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遺書(2020/02/21)


現在2020年2月21日21時00分を回ったくらいの時間なのですが、久しぶりにこうして文字を起こそうとしているのが、なんと遺書。
いつも突拍子のないことで有名な私、サラシナですが、せっかくなら少しだけお付き合い頂けますと幸いです。


ここに至るには、只今から少し時間を巻き戻します。



2020/02/18、今週火曜の朝、なにやら体が重い。
病は気から、とはいうもののだいたい嫌な予感がするともう時すでに遅し。
そして自分は病気になると治りが大変悪い。なのでそのまま病院へ駆け込んだ。

幸い、流行りの病を患った訳ではなく、季節の変わり目の温度変化、そして花粉症による鼻炎が相まった単なるの風邪による発熱であった。しかし久しぶりに38度を超える高熱。平熱が34度の自分にとっては非常に辛い。火曜日から水曜日の夜まで熱は続いた。


久しぶりに病に寝込んでいた時に自分が感じていたのは、

「社会も大きな組織の一つで、自分も所詮歯車の一つ。自分なんかいなくても全然平常運転でまわっているんだろうなぁ」

ということ。発熱と相まって少し病んでいた、心が笑。
定期的に来る、なぜ自分は生きてて、なぜ自分はこんなことをしているのかわからなくなる瞬間。こういう時は自分に向けた自家製ネガキャンが収まるまで寝たり漫画喫茶に籠ってじっと耐えるのが定石。

今回はマイバイブル、左ききのエレンのこのシーンに救われたのであるが。

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(参考:https://cakes.mu/posts/24695

「あぁ、そうか。自分も微力だけど無力じゃないから頑張らねばならないのか。そうかそうか。」


そんなこんなで勝手に自己回復をしていた2020/02/19、水曜日の昼。
母親から一通のLINEメッセージが届く。

「おばあちゃんが亡くなりました。」

84歳で生涯を終えることになったとのこと。

少し上向きだった自分のモチベが、一瞬で首を下ろしました。
祖父母はもともと病院で入院生活を送っており、先日から何度か危ない瞬間もあり「そろそろ覚悟しておいた方が良い」と医者にも言われていた。

なので、そこまで驚きはしなかったものの、よくわからない倦怠感に再度襲われた。このタイミングで熱を出したりしたのも、何か祖父母からのメッセージであったのかもしれない。それは勝手に解釈しておく。


そして慌てて各所リスケの嵐を越えて、新幹線で地元愛知県へ帰る。
その体のまま祖父母がいた病院の近くの平安会館へ。


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今回、人生初めてのお通夜、葬式の参加だったのですが、一言でまとめると「参加してよかった」です。

もちろんお世話になったことも沢山あるけれども、風邪の治りたてでもあったし、仕事もやりたいことも溜まっていたので、当初、わざわざ行くようなものでもないかも。。。なんてことも思っていました。

しかし、参加してみて色々な気づきもあれば、新たに学ぶこともあったり。そしてやはり最後に祖父母へきちんとお礼を伝えられたことで、自分も納得して明日を迎えることができる気がしているというのも良かったことの一つ。


ただ、その中でも、お通夜で流れた思い出ムービーのあるセリフに、自分は特に心を動かされたのです。


「あなたに直接お礼を伝えることもなく、こうしてこの世を去ってしまいますが、私は幸せを胸に旅立って行きます。」


確かに仰る通りなのですが、突然の死を前に本当に一言も残すことができず命を落としてしまうのは、当の本人としては非常に心残りなのではないか。この一節を聞いてそんな特殊な焦りを感じたのです。



なので、前説が相も変わらず長くなりましたが、こうして遺書を文字に起こしてみようと思った次第。遺書の書き方なんて知りませんし、調べようとも思いませんが、一旦今の自分が書ける言葉で好きに書こう。内容はまた定期的に更新していけば良い。


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遺書



まずは、これをあなたが読んでいる時、私がすでにこの世を去ったものであると想定してこれを書いています。遺書だから当たり前か。



最初にもうこの世にいない自分からお願いしたいことは、

家族(父、母、妹)、現在付き合っている彼女への言葉をiPhoneのメモの「感謝の気持ちフォルダ」に控えているので、どなたかこの遺書に気づいた人は、まずは彼らに教えてあげてほしいです。

現状まだ4名ほどに向けてしか文字を起こせていませんが、今日から自分が感謝を伝えたい人に向けて少しずつ、思い立った時に書いていくつもりです。直接感謝を伝えるのはもちろんですが、「この時こんな風に感謝の気持ちを抱きました」なんてメモしておくことを習慣にできれば、なんか自分まで幸せになれそう。ということで始めました笑。

これまでありがたいことに、少なくはない人数の人に支えられ生きてきたものだから、生きている間に書き切れるかはわかりませんが、まぁ思いつきで書いているので書かれなかったからといって落ち込むことなかれ。死人に口なし、ただの戯言。そんなに大したことは書けない。



自分の通夜・葬式について。
親族は手間をかけさてしまいますが、通夜は折角なので親族のみで小さく行ってもらえると嬉しいです。ただ、葬式までしんみりしてしまうと寂しいので、どうせなら最期、自分の周りにはイベント好き、宴会好きが多いらしいので、そんな彼らに企画や演出、当日の運営などを任せてみてほしい。きっと、これまでに見たことのない景色を当日見ることができるのではないでしょうか。イベント好きはイベントを開催できる機会をいつも探しています。お前ら、うってつけの機会がここにあるぞ。お涙頂戴の演出はいらない。派手に、好きに、やりたいことをやってほしい。



自分の死に方にもよるのだろうが、脳死であれば臓器移植等は遠慮なく自分の体を使ってほしい。自分の体で誰かを救えるのなら万々歳。生きている人が、適宜最適な活用方法を検討してほしいです。きっと視力は良いはず。関係ないのか。



こうやって遺書を書いているわけだけど、以下のマンガさえ読んでもらえれば、自分が生涯学んだことの8割は押さえられるはず。なのでこれを機に読んでください。ただの布教活動。もっと紹介したいマンガは沢山あるけど。


▼左ききのエレン
才能への向き合い方を学べます

▼NARUTO
諦めないど根性と愛について学べます

▼電影少女
ラブコメではなく恋愛について学べます

▼アイシールド21
スポーツとチームの魅力について学べます

▼Dr.STONE
起業家/経営者、リーダーの在り方について学べます




あとここで書き遺すべきものとすれば、自分が生前どういう想いで、どんなことを成し遂げたかったのか。それを今生きている自分のケツを叩く意味でも書き起し、誰かの糧になることを信じています。


このnoteのヘッダー?に設定した一枚の写真。
これは2018年、自分がTOKYO DOME CITY HALLでイベントを開催した時の様子。

割とインドアめな自分も、イベントはそれなりに好きで、特にこの写真のような、盛り上がっているお客さんの表情が照明によってパッと一瞬映し出される瞬間が好き。
この時のお客さんの表情には、喜びや驚き、楽しさや感動など色々な要素が含まれていると思うのですが、この写真において、そんなお客さんの表情をつくっていたのはなんと学生のアマチュアパフォーマー。

何が言いたいかというと、感動にプロもアマも関係ない。まだ見つけられていない、魅力溢れるダイヤモンドの原石が世の中には沢山あって、それらを活かすも殺すもその世の中次第。ならば少しでもそれらを見つけ、磨き、世に一石投じる形で発信していくことができれば、どこかの誰かの生きる糧に少しでもなれるのではないか。自分はこの宝石探しに生涯を捧げられたらと思い今を生きています。手段は何でも良い。その時々に合った形で価値を届けていく。

ちなみに、ハントバンクも「まだ見ぬ魅力溢れる大学生と企業経営者の出会いをつくる」という意味でこの想いを体現している。

もちろん、元々才能のある人が自身の努力のみでステージに立てるのは素晴らしいこと。しかし、もっと多くの可能性が、誰かの手も借りながら、チームとして居場所を確立出来るようになったら、もう少しだけ人々の生きがいが増えるのではないか。

各々が発信力を持つようになった一方で、まだまだ見つけられていない魅力溢れるダイヤモンドの原石は沢山あるはず。自分はロジャーのように「探せ!この世の全てを置いてきた!」とは言えないけれども、きっと、誰かの生きる糧となる宝石がまだどこかにあると思うので、自分と同じようなもの好きはどうか、周りに折れることなくこだわりを持って冒険を続けてほしいです。そんなトレジャーハンターたちによって探し出された宝石たちが報われる世界になってほしい。

無個性、器用貧乏で悩み続けた自分だからこそ、他人の良いところを見つけられた。自分も含めてなのであろうが、個性がない、長所がない人なんて一人もいない。ただそれらがまだ見つけられていないだけ。だから、自信を持って、それらを見つけてくれる人との出会いを待ちつつ、自分でもできる範囲で一歩一歩前進していこう。きっと、自分も死ぬその瞬間まで前進していたはずだから。


まだ見ぬ景色を追い求めて 荒野を駆ける馬のように


2020/02/21 晒名駿


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