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遅刻レースと座り込み(高校時代への小さな旅 【3/4】)

徳川園から、懐かしの交番の前を通って出来町通を古出来町交差点の方に歩きます。

名古屋駅から古出来町を通り茶屋ヶ坂に向かう市バスは、市役所から終点まで、出来町通の各停留所ごとに高校がある不思議な路線でした;男子校あり、女子校あり、共学あり、普通科あり、商業科あり、工芸科あり、美術科あり……でバスを待つ高校生の胸をときめかせたり憂鬱にさせたり、のドラマがいろいろある路線でした。

中学の同級生でこの路線まで一緒になる女の子は3人、それぞれ違う制服を着ていました。
彼女たちと同じバスに乗り合わせるのはささやかな楽しみでしたが、哀しいことに私は寝過ごしが多く定刻に家を出られない生徒であり、幸福な便に乗り遅れることが多かった。
古出来町まで乗っては遅刻だ、という時にはひとつ前の停留所でバスを降りて、この道を走ったものです。

高校2年の時、遅刻が多い男子生徒がクラスに3人おり、業を煮やした担任が、歳の暮れが迫った頃、黒板の右端に3人の名を書き、遅刻数をリアルタイムで記し始めた。
彼の意図は、
さらし者にして恥をかかせ、
・素行を治す
ことだったが、これは見事に裏目に出て、3人の遅刻数はむしろ加速した。私は2位でフィニッシュしました。
1位になれず、むしろ残念!

後日談になりますが、その年の終わり、通知表の「遅刻」欄には、前期・後期の遅刻数が書かれ、その下の「合計」はそれらを足した二桁の数字でしたが、なぜか「十の桁」の数字だけが、下手糞、かつ異様に小さく書かれていました。

こんな感じ

さらにその1年後、受験に際して志望校を迷っていた私は内申書を1通余分にもらい、結局提出せずに開封してみたところ、2年の遅刻数は、ひと桁「7」になっていました。
さらし者作戦」に失敗した2年担任でしたが、問題児の将来をかなり真剣に心配していたことが、この時わかりました。
ま、この程度の遅刻数にビビるような学校には進学したくありませんが……。

出来町通沿いには「ナポリ」という喫茶店があり、たまに昼メシで、それこそ「ナポリタン」を食べたりしましたが、その場所はオフィスビルになっていました。
校内に食堂ができて、昼メシに外出する生徒は少なくなったのでしょう。
1年の時、玉子焼きとウィンナーという同じコンビの連日連投に参った私は、フルタイムで働いていた母に、「弁当不要」を告げ、数人の仲間と毎日外食していました。

ナポリでの思い出は、2年の時に劇団を主宰するカリスマ同級生に誘われ、劇場化した視聴覚室の舞台設定のため、深夜まで働いたことです。
同じ校舎を使う定時制授業の邪魔にならないよう午後遅くまでナポリで煙草を吸ったりコーヒーを飲んだりしながら時間をつぶし、授業が全て終わった後であらかじめ鍵を開けておいたトイレの窓から忍び込むのです。
忍び込んだ後も守衛に気付かれないよう懐中電灯だけで暗がりを歩くので、自然と劇団員の女の子(同学年の別クラス)と手をつなぐ形になり、心がときめきましたね。

学校の塀に沿って歩く

当時の校舎は耐震基準を満たしてないとのことで、20年ほど前に建て替えられました。
その時、新校舎を元のデザインそのままで再建しろ、と一部のOBが騒ぎましたが、ほとんどの同窓生は冷ややかに見ていました。
校舎は現役生徒のために存在するのであるから機能性が第一で、この日の私のようにたまにふらりと現れて懐古に浸るジジババのためではない。
運動の中心人物は今、名古屋市長を務めています。

さて、正門前まで来ました。

校舎は例の運動も関係して、外面は昔の面影を留めている。

この門の前で在学中、20人ほどが《座り込み》をしたことを想い出します。2年生の終わりでした。
3年生の1部が権威主義的な卒業式に反対運動を展開していたことと連動し、例のカリスマ同級生が式当日にグラウンドで開催した卒業式の意義を問う討論会に参加しました。
ノンポリの私には、「卒業式反対」自体が当初意味不明であり、その理屈を学びたかったのです。
そこへ、卒業式に反対し、参加しなかった3年生には卒業証書を渡さない、と(生徒のほとんどから嫌われていた)校長が言い出した、とのニュースが知らされました。
私は、
「それはおかしいだろう! 卒業『式』に参加しないことと、卒業しないこととは違う!」
と発言しました。
しかし、集会に参加していた在校生の多くは、
「彼らが勝手に行ったことの結果であり、自分たちとは何の関係もない」
ときわめて冷淡でした。

それでも私を含む一部の人間は抗議に出かけ、そのまま正門前に座り込み、
「不参加組にも卒業証書を渡せ!」
てなシュプレヒコールを行いました。
(校長側が折れたため、座り込みは1時間ほどで解散)

でも、これはけっこうショックでしたね。
── 論理性よりもセクト主義、仲間かどうかで判断する人が多い、ということを知った瞬間でもありました。
日本の与野党を見ても、米国のトランプ主義者たちを見ても、論理よりも仲間かどうかで判断する人は驚くほど多い。社会性を持つ人間の本質なのでしょうか?
あるいは、この経験は、人生における『重要な学びだった』と言うべきでしょうか。

私の高校時代と大きく異なっているのは、正門を入ると構内が自動車だらけだったことです。教職員のかなりの数が自家用車で通勤しているのでしょう。
同級生と走り回ったり、好きな女の子がだれかに振られたのか泣いているのを見たりした構内のスペース、それが自家用車で埋まっていた。

いろいろ事情はあるのでしょう。でも、(たぶん)駐車場でない場所にまでクルマが停まってる。
「なんとかしなくちゃ!」
アタマをひねって欲しいデス。


この続きは……

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