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接客サービスは《効率化》の流れに逆らう《逆張り》もいいのでは?

地域スーパー・らくだのレジ係に採用された鯖木さばきさんは、お客さんに気さくに話しかけます。
「いいダイコンでしょ? 千葉県産。他のスーパーより、安くて身が締まってるの」
「あ、トマト2個ですね? ご存じ? ──今日はトマト、3個買うとお安くなるのよ」
でも、お客さんには、
「いいから、さっさとやってよ!」
とウケがよくありません。
そこで、歩美あゆみちゃんが、
「なんとかしなくちゃ!」
とアイディアを出すわけですが……

以前少し書いたのですが、私の住む街(大都市の住宅地)では、30年ぐらい前までは各町内にそれぞれ「市場」があり、買い物かごぶら下げて食料品を買いに行ったものです。
八百屋さん、魚屋さんは町内の人の名前や家族状況をほぼ把握していて、それぞれの家に合った食材を勧めたりしていました。

母がフルタイムで働いていたため、私は買い物に行かされることが多く、市場のオジサンオバサンに、
「えらいねえ、ボク」
など声かけられながら、育ちました。

小資本食料品スーパーが進出し、大資本のチェーンスーパーに統合されていく過程で市場は次々と閉鎖されていきました。近所の市場がデイサービスに変わった後も、最後まで残っていた花屋の店主が、閉店の少し前に言っていました。
「いや、もう個人商店はダメだね。たまに買いに来るお客さんがいても、こっちと目を合わそうとしないもの。こっちが話しかけるのを拒んでる感じだもの」

お客さんはやはり安い店で買いたいし、仕入れの効率化から個人商店は淘汰されていくのはやむを得ないだろうな ── とは思います。

でも、鯖木さばきさんのような最小限の会話まで「ムダ」「非効率」とされるのは、「淋しい」というような「感情」の問題だけでなく、「家庭外での日常会話」という「文化」とか、ひょっとしたら「スキル」にも影響してくるのかもしれません。

私は幼稚園~小学校中学年ぐらいまで、バスに乗ると、周りの見知らぬ大人に「なぞなぞ」を出題して一緒に遊ぶ(というか、遊んでもらう)子供でした。
母はむしろ笑って見守り、
「ボク、賢いねえ!」
とかおだてられて鼻高々だった、とこれは母が亡くなった後、父が想い出話に語っていました。

でも、今そんな子供がいたら、いやがられるでしょうね。もちろんコロナ以後は一層でしょうが、それ以前から、「公共の場での不要な会話」は好まれない傾向にありました。

「気さくなおしゃべり・鯖木さばきさんタイプ」が淘汰されるばかりか、無言で効率よくお客を捌くレジ係すらセルフレジにとって代わられる時代です。

でも、そんな中、なんとか徒歩圏内にあるスーパーが、おそらく当初はコロナ時代に行き先を失った鮮魚食材を大量に仕入れたのでしょう、「鮮魚部門」を充実させ、かなり大きめな魚も丸ごと並べ、かつ注文に応じて、ほぼどんなものでも捌いてくれるようになりました。
必然的に、どんな料理に向くか、など店員との会話も弾みます。
「効率化」には逆行しているように見えて、
《いいトコ、狙ってるんじゃない?》
とも思えます。

飲食店も、効率化と衛生化からタッチパネルでの注文などの方向はメイン・ストリームとして、おひとり様向けに「接客サービス重視」の《逆張り》も出てくるんだろうな、と予想しています。

学生時代に神宮球場に何度かヤクルト戦を見に行きましたが(外野は芝生時代)、アイスクリームを独特の呼び方で叫ぶ売り子がおり、彼のアイスは(中身は同じなのに)よく売れていましたね。

「効率化」の時代に(逆に)、
《組織内芸達者》
が貴ばれる時代が来るといいなあ!

── なんて、思うのです。

鯖木さばきさん、がんばって!

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