずつその親友がいると25人。その25人それぞれが親友を5人ずつ紹介してつながると125人になります。だいたいのイメージとして、これくらいのつながりがリアルな人間関係での限界になると考えて良い。〉


、、、「ダンバー数」というのがあります。
進化生物学者のロビン・ダンバーが提唱した、
「人間が顔と名前を覚えられ、
 リアルな人間関係を保てる限界は150人」というやつです。
『人はなぜ友達を作るのか』という名著があります。
(いつかPodcastで紹介したいんだよな)

長谷川さんのここでの論も、
ダンバーの議論を踏まえています。
組織論を考える時、
「サイズ」というのは非常に重要です。
10人なのか、100人なのか、
200人なのか、1000人なのかで、
その組織運営の方法論はまったく別物になる。

100人と200人の間には「大きな溝」があるとされ、
その間に、150人の「ダンバー数」があるからです。

多くの創業一族によるオーナー企業が、
150人を超えると傾いてくる現象、
というのも指摘されることがありますが、
それも「ダンバー数問題」があるからでしょう。
教会も同じです。

これを超えるための組織論の知恵は多く蓄積されていますが、
それはまたいつか紹介できたらと思います。
古典的には出エジプトのモーセとイテロの会話がまさにそれで、
ロバート・グリーンリーフという、
組織論の神が書いた不朽の名作『サーバント・リーダーシップ』
でそのことを指摘してます。


▼▼▼親友の価値▼▼▼


→位置No.1009 
〈ウォルフガング・ロッツというイスラエルの伝統的なスパイが言うには、親友というのはその人間の体重と同じぐらいの黄金の価値がある。金1グラムが約5000円として、70キログラムなら3億5000万円(笑)。サラリーマンの生涯所得ぐらいある。〉

、、、親友というのは体重と同じ金の価値がある。
名言です。

別の本では親友が近くに住んでいることを金融価値に換算すると、
最低でも1000万円、という試算も読んだことがある。

ちなみにこの本が書かれたのが2017年。
それから7年経った今、
金相場は高騰し、1グラム1万円を超えているそうです。
なんでも世の中が不安定になると金が高くなる、
という法則があるそうで、
時代が不安定になると、
それだけ何もかも信用できない、
ということですね。
お金とは信用が形を変えたものなので、
お金の信用を担保する国家とかも信用不安に陥ると、
消去法的に金の「信用」が高騰するのです。

私は「友人の価値」は、
金相場に正比例して変動すると思っています。
つまり金が高いような世の中では、
親友の価値は金と同じく高くなる、と。
なぜか、というのも説明できますがここでは割愛します。

1グラム1万円で換算した場合、
体重70キロの親友の価格は7億円です。

まったく驚きません。

うん、まぁ、そのぐらいだろうね、と思う。
いや、親友の方がもっと価値あるだろうと思う。

ここで、
「いやいやいや、7億のほうが価値あるっしょ!」と答えるか、
「親友の方が価値あるっしょ!」と答えるかが、
実はその人を測る「試金石」かもしれませんね。
(うまいこと言った!)

蛇足ですが、オズワルドの漫才にこういうのがある。

畠中「俺、友達ゼロなんだよね」
伊藤「ゼロなの」
畠中「近所に何でも話せるお地蔵さんがいる」
伊藤「まあゼロだな」
畠中「それで今度暇なときで良いんだけどさ」
伊藤「何」
畠中「お前の友達一人分けてくれない?」
伊藤「え?」
畠中「ごめんごめん、もちろんあれだよ。
   一番要らないやつで良いからさ」
伊藤「……」
  「……」
  「……ああー、これが『ゼロ』かー!」
畠中「じゃあ、俺のお気に入りのズボンと交換は?」
伊藤「あんまナメんなよお前」

この漫才の肝は、
畠中に友達がいない理由が、
「友達が交換可能な消費財」だと思っている点で、
そういうところが友達がいないことのゆえんなんだよ、
っていう構造なのだけど、要するにそういうこと。

お金と親友を比べている時点で、
あなたは誰かにとっての親友たりうる人間ではないかもしれない。
そう考えると、「親友ってとてつもなく高価」ですよね。
これを言ったロッツが「伝説のスパイ」だというのもミソです。
日常的にお金と命を天秤にかけるシーンに遭遇するので、
ヤクザやスパイは、その真実を身をもって知ってるんですよね。


▼▼▼ひとりでも友達がいるなら誇っても良い▼▼▼


→位置No.1016 
〈対等で、自由な関係の中で、自分で選択し、尊重し認め合える仲間をつくる――。ビジネスに役立つ人脈を造ることも大切ですが、同時に友人関係も大切にしたい。人生において最も価値のあるのが友達であり友情だと言っても良い。ひとりでもそんな友達がいるのであれば自信を持って良いし、誇っても良いと考えます。〉


、、、人生で最も価値あるのは友達であり友情だ、
と佐藤さんは言いきります。
私もそう思います。
対等で自由な関係の中で、
自分で選択し尊重し認め合うことができる仲間。
そういった友達がもしひとりでもいるなら、
あなたは自分に自信をもって良い。
佐藤さんはそう言っているのです。

何で読んだか忘れましたが、
「あなたは、あなたの親しい友人5人の平均だ」
みたいな言葉があります。

あなたがもし、
「私はなんて友人に恵まれているんだ。
 私のような人間になぜこんなに素晴らしい友人たちがいてくれるのか分からない」
と感動しながら生きているとしたら、
あなたは自分が思うより素晴らしい人間である可能性が高く、
逆にあなたがもし、
「私の周囲にはなぜこんなくだらない人間しかいないんだ。
 クズばかりしかいない」
と周囲に幻滅しながら生きているとしたら、
あなたは自分を高く見積もりすぎている可能性が高い。

なぜならあなたは、あなたの友人の平均値なのだから。


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