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暮れの届け物(短編小説;4,600文字)

「だれかしら? ── こんな暮れに」
 インターフォンが鳴ったのは大晦日の晩だった。
「お届け物です」
 モニターには丸い顔が映っていた。
『丸い』と表現したが、本当に丸かった。コンパスで描いたような輪郭だった。これで髪でも伸びていればその輪郭を乱すのだろうが、五分刈りにでもしているのか、円形の上部にわずかな着色が認識できるのみだった。
 円形は幸福そうに微笑んでいた。
「じゃ、部屋までお願いします」
 女のひとり暮らしだし、いつものように置き配でいいかとは思ったが、今日は彼が来ないし、『真円ぶり』を直接見てみたい、という欲求に勝てなかった。

 マンション玄関のビデオモニターを切った次の瞬間には部屋のドアベルが押されていた。
「は……早っ!」
 二人組の宅配業者か? ── しかし、ドアモニターには同じ『真円』がにこやかに映っていた。

 チェーンはかけたままドアをあけると、『真円』は笑みをたたえ、顔同様ふくよかな体の前で、なぜか揉み手をしていた。
 モニターでは気付かなかったが、宅配業者の作業服ではなく、太めの体形をネイビーストライプのダブルジャケットに包み、真っ赤な蝶ネクタイを付けていた。
(卒園式? それとも、漫才師か?)
 オジサンのようだが、年齢は不詳だった。
「……で、お届け物って?」
 足もとにも何も見えなかった。
「私です」
 『真円』が口を開いた。
「は?」
「私自身がお届け物です」
「へ? ……って、だれから?」
「天からです」
 『真円』は右手を垂直に上げ、人差し指で上方を指さした。右腕が『真円』に対する『接線』だった。
「あなた、誰? 宗教関係なら……」
 ドアを閉めようとした時、
「福の神です」
 『真円』は大きくうなずいた。
 え、と私はドアを再び開いた。
 こうべを垂れても『真円』の輪郭にはまったく変化がなく、それは、『真円』が実は『真球』であることを意味していた。
「フク…の…カミ?」
「はい、これから1年、ここが赴任先に決まりまして……」
 転勤の挨拶のように話し出した『真球』をさえぎり、
りません!」
 ドアを閉めた。

(危ない、危ない……変なヤツだった)
 いつものように置き配にすれば良かった ── でもそれは、別の問題が生じるだけかもしれない。
 宅配ボックスを開けた途端、丸い体を『直方体』形状に無理やり閉じ込めていた《私です》オジサンが、埋まっていた『真球』頭部を上げてにっこり笑う ── それはそれで、相当不気味な光景だったろう。

 正月三が日はこの部屋でひとりきりだった。
 彼は家族と過ごさなくちゃならない。今頃は一家4人でゲームでもしていることだろう。
「その方がいいわ、気が楽で」
 玄関から廊下を辿りながらそう声に出した時だ。
「そうですよね ── パトロンの都合に振り回されるより」
 リビングの方から声がした ── 間違いない、『真球』の声だった。
 部屋に戻ると、ゆったりとしたソファでくつろいでいるのは、間違いなく、先ほどドアの外で揉み手をしていた ── そして、天を指した ── 『真球』に間違いはなかった。
「何やってるの! ……ていうか、どうやって入ったの!」
 ドアチェーンは外さなかったはずだ。10センチにも満たない隙間から、この体形で滑り込めるわけがない。
「先ほどお話したように、私の赴任先がここ、つまり『幸福』があなたへの『お届け物』なのです」
 スマホの緊急通報を押そうとしてとどまった。
 ドアチェーンが用を為さない『現象』に対しては、警察もお手上げだろう。

「せっかくだけど……」
 中断していた夕食の支度に戻った。
「私、十分幸福だから、アンタの助けは要らないわ」
「……そうですか」
「そうよ。今は仕事してないけど、お金には困っていないから。28でこんな都心暮らし ── 25平米のリビング、それにほら、そのバッグ、ずっと欲しかったの、ついに買っちゃったくらい」
「……そうですか」
 『真球』はニコニコとうなずいている。
 こりゃダメだ、と冷凍のタンシチューを温め、ワインの栓を抜いた。
 彼が来る時には一応、凝った料理を作るけど、ひとりの時はこんなもんだ。ブロッコリーも冷凍だ。
「アンタも飲む? 飲むならこっちに来なさいよ」
「ありがとうございます」
 『真球』は一瞬でダイニングテーブルに移動した。やはり、ただ者じゃない。
「そんなスーツ姿じゃくつろげないでしょ? 着替える?」
 彼の部屋着を持ってこようか、と思った瞬間、『真球』はパジャマ姿になっていた。
「いくらなんでも、それはくつろぎ過ぎじゃない? ……ま、とにかく今日は飲もうよ。で、その後はもう、ここから出て行ってね。私、ホントにこれ以上の幸せなんて、必要じゃないから」
「……そうですか」
 パジャマに着替えても、『福の神』は相変わらずニコニコうなずき、『真球』ぶりを証明した。
「テレビは観ないんですね?」
「そうねえ……ひとりの時はあまり見ないわねえ。やっぱりボーッとリラックスしていたいじゃない?」
「……そうですか」
「ほら、誰かいると緊張しているから」
「……なるほど。誰かいる時だけですか?」
「え? うーん、そうねえ……いつ連絡があるかわからない……って、待っている時もそうかな? 完全にリラックスはできていないかも」
「……そうですか」
 『真球』の口から出てくるのはほとんど相槌的な言葉ばかりだったから、ついついこちら側が話してしまう ── そんなつもりはまったくないのに。
 厚めのタンを切って口に運びながら、ワインを啜る。『真球』も割れ目のような口から赤ワインを流し込んでいる。

「大晦日といえば?」
「は? 何よ、突然?」
 今年最後の夕食を胃に納めた頃、『真球』は謎掛けのように尋ねてきた。
「この国には、大晦日にしょくする習慣があるらしいですね」
「ひょっとして、年越しそばのこと、言ってるの?」
 キッチン上の収納に目をやった。そこには、彼が一時期入れ込んでいた蕎麦打ち道具がひと通りそろっている。今ではもう邪魔で仕方がないが、勝手に捨てるわけにもいかない ── とにかく、ここの家賃を払っているのはあの人だから。

「蕎麦打ち、やりましょうか?」
 ワインを啜っていた『真球』が立ち上がった。
「え、できるの? だって、蕎麦粉が……」
「大丈夫ですよ」
 『真球』は立ち上がり、きわめて自然な動作で収納から、こね鉢、のし板、麺棒、麺切庖丁、そして最後に ── 粉の入った袋を取り出した。
「それ、蕎麦粉? ── 一体、どうしたの?」
 『真球』はいつのまにか真っ白なそば打ち職人の作務衣さむえ姿になり、こね鉢で蕎麦粉を練り始めた。

 ── そういえば、彼にもそんな時期があった。

 ワイングラスを手にぼんやり見ていた。
 『真球』は手際よく蕎麦粉 ── 十割だろう ── をこねると、麺棒で生地を伸ばし始めた。
 ── 『真球』が『円柱』を自在に操っている。
 ── お、表情も真剣だ ── にやけてはいない。
 眺めているうちに、突然、彼の声が聴きたくなった。でもダメ ── こちらからは絶対に電話をしてはいけないルールだったから。

 『真球』が手早く湯掻いた蕎麦をざるでいただいた。シチューを食べたばかりなのに、とても美味しかった。
 どこか遠くで除夜の鐘が鳴っていた。ベランダに続く掃き出し窓を開けると、冷気がリビングに流れ込んできた。
「ねえ、あなた、ここに赴任した、って言ってたわね。次の1年、ずっといるつもり?」
 振り返ると、『福の神』はいつの間にか作務衣さむえからパジャマに戻っていた。
「はい。大晦日までのちょうど1年」
「そう。……私を今以上に幸せにしてくれるのね?」
 けれど、彼がうなずくことはなく、その笑顔は崩れ、『真球』の縦横比が大きく変化したかのように見えた。

 除夜の鐘が鳴り終わった頃、私はリビングに『真球』を残し、シャワーを浴び、そのまま寝室に向かった。
 ベッドに入り、灯りを消した時、彼からメールが送られてきた。
 ── 今年は自分の生活を見直すと決めたこと、もう私とは会うつもりがないこと、マンションの家賃と生活費は3月分までは払うこと、部屋にある彼の持ち物は全て処分して欲しいこと ── それだけが、きわめて事務的に書かれていた。
 闇の中でなぜか、『福の神』の笑顔が崩れたことを想い出した。

**********

 また大晦日がやってきた。
「どうも、1年間お世話になりました」
 『真球』が、── いや、とうに真球状ではなくなった何者かが頭を下げた。
 1年前、スーツ姿で福々しく笑っていたその顔は、別人のような貧相に変わっていた。熟れた西瓜スイカのように丸々としていた頭部は、今やしなびた胡瓜キュウリと化していた。顔だけじゃなくて、その身を包んでいるのは、垢が染みつき薄汚れた作務衣さむえだ。破れた団扇うちわを手にしている。きれいに刈りあげていた髪も、このかんは伸び放題で不潔きわまりない。

 私は3月末に都心の賃貸マンションを出て、私鉄駅から徒歩15分の1Kに移った。同じタイミングで工務店の経理仕事を見つけた。手取りで言えば、彼にもらっていた生活費の半分ほどだし、そこから家賃も出さなきゃならないし、服も靴も、前のように新しいものを買うことはできなかったけれど、まあつまり、自分の力で生きていく、とはそういうことだった。
 年明けの深夜にメールが届いてからというもの、彼からの連絡は一切無かった。私からも連絡は ── ルール通り ── 一切しなかった。
 昨年の暮れに『お届け物』としてマンションに現れたオジサンも、転居に伴ってアパートについてきた。引っ越しを手伝っていた時、既にその頭は『真球』ではなくなり始めており、表情も険しかった。
 そして、その後さらに、── まるで満月が欠けて行くようにその顔はやせ細り、着ている物も貧しくなっていった。
 マンション時代はソファに座っていることが多かったが、引っ越してからは押し入れの端にしゃがみこんでいた。

「ねえ、最後に確認したいんだけど」
 靴3足ほどで足の踏み場がなくなるアパートの玄関に立ち、いとまを告げるしなびたキュウリに尋ねた。
「アンタ、『福の神』っての、嘘だったんでしょ?」
 キュウリはこっくりうなずいた。
「ホントは『貧乏神』なんじゃない?」
 キュウリの表情はこわばったように思えた。
「……すみません」
「まあ、うすうすわかってたけど……なんで嘘ついたのよ?」
「だって、……」
 キュウリは泣きそうな顔になった。今のその姿なら、誰がどう見ても立派な ── というのはおかしいが ── 『貧乏神』だった。
「まあ、いいわ。……過ぎたことだし。この1年で私、すっかり貧乏になったし、アンタも使命を果たしたってわけね」
「……はい」
「次の仕事先は決まってるの?」
「……はい、おかげさまで」
「そう。また、顔膨らませて、スーツ着て、次の人をだますのね?」
 それには返事をせず、萎びたキュウリは廊下に出て、後ろ手にドアを閉めた。

 狭い部屋に戻ると、勤め先の同僚からメールが届いていた。
 小さな工務店のたったひとりの営業で、朝から晩まで仕事を獲りに走り回ってる、2歳下の男。

 ── 明日、初詣に行きませんか。

(……どうしようかな)
 会社では仕事以外で話しかけてくることなどまったくない、ウルトラ・シャイな子だった。

(まあ……結局、《貧乏神》も、……悪くなかったかな)


〈完〉

今年最後の創作であり、こちらのアカウントを開始以来、ちょうど1周年でもあり、下記の『ふり返り』に1作プラスして、この1年間の新作小説は26作となりました:

#年末の過ごし方

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