ビアバーのオーナーになった経緯①

今日は、飲食業と縁もゆかりも無い俺が、何故ビアバーのオーナーになったのか?について、書きたいと思う。

簡単に言えば、家の近所で常連になっていたバーが閉店し、元バイトの子(今はロンドンにいる)から連絡が来て、どうやらオーナー(ベルギー人のL氏)がバーの後継者探しているみたいで、

俺さんならうまく経営してくれるんじゃないかと思い連絡しました、と言われ、すぐに興味があると返答し、オーナーに繋いでもらい(元々顔見知りではあったが)、値段と条件に合意したので買い取った、というシンプルな話なのだが、振り返ってみると、自分の中には元バイトの子からの(突拍子もない)連絡が来た時に、「興味がある」と返答するだけの、心の在り様に至っていたという事だ。

これから書く、いずれの要素が欠けていても、前向きな返事は出来なかったかもしれない。


①サラリーマン生活への軽い飽き
自分で言うのもなんだが、俺は日本の大企業に働くサラリーマンとしてはかなり恵まれているほうだ。

総合商社も、入社した15年程前に比べ随分とホワイトになった。俺が入社した当時、ネクタイを締めなくて良いのが週1のカジュアルデーだったのを覚えている。

逆に言えば、それ以外の日はばっちりスーツにネクタイを締め、上司の飲みに遅くまで付き合い、二日酔いに苦しみながら始業時間までに何とか出社していたのを良く覚えている。

俺の所属部署はパワハラも(相対的に)酷くなかったとはいえ、酒の弱い同期が無理やり飲まされ、一緒に寮に帰る時に自由が丘駅のプラットフォームからゲ〇を吐きながら

落ちていったのを必死に助けた事もある。


…話が逸れてしまったようだ。


要するに、今の俺はほぼ定時だけ働き、年収は1千万後半を貰い、パワハラも(相対的に)ほぼない、ストレスフリーな環境で働いている。

大いに恵まれているとは思いつつ、ロシア駐在時代(これは折を見て書こうと思う)の危うくて刺激的な仕事というのはもはや存在しないし、

このままそこまで頑張らず働いても最早十分に生きていける、、というのが見えてしまい、仕事への情熱が薄れていた。


②伏線としてのかき氷カフェ計画

2年程前、草野球仲間から、彼の祖母が営んでいた小物屋さんが、祖母が引退するということで閉店するので、その後に何か仲間達で店を出さないか、と声をかけてくれた。その際、不動産は既に祖母のものであり、家賃を払う必要が無いとの条件で、これは乗らない手はないと思い、何人かでかき氷カフェ開店の計画を進めていた。

結局、彼の祖母が亡くなり、親族間で相続の争いが起きてしまった為に実現に至らなかったが、事業計画とかはとりあえず作ってみたりして、何となくイメージは沸いていた。


③常連から見たベルギービールバーの改善点
我が家から徒歩1分の場所にあり、俺は常連だったので、この店の良いところと改善して欲しいところを既にイメージとして持っていた。

良いところは、店長のG氏(ベルギー人)の人柄により、常連が多くついていたところ、特に外国人(フランス語話者も多い)の客が多い、どこか異国に来たかのように思わせる雰囲気があり、これは周辺地域ではとてもユニークであるということ。

ぶっちゃけ、ベルギービールを出されるにしても、日本人よりもベルギー人に出された方が満足度は高い。その他色々あるのだが、明らかな問題点は、フードをほぼ出さない、週3営業しかしない、キャッシュレス未対応。

逆に言えば、簡単に治せる問題点を抱えながら、曲がりなりにも6年間営業を続けてきた、というのが驚異的だ。これらを何とかすればもうちょっと上手くいくのでは?とずっと思っていた。


…長くなったので、次回は「オーナー権を買い取るに至った勝算(皮算用)について」を書こうと思う。

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