Shun Mori

レコード会社勤務から音楽出版社へ、というキャリアのほぼすべてを洋楽で過ごしてきた「記憶…

Shun Mori

レコード会社勤務から音楽出版社へ、というキャリアのほぼすべてを洋楽で過ごしてきた「記憶」を少しでもシェアできれば。あくまで主観的に見た昭和から平成、令和への洋楽徒然です。クイーン、ビートルズ、アイアン・メイデンからジェスロ・タル、ステイタス・クオーあたりを中心に(笑)。イノシシ歳

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さて、2022年になりました、今年はやります

何を?ですよね、いきなり。 前回が9月、ずいぶんと間隔が開いてしまいました。 どうも飽きっぽい性格で、他に興味のあることができると急に今までのことがなかったかのように醒めてしまう。 こんなアーティストを知り合いの投稿から見つけて、というか単に不勉強で知らなかっただけなんですが ラーキン・ポー、アメリカ人の姉妹。妹がメインヴォーカルとギターで、お姉さんがラップスチールギターとハーモニー。これはビートルズカバーですが、他にもピーター・ガブリエルのスレッジハマーとか、レニーのフラ

    • やっぱりクイーンに戻ってくるなあ

      今回はデヴィッドとテニス!で行こうと思ったのですが、こんな発表があったもので、僭越ながら告知です、また、すみません。 この週末、日曜日の配信イベントです。ぜひ自宅で酔っ払いながらご覧ください(笑)。シラフで聞かれると、さて、どうでしょう?

      • 原点はクイーンのプロモ来日だった、とあらためて

        矢口清治氏のミニPodcast 4回目、クイーンのプロモ来日のことなど話しています。 今回はそのお知らせまで、ということで、デヴィッド・オースティン テニスネタ、今しばらく記憶が再生してくるまで(笑)お待ちください(待ってないか)!

        • アンドリュー デヴィッド サイモン

          三題噺みたいなタイトルですが、さて、ジミー・ペイジやジェフ・ベック、エリック・クラプトンという日本だけで通じる「3大ギタリスト」(以前インタビューでジェフ・ベックにそのこと言ったら「なんじゃそれ?」と、予想通り言われましたが)を輩出した「ヤードバーズ」のマネージャーだったのがSimon Napier-Bell氏。Wham! もそうなんですが、なかなか剛腕なマネージャー。デヴィッド・オースティンもサイモンの仕掛けだったわけです。 ↑ 他人様のブログの引用ですが、こんな書籍も出

        さて、2022年になりました、今年はやります

          Wham!の友達、デビュー!

          ということで、前回ちらっと触れましたが、EMIからはデュラン・デュランやカジャ・グー・グー、トーマス・ドルビーやネイキッド・アイズがアメリカのチャートにも殴り込みをかけて「ブリティッシュインヴェイジョン」と呼ばれていたころ・・・ こんなシングル盤が発売されました。当時の定価よりぐんとお求めやすい(笑)400円で今日は手に入ります。このデヴィッド・オースティンくんこそが、当時ヒットを飛ばし続けていた「Wham !」の友だち、という売り文句でEMI UKからデビューしたアーティ

          Wham!の友達、デビュー!

          クイーンだけじゃあないんです

          つい最近、知り合いのDJの方に呼ばれまして、Podcastに出てデュランデュランのことを一緒に話してくれないか?と言われたので、収録場所がステイホームの近所だったこともあり、のこのこと行ってまいりました 昨日、どっかの国の首相がノリでくっついたページを読み飛ばした日の夕方に公開された、とのこと。遅ればせながらこちらでご紹介、です。 こちらは台本はあるけど原稿などは読みません。 このどうやらリニューアル1回目は僕が今勤務している「音楽出版社」という職種についての基本的なお話。

          クイーンだけじゃあないんです

          クイーンと言えば「炎」??

          前回からすごくごぶさたです。前回1994年のロジャー・テイラーのソロ来日と奈良東大寺での歴史的イベント(と、あえて呼ぶだけのすごいものがありました、アーティストの並びだけ見てもそうですがその融合ぶりも)「あをによし」での来日をあたかも一緒の時に起きたかのように書きましたが、これはとんでもない間違いでした。すみません。「GME あをによし」は1994年の5月、ソロ・ツアーは同年9月でした。 ニュー・アルバム『Happiness ?』、YOSHIKIとのコラボ曲「Foreign

          クイーンと言えば「炎」??

          さて、Radio GaGa の作者の来日

          1994年、ということはクイーンとして初のプロモ来日からちょうど10年だった、ということに、書いていると気付くのですが(笑)、ロジャー・テイラー来日!!!ソロ・アルバム『Happiness ?』リリースに合わせてのツアーだったのだが、特にここ日本ではYOSHIKI とのコラボ・シングル「Foreign Sand」もあり、また、ソロの来日でありながらUNESCOが呼び掛けて実現した奈良の東大寺での「GME'94 ~ AONIYOSHI」にも出演、YOSHIKIのゲスト出演を受け

          さて、Radio GaGa の作者の来日

          Radio Ga Gaも、ですけど…

          いきなり人のブログ引用、というと手抜きに聞こえますが、これはどうしても皆さんに読んでいただかねければならぬhttps://ameblo.jp/nihonyogaku/entry-12676963000.html 再発された(何度目だ!?いったい)クイーンの全カタログ15タイトルがオリコンのアルバム・チャートに全部入った、それは2014年のビートルズ(この時は16タイトル)以来だよ、というお話。かつて3大ロックバンドと言われたうちのエアロ担当のNさんのブログであるところもまた

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          しつこいですけどRadio Ga Ga

          で、そのRadio Ga Ga 、フレディのいたクイーンとして最後の日本公演から帰って出たのがもちろんこのライブエイド。ボヘミアンラプソディーの映画でもクライマックスだったわけですが、なんと、Radio Ga Ga 、ショートヴァージョンだったのですねえ。あのセットリストを制限時間内に、だから当然の判断だったのでしょう、期せずして我々が悩みながらこっそり作ったものとここで一致したか〜!と、今さら感慨にひたる担当者(笑)。 ロジャーのコーラスもいいバランスと自己主張で聴こえてきて、嬉しくなりますね。何しろ前年のプロモ来日、毎晩のように六本木、青山のディスコ(当時はまだ後ろにアクセントのクラブとは言いませんよ)を梯子して気づけば朝、みたいな地獄の日々を経て、感謝のお印にサインも頼まないのにくれたり、それなりに仲良くはなっただけに、なんか、このライブエイドから翌年のヨーロッパツアーの大成功は、我が事のように嬉しかった、というわけ。 さて、それから10数年後、ソロでやってきたロジャーから言われた一言が… と、今回はスマホからで疲れてきたので、まだまだひっぱりますが、次回に続きますよー(^^)

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          さて、Radio Ga Ga と地獄のプロモ来日

          しかしこのヴィデオがあったおかげで、この曲の「アンセム感」はハンパじゃなく伝わったのだなあ、と再確認。4人の揃った最後の東京公演、1985年の代々木体育館でもこのポーズ、みんなやってましたからねえ。前回までぼやいた通り、とは言えこの曲フル尺だと6分弱、まあ長いですよね。でも映像とともに見るとさほどの長さは感じない。ある意味映像の時代に入っていた80年代だからこそこのファースト・シングルだったのだなあ、とそのチョイスに今さら納得、しかし歌詞は「ラジオはまだまだ力あるぜ」というエールを送る、という、なかなかアンビバレンツな立ち位置の曲だったのですねえ、今にして思うと。 で、1984年のプロモーション来日、その作者ロジャー・テイラーと寡作な寡黙なヒットメイカージョン・ディーコン、というまあ「朝まで飲み続ける」お二人にすっかり翻弄された私担当者は毎日ボロボロになりながら当時二人の泊まっていた溜池のホテルへ迎えに行くのでした… ロジャーのおとこ気話、しようと思ってましたがヴィデオから入ったので今一つ流れが作れず、次回へ続きましょう(笑)。 ところで、僕が意識して最初に聞いた(家にあったLPというものを引っ張り出してプレイヤーに自分でのせた)洋楽アーティストは、カーペンターズ、だったのです。今も自分の仕事にかかわりのあるアーティスト、楽曲ですが、この当時中学生だった自分がベスト盤を聴いて気に入っていたのはその後仕事でお世話になる「Close To You (遥かなる影)」ではなく「プリーズ・ミスター・ポストマン」だった気がする・・・という洋楽遍歴の話も毎回少しづつ挟ませてもらいますね、こちらは自分の記憶を探す旅、みたいなもんです。それではまた、不定期にお会いしましょう(笑)!

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          Radio Gagaのショートヴァージョンその後

          クイーン1984年のプロモーション来日の話でした。ベースのジョン・ディーコンとドラムスのロジャー・テイラー、もちろんクイーンのメンバーなのですからぜいたくを言ってはいけません。それに、ロジャーはデビュー当時からその中性的ともいえる美少年っぷりと、そのイメージとは裏腹のハスキーな、それでいて高音もガンガン出るヴォーカル(主にコーラス)とのギャップが存在感を際立たせていたし、ジョンに至っては「マイ・ベスト・フレンド」全米ナンバー1の「地獄へ道連れ」、メンバー全員の女装ヴィデオで有

          Radio Gagaのショートヴァージョンその後

          Radio GaGaのショートヴァージョン

          皆さんこんばんは。洋楽のこと、徒然に書きます。とは言えそれだけじゃあ誰も読んでくれないので入り口はあざといけど「クイーン」のことにしようかな、と。 洋楽のアーティストがプロモーション来日する、というのは、まあコロナ禍前までの話ですが普通に起きていた。2004年に関わった中ではジャネットみたいな大物もいた。でも元々みんな来てくれたわけじゃない。ましてや大物、と言われるレベルの人たちはむしろ「こっちから取材に行ってもからぶるかも」ぐらいの存在だった。それがレコード会社の移籍、と

          Radio GaGaのショートヴァージョン