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《ニンゲン》には指しにくい手

久しぶりに『将棋ネタ』を書きましたが、そのほかの話題も派生的に浮かんできます。

将棋界で今は普通に使われていて、けれどなんだか『異世界的な言葉』があります。
それらの言葉には、《ニンゲン》という単語が入っています。《人間》というよりやはり、《ニンゲン》と綴りたい。

『ニンゲンには指しにくい』

これは、ABEMAなどで棋戦中継を見ていると、解説のプロ棋士の口から時折出ます。
画面では、AIの判定による有力な『次の一手』が5例ほど示されるのですが、その中に、たまに、
「いやあ、最善手として上がっている5三桂成、これは驚きました! 相手の飛車が4九に成り込んでしまいますよ。意味がわかりません! ……ああ、そうか、こういうことでしょうか……(と解説用の大盤上で手を進める)。いや、でも、これは……『ニンゲンには指しにくい手』ですねえ」

ところが、藤井竜王名人は考慮の末に、その『ニンゲンには指しにくい手』を指すことがある。
「ああ! さ、指した! そ、そうですか、『ニンゲン的には指しづらい』と思ったのですが……そう指すものですか……はあ……さすがです……」
解説者にはつらい瞬間ですが、そりゃ、対戦当事者とは読む範囲も深さも違います。

将棋の勝敗が決着した後、通常は『感想戦』としてその勝負を振り返ります。どこで重要な分岐があったのか、敗着はどれか、どう指せば良かったか、など実際に駒を動かしながら議論するわけです。
その時に、観戦記者などが、
「ここでAIはこの手を1番に上げていましたが……」
と口をはさむことがあります。
面白いのは、藤井竜王名人を含め、
「その手は『ニンゲンには指せない』
と、いわば『却下』して、検討すらしないこともあるそうです。
多くの場合、その手の先に、さらにどちらか、あるいは双方に『ニンゲン的には指しにくい手』があり、AIが『最善』として進めた棋譜が実現する可能性が極めて低い場合のようです。
実現しない未来を検討しても仕方がない、ということなのでしょう。

おわかりのように、ここで『ニンゲン』の対照に位置するのが『AI』という存在です。
「そりゃ、AIはそう言ってるかもしれないけれど、『ニンゲンが発想するのは無理』
という指し手が、冒頭の表題です。

将棋ソフトに革命が起きたのは、将棋ルールをほとんど知らなかった若き物理化学研究者・保木ほき邦仁くにひとさんが、トロント大学滞在中の2005年、膨大な棋譜データを読み込む機械学習を基本とする『Bonanza』を趣味で(!)開発し、翌年、世界コンピュータ将棋選手権で優勝した時です。

そのしばらく後に、トップレベルのコンピュータとトップ棋士が戦う『電王戦』が始まりましたが、この棋戦の寿命は短かった ── ニンゲンがAIに歯が立たなくなったからです。

電王戦では、プロ棋士と対戦するデンソー製将棋指しロボット『電王手くん』も話題になりましたね。

《ニンゲン的には》

独特な言葉ですが、今後は各方面で使われていくのかもしれません。

*****

「ちょっと、何よ、前の車! 何やってんのよ!」
「隣の車線からどんどん割り込まれてるね。……どうやら、自動運転車のようだ」
「あきれた! 安全運転にもほどがあるわ! ほら、クラクション! ……だめね、通じないわ」
「確かに安全第一かもしれないが……《ニンゲン的には》あそこまで徹底できないな……」
「もう! 全然進まないじゃない!」

*****

「今度の直木賞受賞作、最後のどんでん返しがすごかったわねえ」
「ほんと、国際的な連続殺人事件の犯人 ── 実は某国大統領自身だったんでしょ?」
「そう。実行犯ではないけどね。《ニンゲン的には》ありえない展開よね」
「この小説、AIが機械学習して構成したんでしょ?」
「そうそう、しかもね、これまでのAIは既存の文学作品を読み込んで作るじゃない? 今度の作品は現実世界からもデータを読み込んだらしいわよ ── 各国の機密情報も含めて」
「え? ……ということは……?」

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