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【所感】3

ジブリで一番好きな映画は「おもひでぽろぽろ」だ。
子供の頃から飽きるほど見たものだが、最近気がついたことがある。
タエ子は27歳、トシオは25歳、私も25歳なのだ。
気がついたらアニメのキャラクターが年下になる、なんてことが増えた。

そろそろ、子供時代の答え合わせが始まってくる年齢なのだと思う。
最近は何を書いても過去のことばかり書いてしまうから、きっと27歳のタエ子も同じだったのだ。

私にも、少年の私が常に背後を付き纏っている。
少年の私だけではない。
まだモーツァルトが好きな明るい少年や、友達がいない暗い少年もいる。
成績が割と良くて部活にも励む中学生や、楽器が弾けてそこそこモテる高校生だっている。
みんな、今の私をじっと見つめている。
モーツァルト、もう弾かないの?
時々弾くけど、今はあんまり指が動かないから、君の方が上手いかもしれない。
こんなことだから脱却できないのだ。
脱却したくないのかもしれない。
私は過去を捨てて生きているのではない。
見て見ぬふりをしているだけなのだ。
こんなとき、トシオが現れてくれないだろうか、と思う。

先月青森へ戻った。
突発的だった。
仕事中に「今日なら帰れる」と思い、仕事を終えて東京駅へ直行してそのまま帰った。
23時の八戸駅はとても寒くて、私がかつてこんなところで生活していただなんて信じられなかった。
実家へ帰ることは躊躇われたので、ホテルに泊まった。
タクシーのおじさんも、ホテルのフロントも、まるでトシオみたいだった。
このださいイントネーションによって、私は解き明かされるかもしれなかった。
帰るのは18歳ぶりだった。

翌日は思い出の場所を巡った。
少し街は変わったが、ほとんどは変わっていない。
通った学校や、何度もステージに立った地元のホールなど。
小学校のすぐ近くにあるお金持ちの大きな家は、実は親友の家だ。
父親が医者なのだ。
彼の家にはグランドピアノがあって、毎日のように通った。
しかし中学校が別だったので、以後全然合わなくなった。
その後の噂で、両親が離婚した、と聞いた。親友は学校にも行っていないとも聞いた。
中学生の私は、彼になにも連絡をしなかった。
多分怖かったのだ。

中学3年の時、祖父が死んだ。
総合病院で息を引き取った時、私は気がついた。
祖父の担当医は、親友の父親であった。
小学生の時によく会っていたから、多分私に気が付いていたと思う。
しかし彼は何も言わなかった。
私も何も言わなかった。
彼らが今どこで何をしているか、何も知らない。
でも大きな家がまだあって、表札も変わっていなかったので、多分、どこかで生きてるのだと思う。

思う、ことしかできなかった。
つまりなにも解き明かされなかったのだ。
いくら故郷が東北でも、トシオは現れなかった。
そうこうする間に、膨大な思い出が私に襲いかかり、私の背後にいる少年や青年は、ちっとも東京へ帰ろうとしなかった。
正直に言えば、私も帰りたくなかった。
その自分に驚いた。

不貞腐れる少年と青年を連れて東京駅へ戻った。
まだこの人たちを連れて生きていかなければならない。
いつか、いつか、と生きて、何年になるのだろうか。
過去の清算は、実はひとりでは出来ないのかもしれない。
私が私を許すだけでは、もはや足りないのだ。
今回はタエ子みたいには行かなかったが、この世の何処かに、あるいは誰かが、そのヒントを持っているはずだと思う。
探し出して、いつかは全部、答え合わせをしたい。
そうしなければ、私はここから動き出せないからだ。
それに、私がいつかは置き去りにするであろう私が、悲しい顔をしていたら嫌だ。
それは私がとてもかわいそうだ。
だから、私は私に答えを与えたいのだ。
これは、愛の働きと似ている。

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