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肩の上に(短編小説;1,900文字)

 どうも朝から肩が凝る ── 何か乗っかってるみたいに。

(……まさかね)
 そう思いながらも洗面台に行って、腰が抜けそうになった。
 鏡の中のアタシは、見たこともない婆さんを肩車していた。いや、白装束の小柄な婆さんが、勝手に肩に乗っかってる。
「だ、誰?  ── あんた?」
 アタシは2年前から、このアパートでひとり暮らしのはずだ。でも、婆さんの顔はどこかで見たことがあるような気がした。
 もちろん、アタシのお婆ちゃんじゃない。お婆ちゃんは故郷クニにいる。
「……成人式には行かないのか?」
 婆さんの顔には水平方向に無数の皺が走っていたけど、その中で一番長くて深い皺が上下に開いた ── 口として。
「……そんなの、行かねえよ」
 鏡から顔をそむけたら、ちょうど窓越しに振袖姿が連れだって歩くのが見えた。
「── っていうか、誰だよ、あんた? 降りろよ!」
 上半身を揺さぶって振り落とそうとしたが、
「おっとっと、こら、危ないだろ」
 微妙にバランスをとってしがみついてくる。
「わしはな、……◎✖+÷△◆」
 何か言ったが、意味がわからん。知らない言葉だった。
「── うぶすながみ ── 産む、土、神、と書く、産土神うぶすながみだ」
「は? 何それ?」
「お前が生まれた土地の守護神だ。お前が生まれる前から死んだ後まで、一応、お前を守ることになっておる」
「一応? なんかいい加減そうだな。……まあいいや、その産土神うぶすながみがなんで『おんぶオバケ』か『子泣きジジイ』みたいなことになってんのよ!」
「サマ、サマ」
「は?」
「サマだ、神様には『様』を付けんか!」
「ああ、面倒くさ! じゃあ、その、産土神うぶすながみサマが、なんで『子泣きジジイ』状態になってんのよ!」
 もう一度激しく揺さぶったが、敵も必死にしがみついてくる。
「一応、お前の担当ってことになってるからな、成人になった顔つきを見に来たんだ」
 婆さん神様はアタシの顔を両手で挟むと、鏡の方に向き直させた。
「うん、一応、《一人前》の顔をしておる」
「どうでもいいけど、その《一応》っていうの、癖なの? ── 感じ悪いから、やめた方がいいよ。……それに」
 アタシは婆さん神様を睨みつけた。
「……一人前に決まってんだろ! 高校出てから、ずっとひとりで生きてんだ! ……ひとりでかせいで、ひとりで食ってる。それどころか、故郷クニのお婆ちゃんに仕送りまでしている!」
 睨みつけると、なぜか婆さんは笑った。つまり、両目ともが皺の中に埋もれた。
「けっこう、けっこう。── これでよし、とお前の故郷に一旦帰ってもいいんだが……」
「帰れよ!」
「ひとつ聴こう。成人式にはなぜ行かん?」
 アタシはまた婆さんを睨みつけた。
「あんなの、茶番だからさ」
「……なるほど」
「親に金出してもらってチャラチャラした格好した連中が集まってワイワイやってるところなんか、行きたかねえよ」
「……つまり、晴れ着を着ていないのが、恥ずかしいのか?」
「恥ずかしいわけ、ねえだろ!」
 アタシはりついているババアを殴ろうとして、手を止めた。
(── こいつも《一応》神様だ、バチが当たってもつまらん)
「わしは産土神うぶすながみだ。これまでずっと、土地で生まれた子供たちが成人になるさまを見守ってきた。戦後間もない頃の成人式は、男は国民服、女はモンペ姿だった」
「……へえ、そうなの?」
「ああ、こんな風に派手になったのは、昭和30年代に百貨店や和服業界がひと儲けしようと画策かくさくしたからだ。それに、化粧品業界、美容業界も加えた、《成人式ビジネス》に皆、上客として絡め取られてるわけだ。みんなと同じじゃないと不安だから、みんな同じ格好をする
「だろ? ……だから、アタシゃ行かないのさ。そんなバカの仲間になりたかないよ」
「── 本当か?」
「ああ」
「── 本当か?」
「なんだよ!」
「お前も、みんなと同じじゃないことを気にしているなら、バカの仲間じゃないのか?」
「……うっ」
「行くも良し、行かぬも良し ── 大事なのはそこではない」
 婆さん神様はアタシの耳もとに皺 ── じゃなくてくちびるを寄せた。海底に沈んでいたようなその色が、鏡の中で一瞬、あかく輝いたように見えた。
「このあとの人生は長い。……何度もこういう場面に出くわす」
 婆さんはもう一度、ニッと笑った。

 ── まばたきしたらもう、鏡の中はアタシひとりきりだった。肩は嘘みたいに軽くなっていた。

 結局、成人式には行った ── ジーンズとセーターにお気に入りのコートをはおって。


〈初出:2022年1月11日〉

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