小僧のおしごと
とある小僧の話をしようと思う。
名前はジュリアン。彼はいつも、おなじところに立っていて、座ることはない。世界中のいろんな場所で、真っ裸になって小便をしている。何か、政治的な抗議を行っているわけではなく、とにかく、かわいくおしっこをするのが仕事だ。
一般的には、ジュリアンは小便小僧と呼ばれている。
ぼくは、街をあるいていて、ジュリアンと出くわすたびに、すこしだけ胸が苦しくなる。それは、彼が服を一枚も着させてもらっていないのに、屋外での活動が多すぎることにある。
われわれ人間は、屋内にいるときに尿意がやってきたら、トイレに行く。間に合う、間に合わないは別として、それが普通だ。だから、ジュリアンを屋内の施設に招いてしまうと、トイレに行かず、わざわざ人前でおしっこをしている変わった小僧になってしまうのだ。
イタリアのダビデさんなんかは、年がら年中、夏は涼しく冬は暖かい屋内で活動している。おなじ裸で活動するにしても、恵まれた環境だ。みんながダビデさんに会いに美術館へ行くのに、ジュリアンを目的にどこかへ出向く人は少ない。たぶん、地方への営業が多すぎるからだとぼくは思う。
一応、名誉のために言っておくが、彼がおしっこをしているのには理由がある。2つの説があるのだが、ひとつは戦いに向かう兵士を鼓舞するため。もうひとつは、爆弾を投下されたときに、おしっこで導火線の火を消すためである。
どちらにせよ、彼のおしっこには意味があるのだ。見るものを鼓舞する、もしくは、人命を救う。気をつけてほしいのは、広辞苑で、小便と調べても、そんな意味は載っていない。だから、あなたがもし誰かを元気づけたければ、ちゃんと服を着て、目をみて話を聞いてあげてほしい。まちがっても、小便をしてはいけない。
ぼくが、どうしてジュリアンに感情移入をしてしまうかというと、幼いころから近くに彼がいたからだと思う。
ある日、祖父の家に行くと、ジュリアンがいたのだ。家先の小さなスペースにやってきた彼は、小便小僧としての仕事を全うしていた。彼のおしっこは、足元にある水槽のようなものに注がれる。その中には、祭りですくってきた金魚が泳いでいた。
ジュリアンは、近所の人からたいへん人気だった。突如として現れた、家先の小僧。幼稚園帰りの子どもたち、学校へ向かう小学生、立ち話をしているおばさんたち。みんなが彼の前に集まって会話をしている。
たぶん、待ち合わせ場所にちょうど良かったのだと思う。「あの小便小僧のとこで待ち合わせな!」と言えば、近所では祖父の家ぐらいなのだ。とっても都合のいい存在として、彼は受け入れられた。
もうひとつ、彼が受け入れられた要因がある。それは、季節に合わせて、祖父が服を着させてあげていることだろう。夏は半袖を、12月になるとサンタクロースの服を。5月になると新聞で折った兜をかぶることもある。そういった、わたしたちとおなじ季節性をもっているという人間味が、ジュリアンが好かれている理由だ。
彼の着ている服のほとんどは、ぼくと妹が小さい頃に着ていた服のおさがりらしい。昔のアルバム眺めていて、どこかで見たことあるなぁと思っていたらジュリアンが着ているものだったことがよくある。
昨日、祖父の家にいくと、彼は見慣れない帽子をかぶっていた。黒い毛糸の帽子だった。
「こんな帽子、ぼくたちかぶってたっけ?」
ぼくは祖父に聞いた。
「あぁそれなぁ、家の近所で拾ってん。だから、この小便小僧にかぶせておいたら、落とした人が気づいてくれるやろと思ってね」
どうやら、落とし物をお知らせする仕事を彼は全うしているらしい。
「すごくいいね」
彼の仕事っぷりと、祖父のアイデアに感心した。交番に届けるよりも、ずっと早く、町の人たちに見つけてもらえるはずだ。
小便小僧なんて総称は失礼だ。これからは、小便少年、いや、小便師ジュリアンさんと呼ぶことにしよう。
ーーーーー
落ちているものが、誰かの手で、みんなの見える場所に置かれている光景が、ぼくは大好きだ。見つけるたびに、写真を撮って保存してきた。
そこには、拾ってくれた人たちのアイデアがある。やさしさがある。
一度は、その生涯を終えかけたものたちが、誰かの手によってそこにいる。息をしている気がする。ぼくがカメラをかまえているとき、周りには誰もいないけど、拾った人の気配がそこにはある。
最後にぼくが、ここ数年で撮りためた、誰かのやさしさを感じる落とし物たちを、いくつか紹介して終わりとする。ジュリアンなんて名前を、こんなに連呼するとは思わなかった。前置きがとても長くなったがお許しください。
あと、ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
では、どうぞ。
【鹿のポーチ】
誰かが拾って、ここに結んでくれた。それを思うだけで、やさしい気持ちになった。ショッピングモールだったので、もしかしたらその人とすれ違ったかもしれないと思うと、なんだかうれしかった。
【うさちゃん】
海沿いの橋に置かれていた。もしかして、生きてるのじゃないかと思えるぐらい、持ち主を待っている気がした。この日は風が強かったので、もうすこし安全なところへ移動させたのを覚えてる。
【祈りがこもった何か】
ミサンガなのだろうか。駅に向かう途中に、木の枝からぶら下がっているのを見つけた。ちょうど目線の高さに来るように結ばれていて、拾った人のやさしさを感じる。作った人の想いも、捨てられずしっかり結ばれてる気がした。
【ジュリアン】
言わずと知れた小便師。
日常には、人のやさしさがたくさん隠れていると思うのです。
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