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謎屋敷の友人が謎親父をタイで看取るまでを描く「タイあたりターミナルケア」を再読

古い友人の父親の『風貌』*『行動』*『屋敷』が高校時代からずっと理解困難だったけれども、それから30年余り時を経て、彼が上梓した、
《末期癌の父親をタイに引き取り、看取る実話》
を購入して読み、深く感動すると共に、それらの《謎》がようやく氷解した、というエッセイを書きました:

その本を読んでみたいとのコメントをいただきました。
下記『タイあたりターミナルケア』(飯田光孝・著)です。

彼が30代で上梓した1冊目が『タイあたりカルチャー・ショック』です(『タイあたり』はタイ国とかけて・・・いる)。
自動車会社の現地法人に赴任中、最高学府・チュラロンコン大学で学んだり、出家して僧侶生活を送ったり、タイ文化にどっぷり浸かる日々を生き生きと描いています。

さて今月、別の友人(やはり高3のクラスメイトで『謎屋敷』でも雀卓を囲んだ)のライブが名古屋であるため、たぶん無理だろうな、と思いつつ、案内を出してみました。

その時に上記エッセイのこと、そしてコメントで彼の著作について尋ねられたことにも触れたところ、現在はPDF版で無料公開しているとの連絡を受け、noteでの紹介も了解してもらいました。
(下記表紙の右上のポップアップのクリックで読めます)

この本の第一章に、彼の父親の生立ちと生きざまが描かれています。上記のPDF版を再読し、改めて『3つの謎』に対して「なるほど」と肯きました。

彼の浪人時代、『謎親父』にとって『この世でただひとり信用できる人間』である妻(彼の母)を失います。

大学2年か3年の時、夏のキャンパスで彼の顔を見て、
「帰省しないの?」
と尋ねると、
「父親が僕より若い女の人と再婚してね……帰ってもあまり居心地が良くないんだ」
と言っていました。

父親ほどではないけれど、彼自身の生き方もかなり奔放で、こんな記述があります:

(注:父の命令で1年の夏休みにナイトクラブで働いた後)
東京に戻った私は、大学に通いながら本格的に水商売の世界に入り、トイレ掃除から始めてボーイ、バーテンダー、ホスト、最後は従業員を十名ほど使う店長にまでなった。
 ──(中略)──
親からの仕送りなしで三年間やり通したが、父には何をやっていたかは最後まで知らせなかった。父の意思に同調したと思われるのも嫌だったし、かといって、喜んでくれるとも思えなかったからだ。

飯田光孝「タイあたりターミナルケア」より

階段が無いため扉のないエレベーターで2階に上がらなければならない『謎屋敷』を建てた『謎親父』についての人となりは、内容のネタバレになるのでここには書きません。

でも、尖りに尖った『謎親父』は、
「絶対に病院には入院しない、その必要があるなら殺せ」
と言い続けていたけれども、ついに病に倒れ、それでも、日本では医者をはじめ周囲を絶対に信用しなかった。

それが、『微笑みの国・タイ』に移ってのターミナルケアにより、当地の日本人やタイ人看護人のやさしさに触れ、日々励ましを受け、頑なに閉ざされていた心を少しずつ開いていく ── その様子が、とてもリアルに描かれています。

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