見出し画像

おでん屋で告白

半田遠足から名古屋に戻り、『世界の山ちゃん』で幻の手羽先を生ビールで流し込んだ翌日、無事、友人ライブの日は来ました。

別の友人♂と開演前に待ち合わせて腹ごしらえをすることになり、伏見のおでん屋さんに向かいました。

この店のガラス壁に面白い貼り紙が……
え? 立ち飲み限定で大瓶が1本380円? ホント?

暖簾をくぐるとすぐ立ち飲みの席(と書いてあるけれど、当然『席』は無く……カウンターのように高く幅の狭いテーブルだけ)があり、ぼっち客がふたり、ビールを飲んでいましたね……。

友人が予約していたテーブル席につき、おでんお任せ盛りで生中を飲み始めました。
前日の遠足(彼は参加しなかった)について尋ねられたので、こんな感じだった、とカブトビール話などを語った。

「……あ、そう、Aも来てたの? ずっと会っていないな。いやさあ……オレはあいつのおかげで卒業できたんだ」
友人は数学や物理が苦手で、試験の時に、隣の席だったA君の答案を見せてもらっていた、と言う。
半世紀近くも前のことだが、左右に目を配りながら小声で話し出したのが面白かった。

「え、Aが? 信じられないな……頼んでも断られそうだけど」
A君とはほとんど付き合いが無かったけれど、寡黙かつ真面目そうな人物で、カンニングに加担するとは思えなかった。
「最初は断られた。でも、オレが、頼むよ、いいじゃないか、いいだろう、としつこかったんで ── なんていうかな ── こちらから見ることもできる位置に答案を置いて試験を受けてくれていたよ」
「ほう、なるほど」
彼はA君の必ずしも積極的ではないが寛容な協力もあり、無事に高校を卒業し、難関大学に合格した。

「……いや、俺も実は、3年の最後の試験でカンニングしたことがある」
私も告白した。
「ええ? お前は ── 3年の時なら ── する必要なんてないだろう」
2年の終わりまで遊んで暮らしていた私は、3年進級と同時にギアを入れ替えていた ── 同じクラスだった彼はよく知っている。
「いや、『カンニングした』というより『加担した』ということなんだけど……」

**********

それは、高校最後の定期試験だった。
前日の夕刻、同じクラスのB君から電話を受けた。通称で呼び合う程度には仲が良かった彼は、どちらかといえば、気が弱いタイプだった。

「あのさあ……」
その声は、ほとんど震えていた。
「……頼みがあるんだけど……」

たどたどしく彼が話したのは、翌日の世界史の試験でカンニングさせてもらえないか、という依頼だった。
しかも、友人がA君に頼んだような、答案を見せてくれ、という軽いものではない。

「僕さあ、世界史が……ピンチなんだ」
B君はその教科で既に何度か赤点(その高校では30点以下だと成績表の数字が赤字で書かれ『不合格』扱い)を取っており、最終の期末で赤点を取ると ── かなりの確率で留年することになる、と言う。実際、そのクラスには上の学年から『降りてきた』先輩がひとりいたので、『高校留年』にはリアリティがあった。
私大文系志望のB君には、その入試が目前に迫っていた ── いや、ひょっとしたら、既に入試を終えていたかもしれない。

一方の私は、全科目中、世界史を最も得意としていた。
「これは、タニくんにしか頼めない ── もし今度の試験で零点だとしても、単位を落とすことはないだろ?」

歴史が好きで、『教養人の世界史(現代教養文庫)』シリーズを純粋趣味として読みふけっていた私は、それまでの世界史試験で、ほぼ満点を取っていた。

実を言えばその時、『純粋美学』の観点から、『世界史ほぼ満点』記録は継続したかった。最後の試験でも、かなりの自信はあった。
歴史好きが高じて試験も嫌いではなく、理系志望にも関わらず、模擬試験では文系科目の世界史と日本史も『趣味で』受けていた ── 何科目受けようが受験料は同じだったので。

「……うーん」
「頼む、頼むよ」

翌日の世界史の試験で、B君は私の後ろの席に座った。座席配置に関してはかなりいい加減な学校だった。
我々は、試験時間終了と同時に、回収のドタバタに紛れて答案をすり替え、素早く相手の答案に自分の名前を書いて提出した。

冷静に考えれば、それまで赤点ばかり取っていた生徒が満点近い点を取り、成績の良かった生徒の答案に間違いが多い ── あきらかなAnomalyである。
(アノマリー:異常値。通常の規則から逸脱したり、合理的な説明ができない現象)
採点者がAnomalyに気付いて記述式解答の文字を調べれば、この作戦を見破ることは難しくなかっただろう。

世界史教師は私たちのクラス担任でもあり、私とは比較的関係が良好だった ── 彼は私の志望学部を変えさせようと何度か説得を試みたこともあった。
── ひょっとしたら、全てを看破した上で、見逃してくれたのかもしれない。

いずれにしても、B君も私も無事に卒業した。

**********

「ほう、それで、Bは今?」
「M大学に入ったまでは知ってるけど、学年同期会も来ないから、その後どうしているか、わからないなあ」
「そうか。……しかし、答案交換とはお前、かなりのリスクを冒したなあ」
 高校時代の私は、よく言えばマイペース、悪く言えばセルフィッシュに生きていたので、他人のために自分を犠牲にする行為は友人にとって意外だったのかもしれない。

ところで私は、誰かとふたりで飲んでいて、『告白』の聞き役になることが人生で何度もある。話しやすいのか、実はうまく聞き出しているのか。
「……絶対に言わないでよ」
「……この話、墓場まで持って行ってくださいよ」
── そこまで言われたら、もちろん黙っています。

そして、その中には、カンニングに関わる話も混じっている。

(いーじゃねーか、そんなこと、もう昔の話で時効だし、むしろ勲章だろ?)

しかし、コンプラを過度に重視するご時世である。
「不適切にもほどがある!」
善男善女の皆さんも、どこで足を引っ張られるかわからない。警戒するに越したことはない。

「王様の耳はロバの耳!」
と森で床屋が向かって叫んだ、その穴の底になることができれば、いろいろなテーマで物語が書けるのかもしれない。

例えば、こんな……

この後のライブについては:

この記事が参加している募集

世界史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?