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「The Dish/月のひつじ」その時、どこで何を?

パソコンやかたの黴臭い地下室へと薄暗い階段を降りて行ったら、埃を被った古いファイルが見つかった ── そんな感じでしょうか。
マガジン「映画の時間」を作ってから、かつて勤めていた会社の映画同好会ニュースレター向けに書いた映画エッセイを読み返すと……これがなかなか味わい深い(と思っているのは私だけ、単なる自己愛の賜物かもしれないが……)。

エッセイ作成日は20年前、2003/6/17になっていました。
映画は、社内開催の講演会で使うホールを借りて終業後に開いた映写会で見た「The Dish(邦題:月のひつじ)」です。
字幕版でしたね。
今回も、当時書いた文を、ほぼそのまま転載します。
(ネタバレは少々)

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アポロ11号が月に着陸し、アームストロング船長が第1歩を記した時、私は中学1年だった。ちょうど恵那山麓で6泊7日のキャンプをしていたため、例の《リアルMoon-walk》映像を見たのは下山した後のことだった。
(どうでもいいことだが、1週間風呂に入っていなかったためか、名古屋駅で警察に補導されかけた)

「その時、私は○○で△△をしていた」
多くの人が振り返る《その時》がある。

私の親の世代では終戦玉音放送、ケネディー暗殺、私の世代ではあさま山荘、阪神大震災、9.11などが挙げられる。
月面着陸は間違いなくこうしたベストテンに入る、1960年代最大の《シーン*》だったのかもしれない。
(*被害に遭われた方、大事な人を亡くされた方には、この表現は不快かもしれません)

その時、月から送られたテレビ映像は、てっきりNASAのあるヒューストンを経由しているものと思っていたが、実はその裏側にある、オーストラリアのパースにある南半球最大の電波望遠鏡PASKで受信していた。

最先端技術の粋を集めたNASAの宇宙プロジェクトと電波望遠鏡のあるオーストラリアの田舎町の素朴な人々との対照が面白い。
田舎町の登場人物がすべて非常に人間くさいのだ。自分個人のことではないことで誇らしい気持ちになったり、意地になったりする、個人のささやかなプライドや生きがいが見えてしまうのだ。

私たちひとりひとりがここにいる、と思った。

お互い好きだと言えない若い男女、NASAから来たアメリカ人に反感を持つ技師、格好ばかりで責任感に乏しい警備員、一世一代の晴れ姿と興奮する市長とおしゃべりの市長婦人、反帝国主義の高校生らしき娘、ロケットに夢中の小学生の息子、娘に嫌われていても平気でアタックし続ける若き軍人、宇宙飛行士はどうやっておしっこするのだろうと議論する町の男たち、などなどである。

オーストラリア訛りも随所に現れる。
「He is a brave man!」
が『ブレイブ』ではなく、『ブライブ』と聞こえる。
「Today」は『トゥダイ』だ。
一緒に映画を見ていたオーストラリア人(注:当時在籍中の客員研究員)はところどころで笑っており、後から、
「オーストラリア人にしかわからないジョークがたくさんあった」
と言っていた。
また、
「俺は15年前にあそこに言ったが、雨が振らずに草は茶色だった。映画の中で緑色なのはおかしい」
とも言う。
「Maybe they dyed(染めたのかもね)」
と言ったら肩をすくめていた。
  ⇓
<今さらですが…>
……どうしてウケなかったんだろう?
目的語(the grass)を言わなかったから
「They died」
と誤解されたか……?

なお、最後の猛風の中での中継はなかなか迫力があった。こうした日常生活の中のドラマが(ハリウッド的不自然大活劇より)私は好きだ。

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なお、「あさま山荘」は中学3年、学校をズル休みして家でずっとテレビ中継を見ていました。
(「ここは大事なところだ!」と思ったのかな……)

1974年のドラゴンズ20年ぶりの優勝決定日(10月12日)は高校から中日球場に駆け付け、大洋とのダブルヘッダー2戦目を観戦し、試合直後にグラウンドになだれ込んだ。

このあたり、山中でアポロ11号の月面着陸&Moon-walk中継を逃した記憶が、脳の中でその後の行動を操っているのかもしれない。

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