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Radio Gagaのショートヴァージョンその後

クイーン1984年のプロモーション来日の話でした。ベースのジョン・ディーコンとドラムスのロジャー・テイラー、もちろんクイーンのメンバーなのですからぜいたくを言ってはいけません。それに、ロジャーはデビュー当時からその中性的ともいえる美少年っぷりと、そのイメージとは裏腹のハスキーな、それでいて高音もガンガン出るヴォーカル(主にコーラス)とのギャップが存在感を際立たせていたし、ジョンに至っては「マイ・ベスト・フレンド」全米ナンバー1の「地獄へ道連れ」、メンバー全員の女装ヴィデオで有名な「ブレイク・フリー」など泣く子も黙るヒットメイカー。ちなみに今回の見出しはそのプロモツアー最終日にそのジョン・ディーコンが当時の会社のLP入れる袋の裏にサインしてくれたもの、Shun、というのが僕で、ただこの時一緒に動いてくれていた先輩のShinさんの名前と間違って最初書いてしまい、律儀に書き直してくれたもの、まあイギリス人にとっては似たような名前ですから(苦笑)・・・RastamanとあるのはそのShin先輩がマジでラスタな人だったので。

さて、本題に戻って。世間が「クイーン」と聞いて期待するのはどうしても「ボヘミアン・ラプソディ」でこれでもかと描かれたフレディなのですよ… と、はたして4日間のスケジュールをこの二人で埋め切れるのだろうか?という不安は、実はあっさりと裏切られ、あまりのスケジュール過密ぶりにおつきのスタッフからラジオ局の現場でブチ切れられる、という修羅場もやってくるほどの充実したスケジュールが組めたのだから、世間はわからない。

すこし話を戻すとこの新作『ザ・ワークス』はその前にワーナーから発売された最後のアルバム『ホット・スペース』があまりにもファンキーで、ロック臭が薄く、当時はほぼ大半のファンからそっぽを向かれ、その次、ということで「原点回帰」な楽曲にあふれたアルバム・・・という印象。でも実はファーストシングルが「Radio Gaga」(そのままカタカナにしてもなんだか収まり悪いのでアルファベットそのままにして“ルビ”で「レディオ・ガガ」とのっけてみた…とあらためてカナ表記すると「レディー・ガガ」の名前がここからとられたのが良くわかる)。これ、ロジャー入魂の作品で、MV(当時はPV= Promotion Video)も本人たち映像に映画「メトロポリス」のシーンを挿入するなど壮大な世界観、勝負作だったわけだが、ただどうにも「尺が長い」!5分以上あって、イントロも長いし、中間のシンセ部分も長い。ラジオ局に持って行くと、案の定あまりオンエアしやすくなさそうな反応もあり、では当時のレコード会社はどうしたか?・・・「編集して短くする」のでした。もちろん見つかったらアウト、でも背に腹は代えられないのでスタジオ部門にある編集室にこっそりこもってエンジニアとこっそり作ってプレスしたものを「さて、配ろう」と腰を上げかけたところに、ここはさすがに世界中が同じ事を感じたのか、アメリカの発売元Capitol Records から「正式に許諾されたショート・ヴァージョン」が届いた、ということで急遽そちらに差し替えて配った、というのがこのタイトルになっている「Radio Gaga のショート・ヴァージョン」の顛末。インスタント・ヒット、ではなかったものの、翌年の来日公演ではお客さんみんな手をあげてポーズ取ってくれたので、浸透した、ってことで担当者は感激したわけです(涙)。

ということで次回はそのRadio Gagaの作者ロジャーのおとこ気を示すエピソードをちょっとだけご紹介して、少し話は横道、自分の洋楽遍歴をちょっとだけお話ししようかな、と思案中。


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